ウクライナ戦争は、ロシアが「態勢を立て直すための時間稼ぎ」で停戦に一定の譲歩をしていますが、国内支持率が高い、プーチン氏が西側が求める原状回復をすることはなさそうです。生物・化学兵器や核兵器すら、使われる事態もありうるでしよう。
日本国憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれていますが、戦後日本が前提条件にしていたことが、今目の前で崩れ去ろうとしています。理想主義の国、日本はウクライナ戦争によって、重大な岐路に立たされていることに気づくべきかもしれません。
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ウクライナ戦争の行方は混沌(こんとん)としている。ロシアは停戦協議で譲歩する姿勢を匂わせ、首都キーウ(キエフ)に対する攻撃の縮小も表明した。だが、これは「態勢を立て直すための時間稼ぎ」だろう。
私は、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権を転覆し、少なくとも一部を武力で奪い取る意思に変わりはない、とみる。交渉で合意したとしても、彼にとって、それは「一片の紙切れ」にすぎない。プーチン氏が信じているのは、あくまで「力」なのだ。
事前に予想された、あらゆる非難と批判を振り切って、侵攻に踏み切った理由はそこにある。そうであれば、武力で勝ち取れる可能性がある限り、ここで交渉に本気で舵を切るはずがない。
まだ、彼の手には生物・化学兵器も核兵器もある。それが使われる事態を思い浮かべるのはおぞましいが、彼が信奉する「力の論理」に従うなら、可能性は排除できない。
戦争の結末は見えないが、ここまでで「敗北」がはっきりした国もある。それは私たちの国、日本だ。
なぜ、日本が敗北したのか。それは、日本が「他国の善意に自分たちの平和と安全を委ねる」という、世界に例がない甘い物語に酔いしれている国であるからだ。
日本国憲法の前文は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれている。
だが、ロシアの侵攻が示したのは、「世界の平和と安定に責任を持つ国連安全保障理事会の常任理事国であっても、チャンスと見れば、迷わず侵略に打って出る国がある」という現実だった。
ロシアだけではない。
日本は、沖縄県・尖閣諸島を脅かす中国と、弾道ミサイルを乱発する北朝鮮に周囲を囲まれている。そんな専制主義・独裁国家の善意に頼っていて、平和が守れるわけがない。
日本の「敗北」は、ウクライナ戦争について、一部に「降伏論」が出たことでも証明されている。「ウクライナが武力で勝てないなら、降伏してでも国民の命を守れ」という論法は、攻撃能力の保持を禁じられている日本にも、あてはまるからだ。
実際、降伏論はこれまでも登場していた。「右の頬を殴られたら、左の頬を出せ。そして降伏せよ」という話だ。降伏論は日本が他国の善意に依存して、十分な自衛力を持たないのであれば、当然の論理的帰結でもあった。
私はウクライナに「降伏せよ」などと言う前に、日本人自身が「他国の善意をアテにしていたオレたちがバカだった。負けた」という事実に気づくべきだ、と思う。
米国では、「自由や民主主義、法の支配といった理念が世界を導く、という理想主義こそが間違っていた」という反省が生まれている。今後は、力をもとに世界を分析する現実主義が強まるだろう。
他国の善意に平和を委ねる日本の憲法は「理想主義の極致」である。そんな状態では、もはや安心して眠れない。幸い、まだ多少の時間はある。一刻も早く憲法を改正すべきだ。全力で戦わずして降伏など、まっぴら御免である。