津波に消えた町の思い出がある。
町はまた、人々によって作られる、その道を進む中で、思い出も大事にしたい。
かつて、そこにあって輝いていたことを、書き残しておきたい。
2008年のことだ。
仙台から南方へと進むと、阿武隈川にぶつかる。
橋を渡って亘理に入り、阿武隈川沿いに荒浜方面へと向かう途中だった。
「あれ、お菓子屋さんの看板があった。」と我輩が騒ぐと、
「また見つけたか。どうする、戻ってみる?」と連れ合いが言う。
少し先から、ちょいと戻ってみると、やはりお店があって、看板には「作間屋支店」と書かれている。
そこには、明るく気さくな女将さんがいた。
この店で、「えんころ餅」を買った。

「えんころ餅」は、冷凍保存されているのだが、地場産品を活かしたお団子だと聞き、これは買わずにいられないと思った素敵な品だ。
買うときに、女将さんが苦笑いしながら
「うちでも食べようと、直ぐ食べたくてレンジに入れたことがあるんだけど、爆発しちゃって」と話してくれ、
「我慢して自然解凍しなくちゃね」と笑った。
帰宅して、丁度「えんころ餅」が溶けた頃合いだ。さっそく味わおうと包みを開けると、
「あ!」

小さな熨斗袋が出てきてびっくりした。袋の中には5円が入っていた。
「ご縁がありますように」ということだろう。
中身にたどり着く前に、すでに楽しい気持ちでいっぱいになる。
あったかい心遣いを喜びながら、箱の蓋を開けた。
亘理のもち米を使い、まあるく一口大のお団子にしてある。
団子の中に、醤油たれが入っていて、団子の上には、荒浜の海苔が乗せてあった。
甘しょっぱいたれに、ほんのりと唐辛子の辛味がある。
海苔の香りがとても良く合い、亘理の海を思い起こさせる、素敵なお菓子だった。
粋で旨い、亘理荒浜の「えんころ餅」は、客の喜ぶ顔を思い浮かべながら作っているのだろうと、作り手の気持ちが感じられる。
喜びと香りと味と、たくさん思い出に残る一品だった。
そして、震災後。
この作間屋さんも、津波の被害を受けた。
阿武隈川では、強い力で川を水が遡り、蛇行する川の曲がり角で激しくぶつかり、大きくゆとりを持って作られた土手を越えて、付近の住宅を損壊していったようだ。
河口から少し入った所は、比較的まっすぐな流れに沿った地区で建物が残っているのに対し、丁度曲がり角の所に当たる地域は、損壊が激しかった。
あの大きな土手まで越えるとは、何という凄さだったのかと、津波の酷さを思い知らされた。
3月に、連れ合いがあの辺りに片付けの手伝いに行った時、作間屋さんの所は1階は浸水した様だが、建物は残っていたというので、店の方々も無事と思われた。

そして先日、亘理へ行き、作間屋さんの様子も見てきた。
損壊した店の奥に、灯りが見えた。
片付けだろうか、何か作業をしているようだった。
大変だろうと思うが、やはり店の再開を願い、「えんころ餅」の復活も願っている。
その「えんころ」だが、宮城に「えんころ節」という祝い唄がある。
この唄の発祥の地が、亘理だと言われている。
藩政時代から歌い継がれ、近年も、亘理町では「えんころ節大会」が行われてきたのだった。
再び、この祝い唄が響く町にし、亘理の米と共に、荒浜の海苔も味わえるようにと心から願っている。
かつての、荒浜から内に続く湾、鳥の海。
震災前は湾を周遊でき、南側からも、葦原や緑の豊かな景色が眺められた。