goo blog サービス終了のお知らせ 

ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

野蒜築港近辺

2017-10-02 16:40:11 | 東北被災地の歩み:塩釜・松島

鳴瀬川の河口に「野蒜築港(のびるちっこう)跡」がある。

明治時代、貿易港と町を作り、北上川と松島湾を運河で結ぶ計画があった。

しかし、その建設は台風のために途中で頓挫した。その幻の港の痕跡が残っている。


この辺りも、石巻湾に沿って緑にふち取られていたのだが、2011年3月11日の大津波で濁流に襲われて傷んでいる。


鳴瀬大橋から矢本へと続く石巻街道辺りも、震災の数日後は、たくさんの崩壊した家の破片で埋まり、棒を持って行方不明者を探す捜索隊の姿があったのを、我が連れ合いは目にしていた。


今はすっかり片付いて、街道から北の内陸側は穏やかさが戻り、海側だけが痛々しい跡を見せている。

(↓2012年10月11日撮影)


 

田んぼに囲まれた中に家があり、海沿いには木々が一杯あったはずだった。

そこに壊れた家が残り、修繕しているところもある。


豊かだったはずの緑地は荒れた姿になり、松林もまばらになっているし、

陸方向の北側に向かって傾いている木々もあった。

(2012年10月11日)



周辺に、駐車場があるのかと思ったら、実は壊れた車が置かれていたのだった。

乗りあがる海水の、重く強くのしかかって流れ込む怖さが分る。


近くに小学校がある。

浜市小学校だ。

(2012年10月11日撮影)

1階部分は壊れていて、人の気配は無い。


新聞報道によると、ここにいた児童や教職員、消防団や周辺住民は、押し寄せる津波にも機転を利かせて行動し、全員無事であったという。

(参考:朝日新聞 2011年5月9日『〈学びと震災〉先生ら機転 犠牲者ゼロ 宮城県東松島・浜市小』)

 

 

さて、この小学校の前に、人名の刻まれた石碑がある。


なぜだろうと思って調べると、この学校の土地が寄贈されたもので、石碑の文字は寄贈者の名だと分った。


浜市小学校には、大正12年と昭和5年の2度に渡り、斉藤宗蔵氏から土地の寄贈を受けて校地を拡張してきた記録がある。

(参考:市報ひがしまつしま2013年5月1日号鳴瀬旧4小・中学校を振り返る』)


地域のために財産を分けたのだろうか。人情の厚さに感動。


今、津波で住まいや職場を失い、再出発するための土地を探す人がたくさんいる。


巷では、土地を分割せずに広くしか売らない例や、値が高いなどという話もちらほら。

だが、中には出来うる限り条件を下げてくれる人や、自費で整備し、借家を建てて被災者の再出発を助けたいという人もいる。


こんな時、実際は政治家よりも一般市民の方が良く動く。

だから、善良な人の動きを、しっかり補助して適切に進めるよう助けるのが国の役目となろう。

市民の善意を助ける施策も、良い国と政治にあるべき一つではなかろうか。


そして、明日を生きる人々への応援や、困っている人に手を差し伸べるという、市民の善意が広まる世の中を、いつの時代も失わずにいたい。


東松島えんまん亭:2012年10月の記録

2017-10-02 16:25:32 | 東北被災地の歩み:塩釜・松島

震災前に寄った店だった。

東名運河を渡り、東の野蒜海岸(のびるかいがん:洲崎浜)に沿った松原を左手に見て、少し西に入った所にあった。


今も、店の雰囲気を覚えている。

戸口から左手に厨房があり、その横が椅子と食卓のある座席。

奥の窓際に小上がりの席もあって、爽やかな風と柔らかな光が、すだれの間から穏やかに店の中へと流れ出ていた。


馴染みの客が来て、店主のお父さんとお母さんとは、親戚みたいに言葉を交わしていたし、当方にもお父さんが品を運びがてら、笑顔で気さくに声を掛けてくれたっけ。


店の名は「えんまん亭」。

その名の通り、和やかな店だった。

(撮影:2010年9月15日)



震災後、この店はどうなったかと気がかりで行ってみたが、周辺の住宅ごと店も消えていた。

小型の漁船が乗り上がって、土台がかすかに見えるだけ。

(撮影:2012年2月7日)



住宅の陰になっていたはずの体育館がぽつんと残り、周りは空き地ばかり。


どうしよう、あのお父さんお母さんは元気だろうか。

ずっと、気になっていた。


調べ続けて見つけた。

また会えることを知った。


野蒜から北東へ、鳴瀬川を越えて進むと矢本町に入る。

仙石線の矢本駅の辺りは、役場などのある中心部で、さらに東の東矢本駅から石巻街道へ出ると、近くに運動公園がある。


その運動公園内に、今、仮設住宅と小さな仮設の商店がある。

矢本の仮設商店の中に、えんまん亭があった。

先日、かつて食べた品、あの思い出の品を味わった。



店内は、かつての店に似ていた。品書きも、懐かしい思い出のままだ。

息子さんが店を継いでいるという。


頼んだ品が運ばれ、思わず喜びの声を上げた。

大きく綺麗な殻の、旨味のある貝がたっぷりと乗った中華そば。


「あさりラーメン」だ。


お母さんの笑顔にも再会できて嬉しかった。

格別の味だった。


連れ合いはホルモン定食を頼んだが、付いてきたあら汁がまた凄い。


魚の骨際と、皮際の身の旨味はもちろん、魚卵まで入っていて、魚の持つ色んな美味さを味わえる。

さすが、野蒜でも人気だったわけだ。


「また来てね」の声と笑顔に送られて、身も心も温まって店を出る。

再会の嬉しさと、再開に感謝した秋のひと時だった。