山元町の「水神沼」のほとりには、かつて木造の小屋もあった。
それは「磯恩賜郷倉(いそおんしごうそう」という建物だった。
津波が水神沼にも押し寄せ、郷倉のあった場所は今、土台だけになっている。
「磯恩賜郷倉」は、昭和9年の大冷害の際、昭和天皇からの御下賜金と政府からの補助金で建てられたものらしい。
非常用の米等を貯蔵し、冷害の時にはここから米を出して農家の方々に配分をし、稲作を奨励したという。
津波が来る前は、水神沼に冬の渡り鳥が来て、野鳥が見られる場所だった。
小屋の中は、写真や様々な案内が掲示され、木のぬくもりに包まれた憩いの場所になっていた。
※かつての郷倉①↓(2007年11月22日撮影)
②建物内部↓(2007年11月22日撮影)
③窓の外に見えた水神沼と水鳥(2007年11月22日撮影)
無くなって残念だ。
そこは、自然と共生する山元町の魅力が、じんわりと染みる場所だから。
ぜひ、町の再生の際には、同様の物が再建されることを願っている。
この日、水神沼は静かで穏やかに水面を揺らし、輝かせていた。
沼の傍に出来た大きな水溜りで、イトトンボが飛び回る。