「馬九行久」は、躍動する馬の力にあやかり「うまくいく」ということを表した言葉らしい。
福島でこの言葉を目にした。
江戸時代、相馬大堀村の武士に半谷仁左衛門(はんがいにざえもん)という人がいた。
左馬(さま)という使用人が陶器作りをし、これを村の産業にしようと半谷が動いた後、相馬藩がこの焼き物を保護し、奨励して藩の特産品としたらしい。
これが「大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)」であり、今も伝承されている。
藩で窯業が盛んになり、相馬の城下では、「相馬駒焼き」と呼ばれる馬の絵付けの物も、贈答品や土産物に作られていたそうだ。
今の「大堀相馬焼き」は、見事な貫入や二重構造が特徴で、中には躍動感のある馬の絵付けの器も多くある。
見事な馬の絵付けは、将門が野馬を捕らえて神前に奉納したのが由来という、「野馬追い」を思わせる。
(参考:大堀相馬焼協同組合「大堀相馬焼の歴史」)
さて、7月19日(2012年)に再度訪れた相馬は、折りしも野馬追いが間近で、町中のあちこちに旗が飾られていた。
南相馬市の鹿島駅付近も、旗が飾られた。
鹿島駅を通る常磐線は、亘理~相馬と原ノ町~広野は途切れたままだ。(2012年7月19日時)
けれども、相馬から鹿島を経て原町へと列車が走っている。
鹿島駅から道をまっすぐ進んで辻へ出ると、左右(南北)に伸びる通りがあるが、これが陸前浜街道だ。
この街道を北へ進むと横手地区があって、歴史民俗資料館のある辺りが野馬追いの「北郷本陣」であるという。
さらに北に永田地区があり、そこが総大将を迎える「永田本陣」とのこと。
(参考:相馬野馬追 北郷騎馬会「野馬追日程」)
南相馬市の鹿島区も、東側は津波に襲われ、国道の右と左で景色が違う。
昨年の3月11日、海岸線にたなびく雲のように、大きく長い水煙が押し寄せる、その時の写真を見た。
南相馬市が、「写真で見る東日本大震災」として公表している。
野馬追いも、震災で昨年は行えなかったが、今年は7月28~30日にかけて行われ、伝統を再び繋いだ。
原発の被害に、風評被害までも起こって被災地に追い討ちをかけたが、地元はただ負けてはいない。
伝統を守り、町の産物を絶やさずに、精一杯の努力を続けている。