ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

生まれ変わる被災地:南三陸町志津川中心部2016年12月の記録

2017-09-30 14:11:24 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

町中が、地形から変わる大工事が続く志津川。
粒粒辛苦して、生まれ変わる町。

 


現在の志津川は、嵩上げ工事の真っ最中。

まるで町中が、大古墳群のようだ。

↓2016年12月30日の志津川にて

 

 ↓2011年の志津川の中心部 

左(東)側に魚市場や工場跡など。右(西)側に旧防災対策庁舎。

(さらに西方面に、志津川病院やサンポート、高野会館があった。)

中央(南)は、八幡川が志津川湾に注ぎいる。

かつては、八幡川と旧国道398が並行して通っていたが、道路は現在経路変更。


 

2016年暮の旧防災対策庁舎は、シートで覆われて盛土に囲まれていた。

 ↓2016年12月の旧防災庁舎

 

道路が経路変更し、いたる所で工事中のため、この時は以前と同じ角度で見るのは難しかった。

そこで、西側(高野会館の方角)から東方面(八幡川)を向いて眺める。

 

旧防災庁舎の向こう、川を挟んだ向かい側に、新しい「さんさん商店街」が見える。↓

             

 

 ↓以前(2011年)の防災庁舎

(北東から南西方向。左に八幡川、正面に志津川湾、右に高野会館という位置。)

(以前の道路は庁舎と並行して見えているが、現在では庁舎手前を横切る形で通っている。)


 

高野会館も、盛土に囲まれて残っている。

↓2016年12月30日の高野会館

 

↓2011年の様子

高野会館と志津川病院が並んで見えた。(後ろにサンポートの印がある天辺が覗く。)

 

↓2013年5月の様子

防災庁舎と高野会館が見え、病院は解体されている。

 

↓2016年、西側から見た高野会館。

周辺は嵩上げ工事中。


 

こうした嵩上げ工事のさなか、住宅はまだまだ再建できないが、人々は生業に励み、商店では仮設から新店舗へと移行して力強く一歩踏み出す。

 


さて、2016年末の思い出だ。

新しい始まりの前に、年越し準備も重なって、期待を胸に働く人々の笑顔がそこにあった。

 

↓2016年12月30日、閉鎖目前の旧さんさん商店街にて

志津川名物のタコ。


 

寒風の中、元気でめんこい店員さんが、釜揚げタコを一度干していた。

 


生まれ変わる被災地:南三陸さんさん商店街

2017-09-30 13:47:28 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

前年末に一旦閉鎖し、翌年の2017年3月3日に、移転して新しくなった「さんさん商店街」が再開した。


2016年の暮れには、3月の開業を目指して工事中だったが、かなり嵩上げされているのが分かる。


↓河岸整備と盛土が施され、高い位置に作った新しい「さんさん商店街」(2016年12月30日)

 

↓かつての(2011年)この辺りが、生まれ変わった。


 

地形から変わる大工事。

約6年の、人々のたゆまぬ努力が察せられる。

 

新たな商店街は、町再生の希望だ。


生まれ変わる被災地:ざわ漁の伊里前川と堤防工事2016年12月の記録

2017-09-30 13:42:05 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

皐月の伊里前川には、ぎざぎざに折れ曲がる形に、石が積まれている。

        
「ざわ」と呼ばれる、漁の仕掛けだ。

↓2013年のざわ漁


 

春から初夏にかけて、この仕掛けで、シロウオを獲っている。 

歌津のシロウオは、ハゼの仲間で、産卵のために遡上するもの。
海でも獲れるが、伊里前川に遡上したのを「ざわ」で捕まえるのが、いわば名物。

 


この伊里前川も、震災後に堤防工事が行われ、川岸の堤は、ぐんと高くなった。

↓2016年12月の伊里前川

 

だが、水際に礫が置かれたり、覆土がなされたりと、生物の環境を確保するための工夫が施されている。

川の中も、みお筋を確保しているため、ざわ漁も可能となっている。

 

伊里前川は、昔から洪水の度に改修しつつ、地域の人々が自然の恵みを受け、親しみ守ってきた川である。

そして今も、これからも、人々はそれを守り続けていこうとしている。


生まれ変わる被災地~歌津伊里前2016年12月の記録~

2017-09-30 13:27:16 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

南三陸町歌津の伊里前湾は今、町の方を向いて立つモアイが、みんなを見守っている。

(↓2016年12月伊里前湾)

 

震災翌年の伊里前湾は、湾のふちに壊れた橋脚が残されていた。

(↓2012年6月の伊里前湾)

 

これは、国道45号の高架橋で、「歌津大橋」と呼ばれていたものである。

これを破壊して津波は町へと押し寄せた。

 

 

以前は、湾から道を挟んだ奥にあった仮設の伊里前福幸商店街が、この時は湾のすぐそばに移転していた。 

その伊里前福幸商店街の裏手に、高い壁が出来ている。

 

実は、盛土の最中だった。

 

そのために、商店街が移転したのである。

数か月後には、再度元の位置に戻る予定だという。

 

湾を右手に見て、道の正面に三嶋神社がある。

 

震災翌年のこの場所は、基礎だけが残されて建物の消えた町の跡地が広がっていた。

(↓2012年6月 三嶋神社前)

 

現在は、三嶋神社を正面に見て、右の湾側に福幸商店街、左に盛土が見える。

 

2002年に、子アザラシが来て賑わった歌津の伊里前川。 

アザラシは「うたちゃん」と名付けられ、伊里前川に架かる汐見橋も、「うたちゃん橋」と呼ばれた。

 

この橋は今も、損傷しながらも残っているが、周辺は堤防工事などで変化しつつある。

(↓2012年うたちゃん橋)

(↓2016年12月うたちゃん橋)


生まれ変わる被災地:女川2016年5月の記録

2017-09-30 12:59:52 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

復興はまだ道半ば。

でも、一歩一歩と動き出す。
雨の日も雪の日も
ありふれた日々の良さを思いながら・・・
 
 
↓2013年2月:女川病院下から女川駅方向の様子
 
津波で壊れた建物も無くなり、平らな土地と道路が広がっていたが・・・
 
 
今では、温泉併設の女川駅がある。
 
↓2016年5月 女川駅・ゆぽっぽ
 
 
そして、商業施設「シーパルピア」が出来て、心地よい場所となっている。(駅前には、足湯もある)
 
↓2016年5月:シーパルピア
 
駅建物の上階から、シーパルピアと港まで見える。
 
 
↓2012年7月の女川湾
 
傷んだ湾岸に、あふれ出てきそうな青い海。
それも今では・・・
 
↓2016年5月
 
道路が整備され、港の整備や建築も進められている。
 
 
↓2013年2月の女川病院

↓2016年5月
 
 

 
ふるさと慕い、できた名物また一つ。

 
 
たっぷりサンマが練り込まれているパン。
芳ばしくて姿もめんこい。
甘露煮のごとく甘く柔らかで美味しい。