ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

青のり焼酎と松川浦のヒトエグサ:2012年9月の記録

2017-12-02 18:47:48 | 東北被災地の歩み:福島

7月(2012年)に相馬へと出かけたとき、土産に桃ともう一つ、焼酎を買った。

この焼酎には、松川浦で採れる「ヒトエグサ」、通称「青海苔」が原料に入っている。

その名も、「青のり焼酎」だ。

震災前に、地元の「サンエイ海苔」さんが、人気酒造と提携して作り出したもので、当時は「世界初の青海苔を使った焼酎」と謳われ話題になった。


震災後の「道の駅そうま」で、青のり焼酎を見かけ、ぜひ飲んでみたいと思って買ったのである。


まずは、そのままを口に含んだ。 

瓶の蓋を空けた時は、焼酎の酒気の香りが強いのだが、飲み込んだ後に香りが変わり、びっくりする。

強いので、直ぐに喉の奥へと転がして流すが、飲み込んで鼻孔から抜ける香りが、見事に海苔の香りなのだ。芳ばしくて旨い。


そのままでも飲めるし、旨いのだが、強い酒なので割った方が飲み易い。

水で割ると、酒器のうちから海苔の香りになる。


今夏(2012年)は、かなりの猛暑だったので、清涼感のある方がいいと、炭酸水で割って飲んだが、これがまた旨い。

相馬の「太っちょ焼きそば」と共に飲むのもいいだろう。

 

 

松川浦は、震災で流された海苔も多いが、残っていた海苔を守って栽培しているという。

ただし、残念なことに、原発事故と風評もあって、松川浦での海苔生産が自粛されているそうだ。



松川浦は、周辺が片付き始め、とても穏やかで美しい、かつての姿を取り戻しつつある。

ヒトエグサの生産も再開をしたいと、地元の人々は望んでいるだろう。

松川浦産ヒトエグサの加工品は、とても良い品だ。

その品々が、絶えずに再び生産されることを、心から願っている。


うまい福島の桃とお福分け:2012年8月17日の記録

2017-11-18 12:20:55 | 東北被災地の歩み:福島

先月(2012年7月)に再び福島へ行った折、道の駅で桃を買った。

光センサーで、一定の糖度のものを揃えた美味しい桃だ。

果肉も果汁も多く、実に満足。



もぎたての硬い桃を好む人もいるが、私らはやはり、桃は追熟した柔らかいのがいい。

北東北では、かりりと噛んで音がする果実なら、旨いリンゴがたくさんあるもの。

桃ならば、あのとろけるような柔らかな食感で、果汁たっぷりに甘いのが美味しいと思うのだ。

 

 

食卓に新聞紙を敷いて、桃を真ん中に乗せる。


ちなみに、この新聞紙は、なかなか重要な任務を負っている。

たっぷりの果汁は、うっかりすると後々、べたべたと人を机や床にくっつけさせるが、新聞紙作戦でこれを阻止できる。

しかも、食べた後の皮や種は、これに包んで始末でき、見事に美しく片付くのだ。



さてさて、新聞紙の真ん中で、素晴らしい香りを放って桃が鎮座している。


追熟して柔らかい桃は、手で果皮がするりと剥がれ、白く淡い紅のさしたビロードみたいな実が現れる。

これに、丸ごと噛り付いて食むのが、本当に旨い。


「桃だ、桃だぞ」と、体中をちび桃太郎が走って伝達し、頭に灯りがつくがごとく、かぶりついて目を張り、旨い旨いと喜んで食べた。


さらに、到来物もあった。


嬉しいことに、今年はその後も、幾人かの心温かき知人から、立派な桃を頂戴したのだ。

よって、我が家では度々桃を食み、満ち足りた夕餉を得ている。



福島の生産者は、震災後の原発事故による風評被害で、随分と泣かされた。


安全が確認されたにも関わらず、「福島産」というだけで売れなくなったという。

それまでの3分の1ほど、桃の売り上げが減った農園もあったそうだ。

そんな報道を知るたび、胸が痛んだ。


福島の桃は、丹精して作られ、とても良い出来だった。

そうした良さを、正しく認められる世の中でありたい。


一巡り 桃と笑顔の お福分け 



馬九行久その2・浪江の太っちょ:2012年7月19日の記録

2017-11-17 14:16:05 | 東北被災地の歩み:福島

「何事も馬九行久(うまくいく)」と、袋の赤い縁取りに書いてあった。

願いを込めた言葉も、語呂合わせで面白みを忘れないところがいい。


旭屋の「太っちょ」が、道の駅「南相馬」で売られていた。

「太っちょ」は、浪江名物の「なみえ焼きそば」である。

一袋に、麺と特製ソースを一組にして三食分入っていた。


この「なみえ焼きそば」には、ちょっとした決まりがある。


具は、もやしと豚肉だけというのが、基本の「なみえ焼きそば」である。

もやしが、麺の量より少なくてはいけない。



何しろ、「なみえ焼きそば」は、「安くて旨くて腹持ち良く」と思って作られたというから、簡素で力強いわけだ。仕上げに一味唐辛子をかけるといいらしい。



「太っちょ」は名前の通り太麺で、もやしと同じくらい太い。

だが、うどんとはまた違う味わいだ。

見事に、そばの滑らかさと、うどんの弾力とを併せ持っているのである。


もやしの多さも、食べて「なるほど」と思う。


もやしの歯切れ良い食感とみずみずしさが、太っちょ麺の弾力や、肉とソースのコクとも調和して旨いのだ。ソースも、程よい甘味とコクがあり、酸味が穏やかで良く合う。


色々試したが、少し肉に下味をつけて作ると、好みの味になっていい。


浪江の人々は、原発事故によって町を離れることになってしまった。

けれども、ふるさとで培った産品は大事に守り、作り続けている。


旭屋は今(2012年)、郡山に仮事務所を置き、仙台に生産委託しているそうだ。

どうにか、浪江名物として人々に親しまれた「なみえ焼きそば 太っちょ」を作りながら、相馬や双葉地区での操業を目指しているという。(2015年から相馬の新工場にて製造再開)



「太っちょ」に添えられた、「何事も馬九行久」の願いも広がるだろう。

その願い、きっと叶えたいものだ。


馬九行久その1・福島の踏ん張り:2012年7月19日の記録  

2017-11-16 13:19:54 | 東北被災地の歩み:福島

「馬九行久」は、躍動する馬の力にあやかり「うまくいく」ということを表した言葉らしい。

福島でこの言葉を目にした。


江戸時代、相馬大堀村の武士に半谷仁左衛門(はんがいにざえもん)という人がいた。

左馬(さま)という使用人が陶器作りをし、これを村の産業にしようと半谷が動いた後、相馬藩がこの焼き物を保護し、奨励して藩の特産品としたらしい。


これが「大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)」であり、今も伝承されている。


藩で窯業が盛んになり、相馬の城下では、「相馬駒焼き」と呼ばれる馬の絵付けの物も、贈答品や土産物に作られていたそうだ。


今の「大堀相馬焼き」は、見事な貫入や二重構造が特徴で、中には躍動感のある馬の絵付けの器も多くある。

見事な馬の絵付けは、将門が野馬を捕らえて神前に奉納したのが由来という、「野馬追い」を思わせる。

 

(参考:大堀相馬焼協同組合「大堀相馬焼の歴史」)



さて、7月19日(2012年)に再度訪れた相馬は、折りしも野馬追いが間近で、町中のあちこちに旗が飾られていた。


南相馬市の鹿島駅付近も、旗が飾られた。

鹿島駅を通る常磐線は、亘理~相馬と原ノ町~広野は途切れたままだ。(2012年7月19日時)

けれども、相馬から鹿島を経て原町へと列車が走っている。



鹿島駅から道をまっすぐ進んで辻へ出ると、左右(南北)に伸びる通りがあるが、これが陸前浜街道だ。


この街道を北へ進むと横手地区があって、歴史民俗資料館のある辺りが野馬追いの「北郷本陣」であるという。

さらに北に永田地区があり、そこが総大将を迎える「永田本陣」とのこと。

(参考:相馬野馬追 北郷騎馬会「野馬追日程」)

 

南相馬市の鹿島区も、東側は津波に襲われ、国道の右と左で景色が違う。


昨年の3月11日、海岸線にたなびく雲のように、大きく長い水煙が押し寄せる、その時の写真を見た。

南相馬市が、「写真で見る東日本大震災」として公表している。


野馬追いも、震災で昨年は行えなかったが、今年は7月28~30日にかけて行われ、伝統を再び繋いだ。


原発の被害に、風評被害までも起こって被災地に追い討ちをかけたが、地元はただ負けてはいない。

伝統を守り、町の産物を絶やさずに、精一杯の努力を続けている。

 

松川浦名物の青海苔コロッケ・ほっきコロッケ:2012年5月16日の記録

2017-11-12 18:34:33 | 東北被災地の歩み:福島

相馬の「松川浦」は、青海苔やほっき貝の産地だ。

だから、「道の駅そうま」に行くと、青海苔やほっき貝を使った品が色々ある。

中でも、手軽で美味しく食べられ、手土産にもなるのが

「青のりコロッケ」

「ほっき貝コロッケ」だ。



それぞれ、香りや旨味がお芋に馴染んでいて美味しい。


ほっきコロッケは、具の中に刻んだほっきが見え、 貝のだしがしみている。    


青海苔コロッケは、色合いも香りも良い。

 

どちらも、お芋の粘りや甘味と調和し、いい味だ。


道の駅の中にある食堂で、お母さんたちが元気に働いている。

笑顔と、はりのある声で応対し、揚げたてのコロッケを手渡し、見送ってくれた。


美味しかったコロッケとともに、明るい笑顔を思い出す。

また食べたい。