ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

祝い餅 込めた願いの 大きさか:2014年1月の記録(気仙沼)

2017-06-26 11:55:48 | 東北被災地のあゆみ:気仙沼

気仙沼で被災し、家を流された連れ合いの知人。

もとの場所は無理だが、気仙沼市内に再び家を建てたいと願った。

念願叶い、ついに新しい家が完成。

 

昨年11月のこと、祝いの餅を土産に貰った。

紅白の大福であったが、その大きさにびっくり。

気仙沼市の南町にあった若生餅店の品である。

(↓2011年12月の南町:かつて若生餅店のあった界隈。今は空き地になっている。)


南町は気仙沼港に程近く、並んでいた家や商店は津波で浸水し、残っていたのは1階が酷く破壊された建物ばかりだった。

(↓2011年12月の南町に残っていた鮨店と菓子店。今では空き地になっている。)

 

南町にあった若生餅店は、さらに西へと移動して気仙沼線の不動の沢駅から近い所で再開している。

 

大きな餅の中には、隠し味の塩がきいた程よい甘さの餡がたっぷり入っていた。

餅は柔らかく、適度な粘りと歯切れ良さ。

普通の大福の3個分はあろうかという大きさながら、美味しくて平らげてしまった。

 

津波で家を失ったが、元の場所が駄目でも、気仙沼に残りたかった思い。

気仙沼に根ざして、新たな家での暮らしに胸を躍らせ、生きることを噛み締めながら、切に願う復興。

 

祝いの大福の大きさは、そんな思いの大きさも込められている気がした。若生餅店のおお大福


また会おう 声かけ通る 海の市:2013年9月の記録(気仙沼)

2017-06-26 11:30:11 | 東北被災地のあゆみ:気仙沼

気仙沼湾を南へ回ると、魚市場前に出る。

そこには「海の市」があった。

上階に「リアスシャークミュージアム」があり、階下は氷の水族館や買い物と食事が出来る市場である。

  

ミュージアムは、水槽に小さな鮫がいたり珍しい鮫の卵があったり、標本や解説が良くて面白かったし、市場は賑わっていて楽しかった。震災前に何度か行った思い出の場所だ。

   震災前:2014/7/14

 

震災の数ヵ月後に行った時は、駐車場に船が乗りあがって様々なものが散乱していた。

建物の1階が空洞で寂しく思った。

   震災後:2011/12/29

 

気仙沼の町は、次第に解体が進んで更地が増えていき、傍らで仮設の商店街が増えていく。

   

そして今年2013年の8月。

あの「海の市」と「リアスシャークミュージアム」は、表がすっかり片付いて、何となく建物も安堵して明るくなったように見える。

 

この後はどうなるのだろうと思っていたが、最近になって良い知らせを知った。

   現在:2013/8/17

 

修復して、「海の市」を再開するという。来年2014年の3月に再開するのが目標だ。

 

この建物は頑丈だった。壊れはしたが、あの津波にも耐え、また使えるという。

残念ながら、小さな鮫たちは命を落としたが、上階では残ったものもあるそうだ。

 

思い出の場所が消えずに残った。また装いを新たにして、迎えてくれるのが楽しみだ。

町の賑わいを取り戻すために、様々な協力を得ながら、ここも一歩一歩前進している。


残存するものの記憶:気仙沼2013年8月

2017-05-18 17:11:47 | 東北被災地のあゆみ:気仙沼

あの日からおよそ2年半。津波で陸に上がった大きな船が、もうじき解体される。

(2013年8月17日撮影)


この船は、震災遺構にするよりも、解体した方が良いという決断に至った。


気仙沼の鹿折地区。

気仙沼湾の一番奥で、津波が町を破壊し、そのために起きた火災も酷かった所だ。


津波の力は凄まじく、港にいた船も陸に打ち上げられた。

その船は、ただ普段どおりに働いて、注文に応じて必要とする人のもとへと物を運んでいただろうに。

津波は、その船の役割さへも狂わせてしまった。


解体へと動くまで、この船の所有者は胸の痛むことが多々あったようだ。

この船も、被害にあったもののうちだが、憎く思われることもあったらしい。

船の所有者が、被災した人の辛さを思って堪えたのも、被災者を支える努力といえよう。



震災遺構は意味がある。

だが、選定するには熟考せねばならない。


かつてよく人々が出入りし、かつての日常を思わせる場所や建物が適していると思う。

驚愕だけでなく、そこで生きた人々を顧みることが大事だから。


一度でも一瞬でも、自分が誰かに愛情をもらって存在していることに気づけば、報われる気がする。

人というのは、そういうものではなかろうか。


震災遺構は、精一杯に生きた者への敬意、犠牲者に面目の立つ生き方など、それぞれに思い巡らす場所でありたい。

 

 

ふかかつと なりわい興す 気仙沼(2013年8月の記録)

2017-05-18 17:04:40 | 東北被災地のあゆみ:気仙沼

気仙沼へ行き、土産に買ってきたのがこれだ。

「ふかカツ」という名の惣菜。

ふかの身(鮫肉)に衣をつけて揚げ物にする。


新鮮なうちに加工されるため、臭みが無い。

しっとりとして柔らかく、マグロに近い味わいだ。

現地では、パンに挟んだ「ふかカツバーガー」も売られている。

津波で苦境に立つ町だが、再建できる業者が動き、産物を活かして売り出した。


周知の通り、気仙沼はフカヒレ生産で有名な所。

身も味わうが、新たな名物にと「ふかカツ」が作られた。


「復活」とかけた「ふかカツ」で、再興の願いも込められる。

生業を取り戻して力をつけ、町を作り直すことを思いながら作った品だ。

よく味わい、応援したい。


気仙沼鹿折~南町辺り2012年2月(一部2011年12月)の記録

2017-05-09 16:50:27 | 東北被災地のあゆみ:気仙沼

気仙沼の鹿折地区は、気仙沼湾の一番奥の所だ。

かつては、水産加工の工場も並んでいたが、津波に破壊された後に火災が発生し、焼失した物も多い。

2011年12月、所々に船が乗りあがったままになっている。

この辺りは、空き地になっている所が多い。



南町界隈の商店街も、津波で2階まで浸水した跡がある。

  

流された家や、階下が破壊された家が多い。

男山酒造の建物は、階下が潰れて上部が地面に着いて残っている。 


震災直後は、道も破壊された建物の破片で埋め尽くされたが、数ヶ月で道は片付き、秋ごろには仮設の商店街が出来ている。


震災から1年が過ぎたが、昨年暮ころから、ようやく損壊して残っている建物の解体に入っている。

 

片付け、解体して更地にするのに1年以上かかる。

そこから新たな町割をし、やっと本格的な再建に動き出す。