ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

あの日のまちかど第13景 女川

2019-02-28 20:32:03 | ゆるゆる歩き:町や通り

震災翌年の今日、この道を通った。

撮影:2012年2月28日 かつての八百東商店の近くだろうか


ここに町があったのに、通り沿いには建物がたくさんあったのに。

ここにあったのは、鉄筋や鉄骨の組まれた建物だった。

それでも津波は容赦なく壊していった。

撮影:2012年2月28日


残された町のかけらが、山と積まれる。

そしてかつての町が、空き地になっていた。

まさか、当たり前の風景が、あっという間に消えてしまうなんて。

撮影:2012年2月28日 横倒しの女川交番


震災からもうすぐ8年、今また、女川には町が出来つつある。

東北は、まだ復興には至らない。

それでも、日々を生き、再生へと動いている。


あの日のまちかど第12景 越路 鹿落 霊屋下

2019-02-24 18:34:55 | ゆるゆる歩き:町や通り

震災の少し前、8年前の今日は越路(こえじ)を通った。

趣のある古い酒屋さんが目を引く。


鈴石商店だ。

(↓2011年2月24日撮影)

 

残念ながら、2017年11月末に店を畳んでしまった。

創業は昭和23年(1948)だそうで、まだGHQ統治下の頃。


当時の仙台は、空襲で焼けた市内にバラックの店が再開していた。

食料をはじめ、様々な物資が不足する中でのことであった。


現代に至り、この店は震災後に建て替えられた。

だが、その数年後に鈴石商店は、商い69年の幕を閉じた。


参考:鈴石商店閉店挨拶/仙台一高同窓会「歴史と伝統」

   /仙台牛タウン「仙台牛タンの歴史」

   /JA宮城中央会「宮城の協同組合人二三人の足跡4 商を築く」

 


越路から向山の道を行き、鹿落(ししおち)を通って霊屋下(おたまやした)へ出る。

 


大きく蛇行する広瀬川の、川と川の間が霊屋下。

評定河原橋と霊屋橋との中間に来ると、参道が見える。

鬱蒼とした木々の、坂道の向こうに瑞鳳殿がある。


あの日のまちかど 第10景 広瀬川

2019-02-09 18:37:34 | ゆるゆる歩き:自然

九年前の今日、広瀬川沿いを歩いていた。

 

「鳥っこ見っけ隊」と称しての野鳥観察。

それももう、2010年の時点で4~5年になるか

 

この日は、珍しい鳥に遭遇し、びっくり。

ミコアイサだ。

 

 

広瀬川で見るのは初めてだった。

ちょっと寄っただけのようだが、出会えて嬉しい。

 

2009年あたりから、広瀬橋付近に白鳥も飛来。

広瀬川を気に入ったようで、かなり寛いだ様子。


あの日のまちかど 第9景 仙台市海岸周辺と大年寺

2019-02-08 17:52:33 | ゆるゆる歩き:町や通り

8年前の今日、高台から沿岸までを望む。

 

海岸には、先人が植えて長年引継ぎ育てた松林が見える。

 

すっかり緑に縁取られていた海辺。

まさか、この翌月に津波で壊れるとは思いもしなかった。

 

美しい木々の緑と海の青の線。

調整区域として広がる田んぼ。

 

田んぼに点在する緑と、合間に白く見える家々。

中にはイグネと呼ばれる屋敷林もある。

 

広々とした穏やかな風景。

その景色は、大年寺の長い段を上った先にあった。