ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

あの日のまちかど 第26景 仙台市長町と宮城野

2019-05-24 18:11:09 | ゆるゆる歩き:町や通り

7年前のこの日、長町から榴岡へと歩き、球場で交流戦を見た。

 

長町は震災から一年過ぎても、地震の影響で道路がでこぼこ。

しばらく補修が続いた。

 

(2012年5月24日撮影:長町駅前たいはっくる周辺)

 

長町駅前はツツジが満開だった。

 

(2012年5月24日撮影:長町駅東側)


しばらく、町をぶらぶらして夕方に球場へ。

球場では、ドアラの姿を拝見。

筆談で何やら質問に面白おかしく答えていた。

 

(2012年5月24日撮影:宮城野区当時のKスタにて)

試合結果は、おらほの負けで悔しかったが楽しかった。


あの日のまちかど 第25景 南三陸町

2019-05-21 23:43:28 | ゆるゆる歩き:町や通り

6年前の今日、津波の傷跡が残る町で、生命力の輝きを見た。

 

南三陸町、歌津の伊里前川に架かる橋は、青空の下で青く光る。

かつてアザラシが来たことで、汐見橋はうたちゃん橋と名を変えた。

 

 (2013年5月21日撮影:南三陸町うたちゃん橋)


 

伊里前川に石がギザギザに組まれた仕掛けがあった。

「ざわ」といい、この仕掛けでシロウオを獲る。

伊里前川でのシロウオ漁は、4月5月6月と、春から初夏にかけて行われる。

 

 (2013年5月21日撮影:歌津伊里前川のざわ)

 

歌津のシロウオは、ハゼの仲間で、産卵のために遡上するもの。

海でも獲れるが、伊里前川に遡上したのを「ざわ」で捕まえるのが、いわば名物。

海へ出て川へ戻るのだから、小さくもなかなか強い。

 


自然の廻りは、恩恵でもある。

小さな生き物と、大きな自然から力を分けてもらった一日。


 (2013年5月21日撮影:シロウオの丼と天ぷらの夕餉)


あの日のまちかど第24景 仙台市蒲生

2019-05-12 22:38:21 | ゆるゆる歩き:町や通り

震災前は豊かな田んぼの風景だった。

10年前の今日、蒲生でアマサギを見かける。


(2009年5月12日撮影:仙台市蒲生付近)

 

田植えの最中、水を張った田んぼに苗が植わっていく。

人が作業する傍で、アマサギは餌をついばんでいた。

 

(2009年5月12日撮影:仙台市蒲生)

 

背後にうっすら見えるのは、南蒲生浄化センター。

この辺りも、震災で津波に襲われた。

 

震災から3年後、この辺りは、どこもかしこも除塩と整備工事中だった。


(2014年撮影:仙台市蒲生付近)

 

この辺りは、かつての風景と少し違った形で再生していく。

かさ上げ道路が通り、農地も大規模施設園芸のハウスなどもできている。

 

作付けが変わっても、再び豊かな自然環境が戻ることが大切。

良い農地は、豊かな海につながるのだから。

 


あの日のまちかど第23景 仙台市河原町

2019-05-10 23:07:49 | ゆるゆる歩き:町や通り

震災から約2か月後、8年前の今日は城下南の入り口辺りを通る。

丁切根(仙台で「ちょうぎんね」と呼ぶ)から入り、河原町を古城方面へと進む。

道すがら、めんこいわんこが目に入った。


いるのは、大判焼きやたこ焼きを売っている店先。

昔ながらの店のようだが、店名がない。


「もう焼けた?」と、店の中をうかがっているかのようなわんこ。

おとなしく待っていて、本当にめんこい。


さらに進むと、やがて古城神社が見えてくる。



広瀬川からほど近いこの辺りは、昔、洪水や流域が定まらず難儀していたという。

人々を救おうと、行者が自ら進んで人柱になると願い出た。


生き埋めになった行者は、満願して最期を迎える。

以降、広瀬川は今の流れのように定まり、難儀していた村は肥沃な地となった。


その恩を末永く忘れぬために塚を築き、神々を合わせて祀ったのが、この神社という。

(参考:宮城県神社庁)


わんこの待っていた店は、今は閉めてしまったようだ。

神社は少し修繕したらしいが、今もそこにある。


震災の年、人々を元気づけるかのように多くの商店が踏ん張った。

震災から8年の今は、閉じてしまう店もある。

だが、思い出はこうして、残っている。