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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

閖上さいかい市場:2012年2月28日の記録

2017-10-06 17:04:02 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

「閖上さいかい市場」では、久しぶりに活気のある売り声を聞いた。

店の人々は、みんな明るく温かく接してくれた。


生きる辛さは、心温まるひと時や、交流の中にある喜びによって癒されることがある。

それを知る人々の、力強い一歩を見た。


閖上から西へ行くと、美田園という所に出るが、その辺りに仮設住宅がある。

近くに、閖上の仮設商店街「閖上さいかい市場」が作られた。

(前年12月に完成し、翌年2月4日に正式に開店。)


閖上の赤貝を目当てに、「マルタ水産」さんに寄る。

聞けば、今は一艘だけ赤貝漁をする船が出ているそうだ。


マルタ水産さんは、閖上の良さや特産物を活かそうと「カレイの閖上干」や「赤貝の塩漬」を作ってきたが、工場は津波で消えた。

しかし、岩沼に仮工場を得て、それらを再び売り出している。


「赤貝の塩漬」も、閖上干と同じく良い塩加減だった。

赤貝の程よく締まった身は、歯切れ良くて、コリコリと音がしそうな歯応えがいい。

旨い東北の酒と良くあう。


その後、「まるしげ」さんで凄いものを見つけた。

「あんきも」だった。 


「買いやすいように、1つ300円でそろえたよ。日本のフォアグラだからね。」とお父さんが話す。

喜んで買ってきた。ポン酢に付けると、滑らかさとコクが引き立ち、いっそう旨くなる。


そして、肉屋の「アイザワ」さんで、メンチカツを買う。

  

大きく、肉の旨味がたっぷりで芳ばしい。


この日の夕餉は、閖上さいかい市場のおかげで豪華であった。


商いを再開して、張り切っている人々の表情には輝きがあった。その背には、震災での色んな事を背負っているのは分っている。だが、踏み出す時の人々は、やはり輝いているのである。


ふるさとの良きものを、再び取り戻して引き継いでいくことは、自信となり喜びももたらす。

それが輝きになるのだろう。


閖上さいかい市場のご馳走で、心もお腹も満ちた。

ありがとう、ごちそうさま。


閖上の日和山付近:2012年1月25日の記録

2017-10-06 16:19:37 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

閖上漁港の南には、広浦という漁港から続く入り江がある。


広浦の脇に、小高い丘が見える。


これが「日和山」である。


名取市の話では、閖上の日和山は、大正時代に海の様子や船の出入り、天候などを観測するために作った築山だという。(詳しくは、名取市政策企画課の「なとり百選」にて公表されている)


閖上の日和山の頂上には、富主姫神社が置かれている。

余談だが、富主姫神というのは良く分らない。もしかしたら、古事記にある「登美」と繋がるのだろうか。

そうすると、ニギハヤヒノミコトの妻であったトミヤヒメが思い浮かぶ。神武天皇を助け、国を平定した御子と妻ということから、国家安泰の神とされている。



さて、閖上の日和山の傍には、同じほどの高さに砂利が積まれていた。

いよいよ、土地の嵩上げの準備がなされているのだろうか。


日和山を右手に、道を西へと進むと日和橋が見えてくる。

日和山から橋の手前にも、以前は家や店が並んでいて、「美晴鮓」という寿司屋さんがあったのだが、そこも消えていて寂しかった。

閖上から西へ行くと、美田園という所に出るが、その辺りに仮設住宅がある。

今年に入って、その近くに閖上の仮設商店街「さいかい市場」もできた。

 

閖上:2012年1月25日の記録

2017-10-06 16:14:50 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

津波で破壊され、たくさん散乱していた建物の破片は片付けられた。

だが、道の端にはまだ、船が所々に残っている

       


閖上の町は、壊れて残った建物の解体が進んでいた。

 


所々に残った建物があるが、かつての商店街も建物の解体が進み、あんなにあった店が消えてしまった光景は、やはり見ていて切ない。


かつて、相馬屋菓子店があった辺り。すでに解体され、更地になった所も多い。


 

周囲の建物がなくなり、通りの一本向こうにあった東禅寺が見える。通りの奥が、閖上漁港になる。



かつては、店や住宅がいっぱいに立ち並んでいた。

2008年4月の閖上。漁港方面から商店街を進む。

手前にひぐち呉服店や、ささ圭蒲鉾店が見える。

さらに進むと、菅野蒲鉾店や相馬屋菓子店、佐々木酒造などがあった。


名取市閖上:2011年4月14日の記録

2017-10-06 14:32:01 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

2011年4月14日閖上付近 (↓小塚原下田辺り)

       

 

震災から1ヶ月を越える。

所用があって、作業の邪魔にならないようにと、気を使いながら閖上へ行った。

壁に車が刺さっていた知人宅、その後の車が取り除かれた現状を確認。

名取市役所から東へ進むたびに、次第に様子が変わる。

田畑に物が散乱し、瓦礫は進むたびに多くなっていった。

 

浜から幾分か離れた道沿いで、民家の脇に、本来あるはずの無い舟が乗りあがっている。



重機で瓦礫を集め、道の端に寄せている。それで道が通れるようになっていた。


最前線で働く自衛隊員たちに、頭が下がる。
任務とはいえ、毎日のこの作業は、大変な作業であると一目で察しがつく。
           


店や家が並んでいた場所も、何もかもが滅茶苦茶だ。


ここが、あの場所だったろうかと、分らなくなる。

水揚げがあると、赤貝丼ののぼりが出ていた港の周辺も、かつて猫が横切った長閑な光景はもう無い。

 

あんなに緑に囲まれていた道が、浜辺のようになっていた。

帰り道、田んぼの一角に座り込む男性の背中を見た。
切なかった。