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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

亘理のえんころ:2011年11月の記録

2017-10-22 16:27:07 | 東北被災地の歩み:亘理・山元

津波に消えた町の思い出がある。

町はまた、人々によって作られる、その道を進む中で、思い出も大事にしたい。

かつて、そこにあって輝いていたことを、書き残しておきたい。


2008のことだ。

仙台から南方へと進むと、阿武隈川にぶつかる。

橋を渡って亘理に入り、阿武隈川沿いに荒浜方面へと向かう途中だった。


「あれ、お菓子屋さんの看板があった。」と我輩が騒ぐと、
「また見つけたか。どうする、戻ってみる?」と連れ合いが言う。

少し先から、ちょいと戻ってみると、やはりお店があって、看板には「作間屋支店」と書かれている。

そこには、明るく気さくな女将さんがいた。


この店で、「えんころ餅」を買った。

 

「えんころ餅」は、冷凍保存されているのだが、地場産品を活かしたお団子だと聞き、これは買わずにいられないと思った素敵な品だ。


買うときに、女将さんが苦笑いしながら

「うちでも食べようと、直ぐ食べたくてレンジに入れたことがあるんだけど、爆発しちゃって」と話してくれ、

「我慢して自然解凍しなくちゃね」と笑った。


帰宅して、丁度「えんころ餅」が溶けた頃合いだ。さっそく味わおうと包みを開けると、

「あ!」


小さな熨斗袋が出てきてびっくりした。袋の中には5円が入っていた。


「ご縁がありますように」ということだろう。

中身にたどり着く前に、すでに楽しい気持ちでいっぱいになる。

あったかい心遣いを喜びながら、箱の蓋を開けた。

 


亘理のもち米を使い、まあるく一口大のお団子にしてある。

団子の中に、醤油たれが入っていて、団子の上には、荒浜の海苔が乗せてあった。

 

甘しょっぱいたれに、ほんのりと唐辛子の辛味がある。 

海苔の香りがとても良く合い、亘理の海を思い起こさせる、素敵なお菓子だった。


粋で旨い、亘理荒浜の「えんころ餅」は、客の喜ぶ顔を思い浮かべながら作っているのだろうと、作り手の気持ちが感じられる。

喜びと香りと味と、たくさん思い出に残る一品だった。

 

                

そして、震災後。


この作間屋さんも、津波の被害を受けた。


阿武隈川では、強い力で川を水が遡り、蛇行する川の曲がり角で激しくぶつかり、大きくゆとりを持って作られた土手を越えて、付近の住宅を損壊していったようだ。


河口から少し入った所は、比較的まっすぐな流れに沿った地区で建物が残っているのに対し、丁度曲がり角の所に当たる地域は、損壊が激しかった。
あの大きな土手まで越えるとは、何という凄さだったのかと、津波の酷さを思い知らされた。

    
3月に、連れ合いがあの辺りに片付けの手伝いに行った時、作間屋さんの所は1階は浸水した様だが、建物は残っていたというので、店の方々も無事と思われた。

  

そして先日、亘理へ行き、作間屋さんの様子も見てきた。

損壊した店の奥に、灯りが見えた。

片付けだろうか、何か作業をしているようだった。

 

 

大変だろうと思うが、やはり店の再開を願い、「えんころ餅」の復活も願っている。


その「えんころ」だが、宮城に「えんころ節」という祝い唄がある。

この唄の発祥の地が、亘理だと言われている。


藩政時代から歌い継がれ、近年も、亘理町では「えんころ節大会」が行われてきたのだった。

再び、この祝い唄が響く町にし、亘理の米と共に、荒浜の海苔も味わえるようにと心から願っている。             


 

かつての、荒浜から内に続く湾、鳥の海。

震災前は湾を周遊でき、南側からも、葦原や緑の豊かな景色が眺められた。




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