ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

点検も地震の備えと助け合いのうち

2018-06-18 13:26:11 | 災害について考える

地震の都度、他人事と思わずに、身の回りを点検することも、備えのうちである。

今朝の大阪での地震で、塀が崩れて犠牲者が出てしまった。

四十年前の宮城県沖地震で、ブロック塀倒壊による幾人もの犠牲者がいたことを思い出す。

悲しい。


熊本では、大きな地震発生の後日、同震度の地震があった。

二度続くこともあると、心しておかねばならぬ。


断層地震に多いと言われる、直下型地震は、一気に揺れが起こり、短時間に激しく揺れて被害が出やすい。

加えて、直下型地震は予知がほとんどできないという。

 

いかに、避難の仕方や避難路、危険個所の点検をしておくことが大切か。

事前の備えも、助け合いのうちであると心得たい。


 

※ 断層については国土地理院が、断層地図は産業技術総合研究所が公表している。

  また、日頃の備えについても東京消防庁が公表している。

  こうした情報を活用して、日々、心構えをしておきたい。




四十年前の今日は宮城県沖地震

2018-06-12 17:18:46 | 今昔あれこれ

昨夜、もう四十年になるのかと連れ合いと話していた。

1978年6月12日、夕方5時頃のことであった。宮城県沖地震発生。


連れ合いは、近所の小学校で、校庭が地割れしたのを見たという。

すごい揺れで、その場から動けなかったそうだ。


当時の私は岩手にいて、被害が無かったため記憶が薄いが、地震報道は覚えている。

ことに、仙台でブロック塀の倒壊によって、何人も死者が出たという報道は強く心に残った。

 

建物の倒壊が多かった宮城県沖地震。これを機に、建物や外構の強度を高めることとなった。


後に私は、東海地方に住んだことがあり、その頃に阪神淡路大震災もあって、地震への意識がかなり高まった。

応急手当の講習や、起震車乗車を含む防災訓練も何度か参加した。


さらに後、東北に帰って仙台に住み、岩手・宮城内陸地震や東日本大震災を経験する。


家具や物の置き方、持ち物、心構えなど、事前の準備が有効だった。

不気味な本震と度重なる余震にも、落下物はほとんど無く、収納箱ごと棚からずれた本と茶碗2つだけ。


平時に意識していることが、いざという時に役立つのだと実感。

町内会も、震災前から、地震への意識を高める活動をしていて、これに参加したことも有益だった。


私がいた町内会では、消防隊を招いて、消火活動と併せて応急手当の講習も行うよう、行事を設定してくれたし、さらに、東北大教授による地震に対する講習会も開催してくれた。

震災後も講習会を開催し、震災時に起きた混乱や課題を消防の方から聞くことができた。


一人一人が事前に学んでおくことで、いざという時に、どうにか落ち着いて行動できる。

あまたの人々に、備えを忘れないでほしい。

 

  ↓ 講習会資料と、震災前に自作の応急手当手引き


2013年4月3日の記録:仙台荒浜近辺

2018-06-11 18:15:39 | 東北被災地の歩み:仙台

若林区六郷から、さらに東の荒浜や井土方面へと進む。

仙台市の東は、農地として市街地調整されている。広大な田畑があり、堀が通り、合間に住宅地が点在していた。


そんな景色も、津波で大きく変わった。

多くの建物を失い、豊かで整っていた農地は荒れてしまう。


だが、震災からずっと、この地は再生へと手入れがなされてきた。

様々な人々が協力しあい、今も再生への努力は続いている。


散乱した物は片付けられ、水や塩分を排出し、水路を整備する工事が行われていた。




少しずつ取り戻していく農地。

震災後の生産再開には、加工も含めた新たな生産方法も考えられている。

 

復旧作業中の農地の奥には、所々で盛土が見える。


海側では堤防工事が進められている。

今後、盛土はもっと増えていき、県道の脇も変化する予定。

かさ上げ道路にして、二重堤防の役割を持たせるためだ。

 

海岸堤防と海外防災林の内陸側に、かさ上げ道路を設置して津波を弱める。

さらに内陸の市街地側には、避難ビルも設ける。

再生とともに、今後の災害への対策も同時進行している。


参考:仙台市震災復興計画/仙台市経済局「仙台市農業の復旧・復興の取り組みについて」


梅雨入り翌日晴れ楽天勝利

2018-06-07 23:33:14 | 今昔あれこれ

昨日六月六日に梅雨入りした関東。


雨の中、向かった先は東京ドーム。

先ずはバッティング練習を見て、胸を踊らせる。

                                                       

                                            

試合は、新人の近藤君が初登板。

本塁打を浴びながらも、その後崩れることなく健闘したが、五回途中降板。 

しかしながら、力強いストレートは魅力的であった。

今後が楽しみである。 

 

かなりアウェイ感の強い中で、周りの視線は冷たいが、構わず熱く大声で応援。

3点を追いかけての9回表、挫けず声援を送り続けた願いが通じたらしい。

フォアボールで茂木が出塁し、ノーマークの中2塁に走塁。

ランナー2塁において、2アウト。

あと一人コールも出る中、外野レフト側の楽天応援団の声が高まり、当方もバックネット後方で声をあげる。


ウィーラーがやってくれた。もうちょっとで本塁打、壁に当たって2ベース。

惜しかったなあ。

しかし、そのおかげで茂木が生還し、

「お帰り茂木ちゃん、やったー」と大喜びであった。


ただし、結果は3対1でこの日は負けた。


翌日、梅雨空が消えて晴れて暑い。


この日はテレビ観戦だが、東京ドームで岸が登板し、見事1500奪三振記録達成。

空と同じく気分も晴れ晴れとした日であった。


それにしても、東京ドームは温度湿度が一定で虫もいないし快適であった。

しかし、どこか臨場感に欠ける。


仙台の球場は虫が出るし、風も吹くが、空の下で自然の空気と人の呼吸や鼓動が調和する感覚がいい。

選手と共にある臨場感が、より一層あふれている。

やっぱり仙台がいいなと恋しくなった。