追波湾沿いの道を進むと、漁船が多く出ている漁港が見えた。大室漁港である。
何と美しい風景だろう。港から小島が見えるのも風情がある。
大室では、神楽の伝承がなされているそうだ。津波直後も、皆が同じ苦境に立ったからこそ、「やるのだ」という意欲を失わなかったという。
大室漁港を過ぎると、白浜漁港を通り、次第に河口へと近づいていく。
北上町には、追波湾に流れ込む大きな川がある。
もとは北上川支流の追波川だった。
明治に北上川の安定を図って、河口を二つに分散させるように工事し、本流を追波川に合流させたため、今はこの追波川が北上川となっている。
一方は石巻市街地を通って石巻湾へ、もう一方は北上町の追波川へと合流させて追波湾へと流れ込んでいるのだ。
長塩谷や立神の辺りは、海と川の境目で、波と川の流れが交じり合う様子も見える。
この辺りは、河口沿いに津波で壊れた車が積み上げられたり、土嚢が置かれていたりする。
道路が水際に近く、傷みが酷いので護岸と共に工事中で、少し陸地側を通行するように道路が整備されていた。
その道を進むと、吉浜小学校の前を通る。
(最上階まで空っぽで、上まで浸水したことが分る)
3・11津波の時、校内に残っていた児童と職員合わせて10名は、屋上に逃げて何とか助かった。
しかし、近くにあって避難所となっていた北上支所の庁舎で、児童を含む多くの方が犠牲になっている。
そこから先は、樋門や水門も破壊され、改修が必要な箇所が目につく。
(月浜第二水門)
この辺りの道路も、被災直後は堤防の決壊で分断されていたが、緊急復旧工事が進められて今では通行可能になっている。
月浜第一水門に差し掛かる。
震災時には水門は閉じたそうだが、道が傷んで周辺も荒れており、津波が水門を越えていったのが窺える。
被害の酷かった地域だが、国土交通省などの情報を見ると、余震の多発する中、震災の3日後には工事に着手していた。
必要な道を確保し、安全な道への整備と、河川施設の復旧や海岸保全など、日々努力が続いている。
土木作業に当たられる方々の尽力に感謝だ。