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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

石巻線万石浦沿い復旧工事:2012年7月4日の記録

2017-09-16 23:22:04 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

石巻の東、渡波から女川へと通る道に沿って、湖のように穏やかな内海が広がる。

これが、万石浦である。

渡波港から、川のように狭まって海が繋がっていて、奥で広くなっているのだ。


その万石浦に沿って、線路が見える。 

石巻線だ。

 

震災による津波で壊れたが、万石浦駅の東隣に沢田駅があり、さらに東へ進んで女川に入ると浦宿駅となっていた。

万石浦沿いの線路は、震災後も残っていたが、護岸を強化しながら修復せねば使えない。


線路の復旧は、町の復興計画とも連動し、被害によっては線路の移動も考えられる。

万石浦沿いの復旧は、直ぐには実行できなかった。


ようやく今年(2012年)の3月に復旧計画が出され、渡波から浦宿まで、現状の路線で敷き直しする方針となった。

そして今、線路の修復工事が進められている。 


折立踏切のところで、途切れた線路が見えた。


途切れた線路の先で、土を均して復旧作業に励む様子が見える。

線路はまるで、

「さあ、これからこれから」と、気合の声をかけているみたいだ。



南三陸町:2012年6月の記録(ダンゴウオとクチバシカジカ)

2017-09-16 10:55:40 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

海の町で生きてきた人々。

今、浜の暮らしを取り戻すため奮闘中。

海の仕事を取り戻すまでに、「色々と、とにかくできることを」と、尽力している。

手仕事で、様々な小間物や雑貨なども作っている。

それを生業にも、励みにもしているのだ。


(伊里前「復幸商店街」の中にある、「うたちゃんショップ」の様子) 


その中に、めんこい飾りがあった。

南三陸町の仮設商店街で売られているものだ。

「ぷにぷに まめだんご」と、名前がついている。


つぶらな瞳と、福々しい姿が、なんともめんこい。

実はこれ、「ダンゴウオ」という、志津川湾に生息する小さな珍しい魚を模したものだ。


もうひとつ、「カラフル クウちゃん」というのもある。

これは、「クチバシカジカ」という、やはり志津川湾に生息する魚だ。


そもそも、小さくて希少種とのことだが、津波の後もダンゴウオの姿が見られたらしい。

さらに、津波で一時は見当たらなかったが、今年になって産卵したクチバシカジカが発見されたという。


今回は、「ダンゴウオ」の福々しさが気に入って、こちらの飾りを買った我が連れ合いは、まるで子どもみたいに嬉しそうにして、直ぐに携帯電話につけていた。


次に行った時は、ちゃんと戻ってきて卵を抱いていたというクチバシカジカを敬い、「クウちゃん」を買おうと思っている。

(「ふくらく通信」手書き版原稿より)


南三陸町 歌津伊里前:2012年6月の記録

2017-09-16 10:13:09 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

歌津、伊里前の復幸商店街は、暮らしに寄り添う空気がある。

(2012/6/6)

もちろん土産物もあるが、地元の人が、日頃足を運ぶような場所でもある。


マルアラ及川商店さんは、土産物となる加工品だけでなく、 鮮魚も惣菜も用意してあったし、気軽に楽しめる鯛焼きやソフトクリームの売り場も備えていた。


丁度、社長さんがおられ、大変親切に時間を割いて会話に付き合ってくださった。

ふくらく通信 (東北の輝きを発信) 


ここの人々は力強く、浜の暮らしを取り戻そうと早々に立ち上がった。

だが、震災直後は、本当に皆がっくりと力を落とし、初めは漁師さんたちも船に乗りたがらなかったという。


陸で片づけをしていたが、力が入らない。

そろそろ船に乗せたいと思い、及川さんは口にしたという。

「海の片付け」ということで、漁師さんたちに頼み、残った船を出してもらったそうだ。


初めはしぶしぶ乗った人々が、海に出るたびに目に力が甦り、表情が輝いてきたという。

やっぱり、海で育った人々は、海に出て働くのが一番なのだろう。

 

この話が最も心に残り、思い出すたびに涙が滲む。


今、本当に力強く奮闘している人々の輝きを知るだけに、失意に打ち勝つのに、どれほど内にある力を振り絞り、歯を食いしばってきたかを思うと、胸が熱くなるのだ。


そして、その方々の踏ん張りを思うと、こちらも容易でない物事に立ち向かう意気を取り戻す。



輝きを分かち合えば、爽やかで愉快になるものだ。

きっと、明日が今日より良いものになるだろう。