2012年7月、志津川から海沿いの道を通って、雄勝や女川を回った。
志津川病院前を行き、南へと湾に沿って進む。
昨年には、傷みが激しくて海水が入り込んでいる箇所もあり、通ることが出来なかった道であった。
だが、今年の7月には、その道も片付いていたし、工事に当たる人々の他、交通整理に当たる方もいて通ることが出来た。
土木工事や交通整理にと働く方々に、頭を下げて通る。本当にありがたい。
湾の縁は崩れ、水際が道に迫りやすい。
湾内や周辺の片づけにも、港の整備工事にも時間がかかるから、今は湾岸各地に大型土嚢が積まれている状態だ。
湾岸には、町の欠片が築山のようになって、所々に積まれている。
その向こうにある穏やかな海は、青く澄んで輝き美しい。
普段なら、こんなに素晴らしい海なのだ。
志津川湾には小さな漁港がたくさんある。
今は、養殖用の浮きが並ぶ穏やかな光景が津波の傷跡を和らげるが、あの日は、まるで違う光景があった。
激しく岬にぶつかり迫る波、何とか上った家の屋根ごと志津川湾に流され、駄目かも知れぬと思いながら懸命に耐えて漂い、沖に出して戻ってきた漁船に助けられたという証言もある。
志津川湾は、北側の奥に志津川の市街地があって、南側が「戸倉地区」であった。
陸地は、戸倉の小学校の辺りから東へと張り出す形になり、志津川市街地の対岸辺りに「波伝谷(はでんや)」という地域がある。
そこには、戸倉神社や戸倉漁協があった。
階段の上にある神社の社殿は残っていたが、下は建物の流された跡が見え、漁協もがらんどうになっていて、津波の凄さを思い知る。
海は時に姿を変え、うねりながら陸に乗りあがってしまえば、重くのしかかって町を崩していく。
これから先は、そんな時の海も理解し、命を守れる暮らし方や町づくりが必要だ。
これからも海と人が、良い関係であるように。