女川湾に沿った道の脇に、櫓が組まれて看板が掲げられていた。
良く見ると「国道計画高さ」とある。
2階建ての高さほどもあろうか。新たな国道が、この高さに作られる計画だ。
実は、海側に津波防波堤を設け、さらに湾岸に嵩上げした国道を作る大規模な計画がある。
これほどの計画が提示されるには理由がある。
もしも、国道の嵩上げだけならば、この高さでも決して高くはないのだ。
万石浦の東端の「浦宿」辺りで、海から少し離れた所に蒲鉾工場の「高政」がある。
ここでは、各地から訪れる人々に、あの日の震災と津波のことを語り継いでいる。
当方が立ち寄った時は偶然に団体客がいて、語り部が映像を交えて淡々と、あの日のことを伝えている所だった。
語り部の伝える津波の様子から、女川では初めは静かに水が侵入したかと思うと、見る間に増水していき、建物を飲み込んでいったのが分る。
記録映像には、渦を巻いて町を飲み込む津波が映っていた。
その水の量は、熊の神社手前で高台にあった女川病院まで達したという。
病院も1階部分が浸水し、諸々流され壊された。
(↓女川病院:現・地域医療センター2012年2月撮影)
これほどの高さまで増水し、渦を巻いた津波。
女川で、これを目の当たりにして耐えた人々は、どれほど切なかったろう。
だからこそ考えるのだ。
同じ轍を踏まぬため、大切な命を守るために出来ることは何か。
語り部は、共に考える機会を、人々に分け与えてくれている。