以前に訪れたのは、前年の2月末。
その5ヶ月後、震災からは1年と4ヶ月が経っていたが、変化はあったろうか。
2月には、震災による廃棄物がたくさん積まれていた。(2012/2/28撮影↓)
その後、女川の震災がれきは、3月に東京都が受け入れを開始し、運搬された。
おかげで、解体や片づけが進んだように思われる。
広域処理には賛否あり、色んな事を言う人がいる。
けれども、現地に行ってみると、やはり震災がれきを早く移動したい気持ちが分る。
置き場の確保のために、道をふさいでいる場所もあった。(↓2012/2/8)
処理がままならずに置き場が一杯になれば、次の解体や片づけが進まないだろうと察せられる。
そうなると、港の整備や漁業の再開も遠のく。港の町にとって大きな問題だった。
実際、震災で出た町の破片が運ばれて行ったことで、次の片づけが進められ、道路や港の整備も進んでいったように思う。
2月には、旧マリンパル女川や銀行の建物が残っていたが、7月には解体が住み、手前の横倒しになった建物だけが残っていた。
(2月の様子↓ 横倒し建物の左にマリンパル、奥に銀行)
(7月の様子↓)
この横倒しの建物は、江島(えのしま)共済会館という建物だ。
江島会館は、津波の伝承のために残したいという意向と、撤去して欲しいという意向の間で、保存するかどうか迷いながら残されていた。
女川魚市場の仮事務所では、周辺に資材が置かれ、整備が進められる様子。
(2月の仮事務所周辺↓)
(7月の仮事務所周辺↓)
2月には、まだ町の破片があちこちに残っていた港。
仮橋が置かれているようだが、片付けに利用しているのだろうか。
(2月の様子↓)
7月には、橋の先の土地が削られていた。壊れた舗装や礫を片付けたためか、少し地形が変わっている気がする。(↓7月の様子)
2月には、湾岸の舗装は割れてでこぼこになっていた所が多かったが、7月には砂利敷きで平地となっている部分もあった。
護岸の整備も始めている様子だ。