バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

鎮魂の想いと祈り…2014

2014-03-11 06:40:10 | やっぱりミニバス!
平成26年3月11日 火曜日
 
「鎮魂の想いと祈り…2014」


昨年、綴った想いを再び綴ります。


『あの日、発災から72時間で、15,900名の命が救われた。

救助活動にあたった隊員で家族を失った者は、360名にのぼる。

その隊員達は、自分達の使命を優先した。

それが任務だから、当然だろうと思う…が、辛い。

そして、発災から72時間で、15,900名の命が救われた。

もっと救うことができたかもしれない…

一方で、それで十分に救うことができたのかもしれない。


命を救うことができたら幸(サイワ)いだろう。

ご遺体を見つけ、御家族に引き渡す辛さは計り知れない。

しかし、それが使命である限り、やらなければならない。


『ガレキは棄てろ、砂は棄てろ、

しかし、思い出を掘り起こせ!』

…現場で災害救助活動にあたった、現場指揮官の言葉だ。


あれから三年、

一万五千名を越える人達が亡くなり、

今でも、二千名を越える人達が行方不明でいる。

まだ鎮魂されていない方々がいる。


東京以西の都会では、忘れられたような普段の生活が流れている。

今日というこの刻(トキ)は、思い出すものであってはならない…

あの刻に立ち戻らなければならないと思う。

思い出は、いずれあせていくから…

立ち戻ることで、成すべきために為すことを忘れないことができる。

亡くなられた人命を悼み、

助けられなかった命に悔やみ、


忘れない、絶対に忘れてはならないと思う。

『2011.3.11』…恐怖と絶望を味わいながら、多くの犠牲を出しながら、

それでも、生きるために立ち向かっていった人達の苦しく辛い想いを感じなければならないと思う。


その想いを、我が身のものとすることは出来ない…が、

その想いを感じることをしなければならない。

鎮魂の祈りを束ねて、心に刻まなければならない。』


『2014.3.11…鎮魂の想い、そして祈り』