バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

死生観…2013

2013-03-27 00:45:50 | やっぱりミニバス!
平成25年3月27日 水曜日
 
「死生観…2013」
(小説“光圀伝”から)


水戸光圀の傅役の伊藤玄蕃が、死の床にあり、それを見舞った時の光圀に、玄蕃が語った言葉…思想だとあります。

それをこの小説では、水戸家の“死生観”だと書いています。


『これにて今生のお別れにございます。

死を恐れはせずとも、

生を放り出すには忍びず。

せいぜい養生し、

達者に冥途へ辿り着きましょうぞ 』


生きることには執着せずとも、与えられた寿命は健全に全うし、冥途へ旅立つ覚悟であること

“生“と“死”が繋がっている観かた…すなわち、死生観だと思います。

ならば何故、“生死観”ではなく、“死生観”なのでしょうか?

“生”の後に“死”があるなら、生の間に死を観るのであれば、“生死観”だと思います。

“死生観”は…“生死”の狭間にある分かたれたものではなく、

“死”は“生”にとって必然なものです。

生きることは、死を意識しているならば、如何に死するかではなく、

死を前にして、如何に生きるかが、“如在”であることの命題だと言っています。

“生”を受けた瞬間に、“死”が必然と存在するから…死を見つめて生きること、

だから、“死生観”だと思うのです。

“如在”…すなわち、“死生観”なのです。

それは、“死”によって無に帰するものではなく、生きた事実は永遠に消えることはないのです。

それが、“如在”であり、“死生観”だと言っているのです。