平成25年3月22日 金曜日
「天地の狭間にあるもの…2013」
(小説~光圀伝 から)
今、読書中の小説“光圀伝”から心に響いたところを書いてみました。
……………………………………………………………………
『天地の狭間にあるもの、ことごとくが師…』
天地が自分を取り囲んでいるのは当たり前である。
だが当たり前のことが、驚くほど鮮やかに認識されていた。
まるで今初めて天地の存在に気づいたという感覚だった。
天地の狭間にあるもの全てが師であることを知ることから始めなければならない。
己の虚しさを知ることで、己が満たされていくことを感じなければならない。
そうすれば、思い悩むことに、思いわずらうこともなく、ただひたすらに思う事を為すことに夢中になれる。
思いわずらうことなかれ、 為さざれば成らぬのは 必至…ならば、為さざるをえず。
出来るか、出来ないか…ではなく、
為すか、為さぬか…であり、為すことがなければ、成らぬものも成らない。
これほどに悔やむ生き方をしてよいのか?
“生きる”とは、そういうことだろう。
「天地の狭間にあるもの…2013」
(小説~光圀伝 から)
今、読書中の小説“光圀伝”から心に響いたところを書いてみました。
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『天地の狭間にあるもの、ことごとくが師…』
天地が自分を取り囲んでいるのは当たり前である。
だが当たり前のことが、驚くほど鮮やかに認識されていた。
まるで今初めて天地の存在に気づいたという感覚だった。
天地の狭間にあるもの全てが師であることを知ることから始めなければならない。
己の虚しさを知ることで、己が満たされていくことを感じなければならない。
そうすれば、思い悩むことに、思いわずらうこともなく、ただひたすらに思う事を為すことに夢中になれる。
思いわずらうことなかれ、 為さざれば成らぬのは 必至…ならば、為さざるをえず。
出来るか、出来ないか…ではなく、
為すか、為さぬか…であり、為すことがなければ、成らぬものも成らない。
これほどに悔やむ生き方をしてよいのか?
“生きる”とは、そういうことだろう。