日本の傳統(伝統)を守らう!

皇位繼承問題を主に扱ひます。メル突(場合によっては電突)を實踐(実践)・推奬してゐます。

朝日新聞によつて歪曲される藤原正彦氏の「国家の品格」

2006-01-01 22:37:01 | 反日メディア

去年、藤原氏の「国家の品格」を読みましたけれど、素晴しい内容でした。

2005年元日の朝日新聞の社説にある様に確かに、 『「武士道精神に照らし合わせれば、これはもっとも恥ずかしい、卑怯(ひきょう) なこと」(藤原氏)』 というフレーズはありますが、 そこの部分だけ抜き出して論ずるのは歪曲と言はざるを得ないでせう。

朝日新聞の伝ふ論調の本では全くありません。 むしろ読めば、 朝日新聞こそが伝統を重んじない、 武士道精神に乗つ取つてゐない報道機関であることが分かるでせう。

皇位継承問題に言及するところが一箇所だけありますが、 当然のごとく反対です。

藤原氏はあくまで弱い者(支那)をいぢめたことを、 武士道精神に照らし合はせて非難してゐるだけです。

去年読んだ中では一番心を揺振られた本でした。安いですし内容も長く 無くすぐに読めますので、御一読をお勧めします。

武士道をどう生かす 2006謹賀新年 (2005年元日朝日新聞社説)

 明けましておめでとうございます。

 今日はこの言葉が日本中を行き交っていることだろう。

 正月がめでたいのは、気分新たに幸せが来そうな気がするから。英語で「ハッピー・ニューイヤー」、中国語では「新年快楽」や「新年愉快」。この気持ちは世界に共通のようだ。

 あなたの願いは何だろう。入試、就職、恋愛、仕事、健康、平和……。みなさまの幸せを心からお祈りしたい。

 ところが困ったことに、幸運は平等にはやってこない。スポーツに勝者と敗者があるように、我が身の幸せはしばしば他人の不運と重なり合う。

 昨年は郵政民営化で勝者と敗者が明暗を分けた。織田信長を好む小泉首相は気迫で総選挙の勝負に出ると、造反派のもとに「刺客」を送る非情さも見せた。 ●内外のいらだち

 「戦国武将に比べれば、いまの権力闘争などなまっちょろい」

 甘えやもたれ合いの時代が去ったからこそ、これが余計受けたのか。いまは能力や成果を争う「競争」の時代だ。

 しかし、それはちょっと嫌な言葉も生んだ。「勝ち組」と「負け組」である。

 IT事業や投資ブームの波に乗ったリッチな人々。一方で倒産、失業、リストラ。正社員は減り、フリーターやニートが増える。所得の差は広がり、自殺者は空前の水準。競争と二分化によって生まれる社会のいらだちは、これからの大きな課題に違いない。

 そんな折、この国の近所づきあいがすっかりこじれたのは偶然ではないかもしれない。日中も日韓も首脳間の信頼がこれほど壊れてしまうとは……。

 大きな火種は小泉首相の靖国神社への参拝だ。悪いのはそっちだ、いや、そっちの方がおかしい。子供のようなけんかは歴史の歯車を逆転させ、せっかく緒についた「東アジア共同体」の機運にも水を差してしまった。

 昨春、北京や上海で暴力騒ぎになった反日デモのように、中国や韓国には荒々しいナショナリズムが横たわる。中国の強権的な支配や軍事力膨張の不気味さなども厄介で、こちらがきちんともの申すべき点は少なくない。 ●他者への哀れみは

 だが、それだけに身をただすべきこの日本は、どうだろう。

 「牙を剥(む)く中華帝国」

 「反日国際ネットワークを粉砕せよ」

 まるで戦争前夜のような見出しが一部の大手雑誌に毎号のように躍る。呼応するかのように有力政治家も寄稿する。

 空前の韓流ブームは救いだが、一方で『嫌韓』の言葉を冠した漫画が何十万部も売れている。インターネットにはさらに激しい言葉があふれる。冷静さを欠いた言論は、まるで国内のいらだちを外に吐き出しているかのようだ。

 「外国の干渉を許すな」と、首相の参拝を支持する人々の声もとかく勇ましい。郵政問題を武将の流儀で押し切ったように、ここでも強気で押してこそ国家のリーダーだ、といわんばかりに。

 そういえば少し前、映画『ラストサムライ』のヒットもあって、ちょっとした「武士道」ブームが起きた。忠義のため命を捨てる潔さがたたえられがちだが、その本質は決して好戦的ではない。

 1世紀ほど前、新渡戸稲造は英語で出版した名著『武士道』のなかで、「いつでも失わぬ他者への哀れみの心」こそサムライに似つかわしいと書いた。弱者や敗者への「仁」であり、「武士の情け」「惻隠(そくいん)の情」のことである。

 最近では数学者の藤原正彦氏がベストセラー『国家の品格』でそうした側面を強調し、武士道精神の復活こそ日本の将来のカギを握ると唱えている。

 ならば「武士道精神に照らし合わせれば、これはもっとも恥ずかしい、卑怯(ひきょう)なこと」(藤原氏)だった日中戦争に、いまだけじめがつかないので は話にならない。あの時代、アジアでいち早く近代化に成功した「勝ち組」が「負け組」に襲いかかったのがこの戦争だった。

 靖国神社はその軍部指導者までたたえて祀(まつ)っている。そこに、中国などの神経を逆なでして首相が参拝し続けるのは、武士道の振る舞いではあるまい。参拝をはやしたてる人々もまたしかりだ。

●品格を競いたい

 いま「60年たっても反省できない日本」が欧米でも語られがちだ。誤解や誇張も大いにあるが、我々が深刻に考えるべきはモラルだけでな く、そんなイメージを作らせてしまう戦略性の乏しさだ。なぜ、わざわざ中韓を刺激して「反日同盟」に追いやるのか。成熟国の日本にアジアのリーダー役を期 待すればこそ、嘆く人が外国にも少なくない。

 中国の急成長によって、ひょっとすると次は日本が負け組になるのかも知れない。そんな心理の逆転が日本人に余裕を失わせているのだろうか。だが、それでは日本の姿を小さくするだけだ。

 武士道で語られる「仁」とは、もともと孔子の教えだ。惻隠の情とは孟子の言葉である。だからこそ、子供のけんかをやめて、大国らしい仁や 品格を競い合うぐらいの関係に持ち込むことは、アジア戦略を描くときに欠かせない視点である。秋に新たな首相が選ばれる今年こそ、大きな転換の年とした い。

 ことは外交にとどまらない。

 国民の二極分化が進む日本では、まだまだつらい改革が待っている。競争や自助努力が求められる厳しい時代だからこそ、一方で必要なのは弱者や敗者、立場の違う相手を思いやる精神ではないか。隣国との付き合い方は、日本社会の将来を考えることとも重なり合う。

 自分の幸せを、少しでも他者の幸せに重ねたい。「新年愉快」ならぬ「年中不愉快」が続いては困るのだ。