日本の傳統(伝統)を守らう!

皇位繼承問題を主に扱ひます。メル突(場合によっては電突)を實踐(実践)・推奬してゐます。

文語文にて書かるべし

2006-06-11 12:47:49 | 正字正假名遣

産經に「文語文で書かれるべき教育基本法」といふ論評が載れり。

【正論】文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司 (産經新聞 2006年06月04日)

 ■文語文で書かれるべき教育基本法

 ■法改正よりも重要な言葉の改正

 ≪蔑ろにされた「正統表記」≫

 教育基本法や憲法の改正の問題が世人の関心を集めているが、戦後の占領下に、いわば安普請の家のように作られてしまったものを、戦後60 年余りたった今日、改正しようとするのは当然のことであろう。しかし、この二つの法の他に、もっと大事なものの見直しが忘れられてはいないか。それは、 「現代かなづかい」の問題である。もっと大事というのは、教育基本法や憲法も日本語で書かれるものである以上、言葉の問題に左右されるからである。

 今日、われわれが普段使っている「現代かなづかい」は、昭和21年9月の第11回国語審議会で制定された。この「現代かなづかい」の非を論じ、「歴史的かなづかひ」の正統性を訴え続けたのは、福田恆存であった。

 その名著『私の国語教室』を収めた全集の巻末の覚書に、「幾多の先学の血の滲むやうな苦心努力によ つて守られて来た正統表記が、戦後倉皇の間、人々の関心が衣食のことにかかづらひ、他を顧みる余裕のない隙(すき)に乗じて、慌(あわただ)しく覆されて しまつた、まことに取返しのつかぬ痛恨事である。しかも一方では相も変らず伝統だの文化だのといふお題目を並べ立てる、その依つて立つべき『言葉』を蔑 (ないがし)ろにしておきながら、何が伝統、何が文化であらう。なるほど、戦に敗れるといふのはかういふことだつたのか」と書いている。

 ≪口語文では改革も空疎に≫

 教育基本法も憲法も「戦後倉皇(そうこう)の間」に、「慌しく」作られてしまったのは同様である。今日の日本の惨状は、「なるほど、戦に 敗れるといふのはかういふことだつたのか」という慨嘆を多くの日本人の心にもたらすであろう。その根本の原因は、「戦に敗れ」たこと、そして「言葉」を 「覆されてしまつた」ことなのである。

 だから、教育基本法や憲法の改正よりも、この「言葉」の改正は重要なことなのであり、心ある国語学者をはじめ、言葉にかかわる仕事をしている日本人が、この問題を喫緊の問題として認識し、具体的な運動が起こってくることを強く願うものである。

 私は、その手始めとして、改正教育基本法は文語文で書かれるべきだという提案をしたいと思う。今回 の改正案が継続審議ということになれば、文語文に書き直す時間もできるであろう。文語文であれば、当然「歴史的かなづかひ」で表記される。これが、本来の 表記であるという認識が生まれることになる。

 山本夏彦は、「私は文語文を国語の遺産、柱石だと思っている」と言った。教育基本法の改正案でも、「相も変らず伝統だの文化だのといふお 題目を並べ立て」ているが、伝統とか文化とかをいうならば、それを文語文で書き表すくらいの教養は必要ではないか。今日の、空疎な感じがする口語文で書か れた改革案では、歴史とか伝統とかいっても、本当にそれらを深く感覚しているのか疑わしい。

 吉田満の『戦艦大和ノ最期』は、周知の通り文語体で書かれた傑作であるが、占領下の昭和22年に不本意ながら吉田自身によって口語文に 作り直されたものが残っている。この二つを読み比べてみると、口語文のものは全くといっていいほど原作の格調を失ってしまっている。口語文は、歴史の悲劇 を担いきれないのであろう。口語文では、例えば開戦詔書の文章は書けまい。これ一つとっても、日本は「平和国家」にとどまるしかできないであろう。

 聖書についても、今日の口語訳には文語訳が持っていた何かとても大切なものが消えてしまっている。聖書の「言葉」とは、精神の危機的局 面に深く関係したものであり、それには文語文がふさわしい。文語文は、精神の悲劇や深みの表現には向いているのであり、口語文は日常的な平板な世界の消息 を語ることはできても、精神の垂直性に届くことはまれだからである。

 ≪日本語の淵源忘れぬよう≫

 文語文を復活しようというのではない。そんなことはもはや不可能である。ただ、日本 語の文章、普段使われている口語文の、淵源(えんげん)としての規範に文語文の格調、リズムなどがあることを絶えず思いだしていることの重要性をいってい るのである。そして、日本の歴史に危機、悲劇が起きたとき、それを担う文語文を作り出せる準備、蓄積が大切である。そのためには、権威と品格が要求される教育基本法のような根本の理念を記す文章は、正統的な「歴史的かなづかひ」による、歴史と伝統と文化がしみ込んだ文語文であるべきである。このことは、憲法、皇室典範についてもいえるであろう。(しんぽ ゆうじ)

我も文語調にしたしと前々から思ひたり。 以前より文章中の叮嚀語を減らしたるは、文語調に移行する爲の準備なり。 叮嚀語等の敬語を含む文章まで文語調で書くは無理と判斷せり。 文語調ならばどう書くになりやと常に考へながら文章は書きたり。

(丁寧語 為 判断)

  • 事實の記載、自分の考への記載は正字正假名文語調。
  • 人に話しかくる文章の記載は正字正假名口語調。

(事実 正仮名)

いづれこのやうに移行することを目指したり。 今囘は無理に文語調で書きたるが、自信を持ちて書き得るやうになるは、 いつになりや分らず。

(今回)

皆が文語調を使ふ必要は無しと思ふが、 文章を「です、ます」調にて書く人、「だ、である」調にて書く人が居るやうに、 正字正假名にて書く人も居ば、文語調で書く人も居る、 そのやうな環境は作り得、とぞ信ずる。 正論の中では不可能と言はれたるが、我は不可能とは思はず。

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「障碍者」といふ表記にすべし

2006-04-23 23:59:59 | 正字正假名遣

長野縣など全國で「障害者」を「障がい者」と變へる動きが廣がつてゐる。

(長野県 変える 広がって)

言葉狩りは問題なのだが、折角なので「障碍者」「障礙者」といふ表記に戻せばよい。 戰後、漢字廢止論者により漢字制限といふ日本語破壞によつて 「障碍者」「障礙者」といふ言葉が使はれなくなつたのであり、 元々は「障害者」とは書かなかつたのだから。

(戦後、漢字廃止論者 日本語破壊)

正字正假名(舊字舊假名)を復活させるのは今から復活させるのは多大な困難を伴ふだらうが、 書換語を使はなくするのは今すぐにも出來る。 相當數の單語はIMEなどの日本語變換で今一度スペースを押せば勝手に出してくれるだらう。

(相当数 単語 旧字旧仮名 日本語変換)

保守系だと自認する物書から、先づは實踐してはどうだらうか。

(実践)

參考リンク:

參考リンクの一番上のページの最後に、 「それにしても初めから元の言葉を教へておいて欲しかつたよなあ。」 とるが、まつたく同感である。 僞物の日本語を教へられたことに憤りを感じる人がもつと増えて欲しい。

(参考リンク 偽物)

  • 信濃毎日新聞 「障害者」→「障がい者」 県内で表記見直す動き 4月24日(月) (http://www.shinmai.co.jp/news/20060424/KT060414FTI090001000022.htm)

     県内の福祉関連団体や大学、自治体などで、「障害者」の表記を「障がい者」に変更する動きが広がっている。「害」の字には「悪くする」「損なう」といっ た意味もあるため、本人や家族が不快感を抱く恐れがあるとの理由からだ。研究者によると、かつて使っていた漢字が使えなくなったため「障害」の表記になっ たという。変更の動きに対し、「以前の表記に」「障壁がある社会の現実に目を向けることが先だ」との意見もある。

     松本大(松本市)は4月、観光ホスピタリティ学科新設に合わせ、大学紹介のパンフレットなどで「障がい」と表記し始めた。科目名の「障 害者福祉論」は「障がい福祉」に変更。同学科の尻無浜(しりなしはま)博幸助教授=社会福祉学=は「『害』は、行政が障がい者の面倒をすべてみる-といっ たかつての発想の名残に思える。自立する人たちが増え、制度も変わってきた中で『害』を使うのは不適切と判断した」と説明する。

     運転免許を持つ身体障害者が1995年につくった「松本障害者運転協会」は2年ほど前、「松本障がい者運転協会」に団体名を変更。窪田隆一会長(77)=松本市=は「私たちは社会に害を与えているわけではない。他県での例を知り、問題に気付いた」と話す。

     信大教育学部(長野市)の山本清隆教授(日本語学)によると、かつては「害」ではなく、「妨げる」「隔てる」といった意味の「礙」「碍」が一般に使われていた。それが、戦後の政府による漢字制限で、音が同じで意味が近い「害」に置き換わった。

     「害」にも「妨げる」との意味はあるものの「悪くする」の意味合いが強いといい、同教授は「変えるなら、平仮名よりかつての表記に戻すべきだ」と主張する。

     一方、松本市障害者自立支援センター(ぴあねっと21)の降幡和彦所長(44)は「言葉を変えるよりも、『障害』は、街や社会の仕組みに壁があるという意味だと分かってもらう方が先」との考え方だ。

     昨年8月以降、公文書や広報誌などの表記を「障がい」に変更した上伊那郡箕輪町は今月、16の条例でも表記を平仮名に変えた。町保健福祉課は「差別や偏見をなくすための第一歩」とするが、「言葉狩りだ」「わざとらしい」といった批判も寄せられたという。

     長野市社会福祉協議会のボランティアセンターは、情報誌「ボランティアかわらばん」の4月号から、全8ページのうち募集やお知らせなどを 掲載する後半3ページに限り「障がい者」の表記にした。他の欄は取材者や投稿者の考えに任せるという。編集委員の一人、戸田千登美さんは「いろいろな考え があり、迷いもある。これから議論を深めていきたい」と話している。

    さういへば、最近讀んだ萩野 貞樹の著「ほんとうの敬語」は、書換語は排除してゐた。 「譬喩」とか「庖丁」とか。 「なう」のところに「な(の)う」と振假名振つてある箇所もあつたし、 本當は正字正假名が使ひたいのだらうなと思はせる文章だつた。 この本に關してもまたいつか書かうと思ふ。

    (×比喩 ×包丁)

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  • 漢字廢止が目的の文化省所管公益法人

    2006-04-21 23:59:59 | 正字正假名遣

    たまたまなのだが、文部化學省所管公益法人の半分が 漢字廢止や假名遣破壞が目的の左翼(傳統破壞勢力)であることを知つた。 (http://www.mext.go.jp/b_menu/koueki/bunka/03/001.htm)

    (文部化学省 廃止 仮名遣破壊 伝統 破壊)

    このページに出てくる三つの團體のWEBを見て欲しい。

    (団体)

    カナモジカイのWEBを見たら、大抵の人は笑つてしまふのではないだらうか? しかし彼らは本氣なのである。 しかも彼らによつて文部省が支配され、 日本語が徹底的に破壞されたのであり、 決して笑ひごとではない。

    (本気 破壊)

    カナモジカイによると、

     漢字を あつかう ことの できる パソコンや ワープロの 出現に より、漢字に よる 事務の 非能率に ついての 問題も 解決されたかの ように かんがえる ひとも いますが、漢字変換を しなければ なりませんので 非能率は かわりません。

      カナモジカイは、この 問題に はやく から 気がついた ひとたちに より、1920年に 創立され、日常 つかう 文字と しては、漢字を廃止して、ヨコがきの カタカナを もちいる ことを うったえて 運動して きました。

    とのことだが、どうやら彼らは最新の携帶電話で文字を入力したことがないらしい。 2、3文字入力すれば漢字假名交りの單語や文節が簡單に出てくる。 外來語などのカタカナ單語であらうが、漢字假名交り文節であらうが、である。

    (携帯電話 漢字仮名交り 簡単に 外来語)

    ただ一つ一つの主張ではなるほどと思はせることがある。 例へば漢語よりも和語を大切にしようといふのは考慮の餘地はあるだらう。 しかし和語を大切にしたいのなら、 歴史的假名遣ひを使つてのカタカナもしくはひらがな書きの普及を目指さう と當然なるはずなのにさうなつてゐない。 結局はカナモジ化が第一義的な目的であつて 和語を大切になどといふのは後附けの理由に過ぎないのだらう。

    (余地 当然 後付け)

    日本のローマ字社のWEBは讀んでゐない。 最初、英語のページに飛んだのかと思つたら、 全部ローマ字で書いてあり、とても讀む氣がしなかつた。

    (読んで 読む気)

    (社)日本ローマ字会のWEBは一見まともさうだが、 会の沿革(http://www.roomazi.org/enkaku.html)には、

    1946(昭和21)年6月5日
        日本ローマ字会・カナモジカイ、漢字全廃に協力する共同声明を発表 
    1950(昭和25)年
        日本ローマ字会と日本のローマ字社わかれる 
    
    と結局この三團體は同じ穴の狢《むじな》であることが分かる。

    (団体)

    筆者は歴史問題に關して、捏造、歪曲された歴史を教へられてゐたことに憤りを感じてゐるわけだが、 それと同等以上に、破壞された僞物の日本語を教へられたことに憤りを感じる

    (関し 破壊 偽物)

    日本語破壞は、

    • 利用できる漢字の制限
    • 漢字の讀みの制限
    • 略し方に統一性のない新字の制定
    • 書き換へ語の推奬
    • 送假名の破壞
    • 敬語の破壞
    と樣々な段階で行はれてきた。

    (破壞 讀み 送假名 破壞)

    しかし歴史問題に比べればこの問題に氣附いてゐる人はまだまだ少ないと思ふ。 歴史の眞實を取り戻すのと同等以上に、 眞實の日本語を取戻すことを重用だと思ふ人が増えてくることを祈る。

    なほ、言葉は時代と供に變つていくものだと思ふ人も居るかもしれないが、 そう思ふ前に先づは戰後の國語改革(といふか改惡)の實態を調べるとか、 以下の本を讀んでからにして戴きたい。 その後でも果して同じことが言へるかどうか。

    參考圖書:

    私の國語教室 私の國語教室 文春文庫 福田 恆存 (著)

    (参考図書)

    電突・メル突先:
    文部科学省 http://www.mext.go.jp/
     	E-mail: voice@mext.go.jp
     	TEL 03-5253-4111 (8:30-18:00)
    

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    新字は漢字學習の障碍になる

    2006-03-19 23:51:27 | 正字正假名遣

    筆者は正字(舊字)を勉強中な訣《わけ》ですが、 正字で無ければ、漢字が覺え難《にく》いのは間違い無い、と云ふ結論に至りました。 本來は同じであつた各パーツが、 有る新字は省略し、 當用漢字や常用漢字に含まれなかつた漢字は省略してをらず、 漢字と漢字の關聯性がさつぱり分からなくなつてしまつてゐます。

    (舊字 覺え 當用漢字 關聯性 → 旧字 覚え 当用漢字 関連性)

    以下に筆者が勉強してゐて氣附いた實例を列擧します。

    A1 B
    A2 B C D
    
    と列擧されてゐますが、
    A1 と新字では書くが、抑《そもそも》 B と云ふ印字を見る機會が有るのなら、
    A1 B と最初から印字されてゐる方が關聯性が克《よ》く分かる。
    音讀みも C と同じで有つたり似てゐたりする。
    また D と云ふ漢字と關聯性が有ることも分かる。
    
    と此のやうにお讀み下さい。

    (氣附いた 實例 列擧 關聯性 音讀み → 気付いた 実例 列挙 関連性 音読み)

    
    旧 稲 欠陥 児童		臼
    舊 稻 缺陷 兒童		臼
    
    独 触 属 嘱		蜀 汚濁 髑髏《どくろ》
    獨 觸 屬 囑		蜀 汚濁 髑髏《どくろ》	だく どく しょく
    
    浅い 残る		貴賤 餞別
    淺い 殘る		貴賤 餞別		せん
    
    駅 訳 釈		澤田 木鐸《ぼくたく》
    驛 譯 釋		澤田 木鐸《ぼくたく》	えき やく たく
    
    売買 読む 続く		贖罪《しょくざい》
    賣買 讀む 續く		贖罪《しょくざい》
    
    仮名 			休暇 霞《かすみ》
    假名			休暇 霞《かすみ》
    
    会う 絵			檜《ひのき》
    會ふ 繪			檜《ひのき》
    
    仏教 払う		沸騰 彷彿
    佛教 拂ふ		沸騰 彷彿		ふつ ぶつ
    
    現実			一貫 習慣
    現實			一貫 習慣
    
    経済 軽い 茎		脛《すね》 頸《くび》 発勁
    經濟 輕い 莖		脛《すね》 頸《くび》 発勁	けい
    
    自転 伝統 団体 専門
    自轉 傳統 團體 專門				てん でん だん せん	恵 惠
    
    円			員
    圓			員			えん いん
    
    抜く			跋扈《ばっこ》 祓う
    拔く		 	跋扈《ばっこ》 祓う	ばつ
    
    数学 蜃気楼		一縷の望み 藪《やぶ》 髑髏《どくろ》
    數學 蜃氣樓		一縷の望み 藪《やぶ》 髑髏《どくろ》
    
    粉砕 抜粋		卒業 憔悴
    粉碎 拔粹		卒業 憔悴					雑 雜
    
    写真			新潟
    冩眞			新潟
    
    県			懸案
    縣 			懸案			けん
    
    剣 検索 経験		収斂《しゅうれん》 瞼《まぶた》
    劍 檢索 經驗		収斂《しゅうれん》 瞼《まぶた》	けん れん
    
    寿 鋳造			躊躇《ちゅうちょ》 範疇《はんちゅう》 胡錦濤《こきんとう》
    壽 鑄造			躊躇《ちゅうちょ》 範疇《はんちゅう》 胡錦濤《こきんとう》
    
    気			敵愾心
    氣			敵愾心
    
    単に 戦争		憚《はばか》る
    單に 戰爭		憚《はばか》る
    
    山岳			地獄
    山嶽  			地獄			ごく がく
    
    缶 権利 観覧 歓喜
    罐 權利 觀覽 歡喜				かん けん
    
    区 駆ける 欧米 中枢 殴る	謳歌
    區 驅ける 歐米 中樞 毆る	謳歌
    
    随 堕
    隨 墮
    
    担当			落膽《らくたん》 暗澹《あんたん》
    擔當			落膽《らくたん》 暗澹《あんたん》	たん
    
    拠点			急遽
    據點			急遽			きょ
    
    万			邁進《まいしん》
    萬			邁進《まいしん》		まい まん
    
    両 満			欺瞞《ぎまん》
    兩 滿			欺瞞《ぎまん》
    
    圧力			厭《いと》う
    壓力			厭《いと》う
    
    歯			齟齬《そご》
    齒			齟齬《そご》
    
    尽きる			我儘《わがまま》
    盡きる			我儘《わがまま》
    
    経済 斎藤		臍《ほぞ》 齎《もたら》す
    經濟 齋藤		臍《ほぞ》 齎《もたら》す
    
    台湾 変化 野蛮		親鸞《しんらん》
    臺灣 變化 野蠻		親鸞《しんらん》
    
    与える 名誉 大学 覚める	興味
    與へる 名譽 大學 覺める	興味
    

    如何《いかが》でせうか? 少なくとも筆者には衝撃の連續でした。 此の漢字と此の漢字のパーツは實は同じだつたのか!と。 (猶《なほ》、筆者の環境はJIS第三、四水準の漢字に對應してゐないため、 鴎、 掴む、髄、などを例として出せませんでした)

    (連續 實は 對應 → 連続 実は 対応 )

    元々の方針として漢字の全廢を目指してその移行期間の物として定められた新字なのですから、 その方針が破綻した以上、破綻したシステムで有ることは當然なのです。

    (當然 → 当然)

    PCの普及によつて、記者でも作家でも、 自分が知らない漢字を簡單に出せるやうに爲《な》りました。 勿論今から50年も前に現在の状況を豫想すると云ふことは不可能だつたでせう。 然《しか》し、漢字は少ない方が便利、印字のさい難讀字にルビを打つのは手間が掛る、ローマ字に移行する方が便利など、 傳統を安易な考へで變更すると、 後で取り返しの附かないやうな弊害を生むと云ふ實例でせう。 此のやうな出鱈目な傳統破壞を行つた人達を毆り倒したい氣持ちで一杯です。

    (簡單 豫想 難讀字 變更 實例 傳統 破壞 毆り → 簡単 予想 難読字 変更 実例 伝統 破壊 殴り)

    ちなみに正確に書ける事は餘り重要では有りません。 實生活では、最近ではPCや電子辭書など有りますし、 さうで無くとも漢字は相手に傳はる程度に其れらしく書ければ良いのです。 一線一線正確に書けねば爲《な》らないと云ふ、 思ひ込みが更なる混亂を生んでゐると思ひます。 (參考: 歴史的書物に出現する「齒」の異體字) 其れよりも、 古典も含め大方の漢字を讀めるやうにする教育が重要 なのでは無いでせうか。

    (餘り 辭書 混亂 齒 讀める → 余り 辞書 混乱 歯 読める)

    本ブログが正字正假名遣ひ(舊字舊假名遣ひ)を使つてゐるのは、自分の勉強のためと、 此のブログを讀んでくれた方が正字正假名に慣れてくれれば、 と云ふ思ひで書いてゐます。 とは云へ正字に關してはいきなり讀むのは困難でせうから、 正字の知識が無くとも讀めるやうには氣を附けてゐるつもりですが如何でせうか。

    (正假名遣ひ 舊字 舊假名遣ひ 關し → 正仮名遣ひ 旧字 旧仮名遣ひ 関し)

    筆者はおかげで戰前の文章を讀むのが速く爲《な》つたり、 臺灣の文章が其の儘《まま》でも大部理解出來るやうに爲りました。 また「髑髏」なんてややこしい漢字も書けるやうに爲りました。 本來、「骨」、「獨《独》、蜀」、「數學《数学》」くらゐを覺えておけば、 後はパーツの組み合はせで書けてしまいます。

    (戰前 臺灣 → 戦前 台湾)

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    參考リンク:

    (參考 中華民國 臺灣 異體字 → 参考 中華民国 台湾 異体字)

    Q

    正漢字を復活させたら、複雑な字をたくさんおぼえなければならないじゃないか?

    A

    「新釋漢和」(明治書院)卷末の「新舊字體對照表」には、僅か249字が擧げられてゐるだけです。「常用漢字表」では、357字に新舊の字體の違ひが見ら れるのみです。それ程大量の漢字を改めて覺え直す必要はありません。そもそも、「略字」と言つても、之繞のやうに「點を一つ省いただけ」と云ふ好い加減な ものが結構あります。

    また、正漢字は、「當用漢字字體表」以來の略字みたいに原則のないものではありません。原則を覺えれば、正漢字は全て納得づくで覺えられます。

    手書きの際には、點劃を省略しても構はない、と云ふのが常識ではないですか。活字の形そつくりに字を書く必要はありません。「当用漢字」以來、「活字と手 書きの文字とは一致しなければならない」と云ふ考へ方が一般化してゐますが、餘りに神經質に過ぎる考へ方だと思ひます。かつて、小學校や中學校の書取りの テストで、はねやとめが教科書体と異ると言つて×を附ける教師がゐたさうですが、と言ふか、さう云ふ被害に實際に遭つたものですが、困つたものです。

    なほ、「当用漢字」で「歩」は劃數が増えてしまつてゐます。


    舊字體(旧字体)と歴史的假名(仮名)遣ひ

    2006-02-08 23:59:59 | 正字正假名遣

    多くの方から舊字體(旧字体)でのブログの記載に關(関)して肯定的な意見を頂きました。 有難うございます。 敬遠される方が居らっしゃるのも分かりますが、 一度 Wikipedia の國字國語問題を御覧下さい。 何故頑(かたく)なに舊字體(旧字体)や歴史的假名(仮名)遣ひを使ってゐる 人達がゐるか偏見無く考へて欲しいと思ひます。

    私は此のページを見て、學校で僞の日本語を習ってゐたことを知り、 少なからぬショックを受けました。 特に同音の漢字による置き換へを許すなどとは國語への冒涜の最たる物でせう。 「なんちゃって漢字」とでも表現した方が良いかもしれません。

    国語審議会は1956年(昭和31年)7月5日、当用漢字の適用を円滑にするためとし
    て、当用漢字表にない漢字を含む漢語を同音の別字に書きかえてもよいことを
    決定し、「同音の漢字による書きかえ」として発表した。以下のようなものが
    有名。(括弧内が本来の書き方。)
    
        * 注文(註文)
        * 遺跡(遺蹟)
        * 防御(防禦)
        * 扇動(煽動)
        * 英知(叡智)
        * 混交(混淆)
        * 更生(甦生: 本来の読みは「そせい」→蘇生)
        * 激高(激昂)
        * 知恵(智慧)
        * 略奪(掠奪)
    、、、等々
    

    「重厚感が増す」とお譽(誉)めの言葉も頂きましたが、 本ブログは他のブログと違い深い考察は余り有りませんので、 はったりだけでも効かせないとね。 明日からまた凸頑張ります。

    ところでゆとり教育が見直しださうです。 長かった人體實驗(人体実験)も終了ですか。 日本の基礎學力を低下させるだけに終はった此の愚策の責任は誰も取らないのでせうね。。。

    ついでに舊字體(旧字体)と歴史的假名(仮名)遣ひも見直して欲しい。

    共同通信 2005/02/08

    学習指導要領見直しを検討している中教審教育課程部会は8日、「授業時間数は特に 小学校低学年について検討し、国語力、理数教育は内容を充実する必要がある」とする 審議経過報告の素案をまとめた。

    学習内容や授業時間数を増やす方向で、現行指導要領で進めてきた「ゆとり教育」を 修正する内容。1977年以降続いてきた授業時間数削減の路線は、約30年ぶりに 転換される可能性が高くなった。 文科省は年度内にも指導要領作成のため専門家会議を設置。2007年に改定作業を 終え、早ければ10年度から実施される見通し。

    素案は、自ら学び自ら考える「生きる力」の育成を目指した現行指導要領の狙いが 必ずしも実現されていないと指摘。反復や暗記で基礎的、基本的な知識、技能を定着 させ、探求的な活動につなげる必要性を強調した。


    歴史的仮名遣ひを使はう!

    2005-12-29 23:52:58 | 正字正假名遣

    歴史的仮名遣ひを積極的に使つて行かうかと思ひ立つ。

    最初にネット上で歴史的仮名遣ひを使つてゐる人達がゐることに気付いたのは、 神社本庁の 皇位継承問題に関する公式発表のページでした。

    そして神社新報社というものを知り、 そこの何故歴史的仮名遣ひを使ふのかと伝ふ説明を読み、 日常的に使はれてゐる現代仮名遣ひと云うものが、 如何に理に適つてゐない欠陥のある物かといふことを知りました。 全く何でかういう出鱈目な物が認められたのでせうかね。 戦後に起きた戦前の物は何でも否定する風潮と愚民化教育が相俟つたのでは無いかと想像しますが。

    現代仮名遣ひの欠陥は上記のページの説明や 「仮名遣ひの歴史について」と云つたページを見れば分かります。 一応このページでも簡単に説明します。

    現代仮名遣ひの欠陥

    例えば現代仮名遣ひでは、 「じ」と「ぢ」の使ひ分けは、 「縮む」は「ちぢむ」、 「鼻血」は「はなぢ」、 「地面」は「じめん」、 「世界中」は「せかいじゅう」が正解なのですが、理屈が分かるでせうか? 「ちぢむ」は同音の連呼だから「ぢ」、 「はなぢ」は「鼻」と「血」の二語が繋がってできた物だから「ぢ」 「せかいじゅう」はもはや二語が繋がつてゐるとは考え難いから(???)「じ」となります。 ちなみに旧仮名遣ひでは、全部「ぢ」です。 理由は昔は「ぢ」の発音だつたから、只それだけです。 (昔は「じ」と「ぢ」の発音は違つてゐた)

    傑作なのは「王様」は「おうさま」、「氷」は「こおり」と書く理由です。 原則「おー」「こー」と発音するものは「おう」「こう」と書くことと決めてあるのですが、 例外規定として歴史的仮名遣ひで「こほり」のやうに「ほ」だつたり「を」だつたりした場合は、 「お」と書くとなつてゐるからなのです。 結局歴史的仮名遣ひの知識が必要ぢやないか!と突つ込みを入れたくなります。

    歴史的仮名遣ひは文法・表記法が単純明解

    歴史的仮名遣ひでは動詞の活用の文法的な説明が簡単になります。 「思ふ」は現代仮名遣ひでは 「おもわない、おもおう」「おもいます」「おもう」「おもうとき」「おもえば」「おもえ」 のワ行とア行に跨がる五段活用と伝ふ説明に成らざるを得ませんが、 歴史的仮名遣ひだと 「おもはない、おもはう」「おもひます」「おもふ」「おもふとき」「おもへば」「おもへ」 なハ行四段活用となります。 ほぼ全ての動詞でもさうなりますが、 未然形が一つしか無いと伝ふのは、 これから日本語を学習しようとする外国人に取つても分かり易いのでは無いでせうか。

    発音が表記に対応してゐないことを気にする人が居ると思ひますが、 英語の例を見ても分かる様に、 どの言語でも発音と表記が完全には一致しないのは一般的なことなのです。 それは現代仮名遣ひでも例外ではありません。

    歴史的仮名遣ひは表記が決まれば、 読みは、例外無くほとんど一意に決まります。 英語などに比べれば簡単な表記法と言へるでせう。 (もちろん現代仮名遣ひもさうですが)

    歴史的仮名遣ひだと語の相関関係に気付き易い

    歴史的仮名遣ひだと語の相関関係に気付き易いことも大きな利点でせう。 例えば「きょう」と「けさ」と書いてしまうとその相関関係がよく分からなくなつてしまいますが、 「けふ」「けさ」と書けばその関連性に気付けるでせう。

    音だけに注目してしまつて言葉と言葉との関連性を分かり難くする現代仮名遣ひは、 愚民化政策の一環と言はれてもしやうがないでせう。

    日本語の各単語の語源を意識し易い表記法である歴史的仮名遣ひを用ゐることは、 日本語、そして日本という国を再認識する良い機会になると考へてゐます。

    予断ですが、筆者は元々日本語入力に 「SKK」 と伝ふものを使つてをりますので、歴史的仮名遣ひに簡単に移行できました。 詳しい説明は省きますが、歴史的仮名遣ひの方がSKKには明らかに親和性が良いです。 更に言へば歴史的仮名遣ひはコンピュータ処理にも適してゐると断言できます。

    ちなみに「っ」を「つ」と書いてゐるのはSKKではそちらの方の入力がし易い上に、 SKKの特性上さう書いても変換に困らないためです。 歴史的仮名遣ひでは「っ」などの小さい字を使ふべきでは無いなどといふ信念はございません。

    最後になりますが、まだ書き始めたばかりですので間違ひがあつても笑つて許して下さい。

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