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格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

「陸山会裁判」弁護側最終弁論の内容について

2011-08-23 13:46:07 | 阿修羅

「陸山会裁判」弁護側最終弁論の内容について
http://www.asyura2.com/11/senkyo118/msg/374.html
投稿者 smac 日時 2011 年 8 月 23 日 05:52:36: dVqzW59EefGnc


 江川紹子さんのツイッターより、陸山会裁判に於ける弁護側最終弁論(8/22)の詳報を転載します。

【引用開始】
1)陸山会事件の裁判は、弁護人による最終弁論が行われ、結審した。大久保元秘書の弁護人は、政治資金収支報告書の作成や提出には一切関与せず、石川・池田両氏からの相談や報告も一切なかったと無罪を主張。さらに、西松事件では政治資金規正法の国会審理までさかのぼって、政治団体の定義を説明。

2)法律上問題のない政治団体から政治団体への寄付なのに、法律論よりも西松建設の「ダミー」「隠れ蓑」などという”一般用語”を多用している検察側は「規制法の規制の枠組みを正確に認識しないままで公訴提起に及んだもの」と批判。「罪とならないものを起訴した」と検察側をばっさり。

3)石川議員の弁護人も無罪を主張。「事案の実体は小沢議員とその政治団体のの間のいわば内々の資金のやりくりに関するものにすぎない」のに「大疑獄事件であるかのごとき捜査が行われ」たとし、本件は水谷建設からの献金の自供をとるための「いわゆる別件逮捕勾留である」と検察側を批判した。

4)池田元秘書の弁護人も無罪主張。「検察側のストーリーを押しつけるための強引な取り調べが組織的に行われた」と東京地検特捜部の捜査を批判。池田氏は前任者からほとんど引き継ぎもないまま、自分で考えて最善を尽くしたとし、法律に違反するとしても罰金刑が相当と述べた(いささか弱気?)

5)石川議員、池田元秘書とも、大久保元秘書との共謀を否認。最終意見陳述で、大久保氏は「私が悪いことをしたとは思っていません。よろしくお願いします」と裁判所に一礼。石川氏は「誤解を与え世間を騒がせたことはお詫びしたい」としつつ、事件については「よかれと思って適切な処理をしていた」と

6)述べ、池田氏は「石川さんから引き継いだことを自分なりに考えて処理したつもり。大問題になって世間をお騒がせしたことは反省している」と語った。これで裁判は結審。判決は9月26日午後に言い渡される。(了)
【引用終了】

 マスコミは一切報道しないでしょうが、大久保氏の弁護人が述べた(2)の記述は極めて重要です。
 「検察側は、規正法の規制の枠組みを正確に認識しないままで公訴提起に及んだもので、罪とならないものを起訴した」

 この指摘は「西松建設」事件のみならず「陸山会土地取引」事件に関しても、的確に言い表していますね。
 石川氏の弁護人は、ここからさらに一歩踏み込み「(罪とならないものを起訴した目的は)水谷建設からの献金の(虚偽)自供をとるための、いわば別件逮捕勾留である」とまで言い切っています。

 検察側が、架空の犯罪すなわち「水谷建設からの裏献金」を捏ち上げるために、犯罪にならない行為(政治団体からの合法な献金受領&法的に適正な報告書記載)に対して、これを「犯罪である」と強弁し、強引に起訴した…というのが本事案の本質なのです。

 検察側のシナリオは「軽微な違反行為を追求していったら、重大な犯罪行為の発覚につながった」~「重大な犯罪行為の立証はできなかったが、軽微な違反行為が、この重大な犯罪行為を隠蔽するためのものであるとしたら、軽微だと言って看過するわけにはいかない」~「ゆえに、本来なら記載修正で済まされるべきことであるが、あえて刑事処罰を求めることは正当である」
 …と言うものでしたが、弁護側の最終弁論では、上記の虚構が木っ端微塵に打ち破られてしまいました。

 水谷建設からの「裏献金」に関して、特捜部は早い段階で川村証言を入手していましたが、この証言を裏付ける物証を積極的に収集しようとはしませんでした。
 当時のマスコミ報道によると、「決定的な物証」が数多く存在していたと推認されるにもかかわらず…です。

 おそらく特捜部は、それら「決定的な物証」が、水谷建設社内でしか通用しない、杜撰な偽装証拠であることを見破り、公判に提出すれば「墓穴を掘る」と考え、あえて収集しなかったのでしょう。

 「物証などなくても、自白調書さえあれば有罪にできる」…という認識は、検察共通の悪弊ですが、本事案で最も重要なことは、特捜部が「無実を確信」していながら、自白調書によって有罪を勝ち取ろうとしていたことが強く疑われる…という事実です。

 ここに来て、無罪判決はほぼ確定的だと思いますが、私たちは「無罪判決」だけで納得するわけにはいきません。
 なぜなら、上記のごとく、特捜部が「重大な犯罪行為」に手を染めた…という疑いが強く残るからです。

 小沢氏を支持する人々の中には、今回の裁判の推移を「小沢氏復権への道筋」だと評価する人が多くいます。
 しかし私は「底知れぬ法務検察の闇」の、ほんの一部が露呈したに過ぎないと考えます。
 健全な司法、マスコミの獲得を目指した改革への道のりは、まだまだ「第一歩」すら踏み出せていないのです。

 たしかに、小沢氏が復権すれば、その改革を強力に実行してくれるだろうとは信じます。
 でも、私たちは小沢氏に期待するだけじゃ駄目なのです。
 市民一人ひとりが良く考え、声を上げ、立ち上がり、知恵を出し合って、よりよい社会の構築に向けて、出来ることを精一杯やる…その時が、まさに「今」なのだと痛感します。

 長期にわたる不況、政治混乱、大災害と原発人災…日本社会は「停滞」どころか「崩壊」の危機に直面しています。
 これを救うには、いかに有能であっても、一人の政治家の手腕だけに「任せっきり」となってはいけません。
 小沢氏の言う「自立、責任、共生」とは、単に政策理念ではなく、私たち一人ひとりに向けて発せられた「警告のメッセージ」であると受け止めるべきではないでしょうか?  






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