風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

10周年DVD

2017年10月15日 | 詩吟
2009年に開催された東京支部創立10周年記念大会」のDVDを、見ることになりました。

モンゴルから帰国して、心身共に落ち着かない時に、よくぞ、詩吟への復帰をしたものだと、そのころのことを思いだしました。

帰国した時は、10周年実行委員会はすでに、動きだしていましたので、最初は、中央会の練習後の飲み会に参加しながら、ひとごとのように、お話を聞き役で、端近に座っていました。

そして、舞台に「舞いがあるといいね」と対発言したことから、その時、時間の余裕のあった私は、無謀にも舞を習い始めました。
ご近所の新舞踊の先生と、少しあとから詩舞と剣舞の小西如泉先生の二人に教えを乞いながら、1年足らずの期間で、曲がりなりにも一曲を仕上げました。

責任を果たさねばと、死に物狂いだったから、ほかのことは考えるゆとりもなく、自分のことにのみ専念していました。


順調に進んでいたのですが、大会三日前に、声が出なくなり、あわや欠場の憂き目を見る所でした。
吟詠の交代要員はいくらもいるけれど、舞の代わりはいないので、とにかく、這ってでも行かねば、との決意で残りの二日を養生して過ごしました。


幸い当日には、声も出るようになり、欠場したり、合い方に迷惑をかけなくてすんだという記憶がよみがえってくる。



詩舞は、1年生らしく、腰の高い舞っぶりで、いかにも初心者らしく、でも、決めるところは、詩吟と同じだから、きっちりと流されないで止めていましたね。
小西先生の薫陶のおかげです。


さて、律詩の連合吟は、情けなくも、声の出ていない、音程不確かなところもあり、穴だけは開けなかった、と言う在り様。
それにしても、さえない吟詠だったなぁ。責任を果たしたとはいえないなぁ。

肝心な時に体調を崩してしまった情けない記憶が、よみがえる。


みんな公平にと言う理念から、舞台つくりをしていたはずなのに、どうして、私が何度も、舞台に上がっているんだ。


なんだか、他人事のように腹立たしく、本来、10年をキチンと歩んできて、東京支部に貢献してきた人がそこに立つべきなのに、そういう人が、立っていないのは、どういうことなのだと思う。


私が出場してよかったのは、詩舞だけだったはず。

私は、そこにいなかったのに、10年を支えてきた人たちに対して、ほんとうに申し訳なく思います。






コメント