風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

吟剣詩舞道大会見学

2014年04月29日 | 徒然に日々のことを


大輪神道流の小西如泉先生の剣詩舞の伴吟をさせていただく予定になっており、その舞手が今日出場されるので、勉強を兼ねて応援に行ってきました。

今日の演目は、「へこのうた」関吟のテキストにはないので、勝手に譜付けをして吟じさせていただきます。今日の舞を見て伴吟を聞くのは大切なことだった。

今日の伴吟は男性二人の連合吟でしたが、6月の私が伴吟をするときは、独吟です。
心して吟じねばなりません。

剣舞は、舞台の広さに会わせて、小さくなりすぎず、大きくなりすぎず、心して舞わねばなりません。
吟と舞とが、慣れた者同士であれば、そのあたりの呼吸を合わせて、緩急自在に構成する必要があります。
伴吟初心者の私は、そのあたりの勘どころを抑えてないので、舞手にお任せするしかありません。

それでも、私の吟は合わせやすいと行ってくださって、伴吟をリクエストしてくださったのだから、できる限りのことをして当日に臨まねば。




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エッセイ?作文?

2014年04月28日 | 徒然に日々のことを
関吟東京ニュースのきらり教場だよりに掲載するエッセイが二順目を迎え、前回担当しなかったメンバーに作文をしてもらっていた。
<script language="JavaScript" src="http://www.magicalmaker.com/js/mm.js.php?upwh=8750-1398689779-111-199"></script>


強烈な思いをしても、心の中にとどめておくだけでは、そのうち薄れてしまってせっかくの経験がなかったことになってしまってはもったいないと思い、自身の思いを少し客観的になって綴っていただきたくて、そして、せっかくニュースに掲載されるのだから、自分だけの納得ではない文章にしてほしくて、何度か書き直しをしていただいていました。

昨日、原稿用紙に書いたものを受け取りました。

とてもよくかけていました。

これで、完成、広報部長へ送信いたしましょう。
ご苦労様、ありがとう。







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東京芦孝会春のつどい

2014年04月27日 | 詩吟
東京芦孝会総会が開催されました。



不真面目な私は、総会にて発表される事業報告の意味、会計報告の意味を余り大事としていない。
それは、幹事として日頃の行事の意味などもろもろを知る立場にいるからではあると思うのですが、日々、詩吟をするうえで、その心が刺激的で楽しくて、心温まっていればそれでよいとおもうので、紙に文字で書けることには、重きを置いてないし、関心がない。

それは、日々大変な思いをしている幹事団に対しては大変失礼なことなのだとは、よくわかっているのです。

さて、総会もつつがなくおわり、春の集いが、始まる。
今年は、エコをモットーに、食べ物は、いつも余ってしまうことから、懐にも貢献するべく少なめの注文となっている。

一頃より、それぞれが食べる量が少なくなっているので、それでも、完食にはいたらないけれど、もったいないと思うほどではなかった。

去年は、松風の川さんのハーモニカを出し物にしましたが、今年は、青葉から還暦の歌の替え歌で、KANGINN応援歌を夢組として、出しました。

橋さんにいろいろと準備やら手配をしていただき、今までは静かに参加していたのが、にぎやかに夢組として宴会デビューだったかも。

今年は、総会のあとの宴会がことのほか、にぎやかで、楽しかったのは、私だけの感想だったのだろうか。

念願の青葉と松風のドッキングがかなったことも一つにあるのかもしれません。

それと、超忙しいはずの女性が、南京玉簾を前回よりもスキルアップして登場し、あろうことか私を観音様に仕立てて、協力をさせられたことである。
きっと、今までの私だったら、拒否していたことだろうが、スキルアップに目を見張って心が動いていたから、すんなりと、玉すだれで作った日輪(?)の下で、それらしいメ[ズなどとってしまったよ。

何かを乗り越えたあとの心許せる人たちとの春のつどいは、心から楽しいし、心からの笑顔が自然とわいてくる。
笑顔を交わせる間柄は、本当にうれしい。

こんな時が過ごせると、苦労が報われるのだよね。

そうそう、今日は、一年に二度行われる昇段試験もあった。
それぞれがそれぞれの個性を期せずしてあらわすものだ。
試験って、何なのだろうねぇ。日頃、辛口と言われているのだけれど、採点は苦手で、細かいところではなく全体の仕上がりで感想を言うしかない。

会長 幹事団、指導者団の多数決で、決める合格であるなら、受験のエントリー段階で、厳しく選定して、試験に臨ませるほうが親切なのかもしれないと思う。

それよりも、会長のあいさつにあった「心温まる教室」に夢組は、該当しているのだろうか。
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日経新聞「春秋」より( 4/21)

2014年04月21日 | 徒然に日々のことを
          諭吉のエピソード

123年前の4月22日 政府が銘じて明治期に編まれた本格的な国語辞典「言海」が完成した。
その出版を祝う会でのこと。
祝辞の順が伊藤博文の次であった。
すでに伊藤は比肩するもののない政界の大物であった。

しかし諭吉は言った。
「学問について政治家と相伍するわけにはいかない。ましてその後になるとは。
 自分一人の名誉だ恥だという話ではない、日本の学問のためだ」
結局、次第から諭吉の名が消えた。
偏屈か気骨か。語らずして発した強烈なメッセージではある。


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熱意

2014年04月19日 | 詩吟
熱意の伝わってくる人には、限りなく、自分の持つものを授けたいと心から思います。

そして、そのお互いの熱意が、結果となって表に表れた時、本当にうれしい。
やっていてよかったと感動もする。

それは、何物にも代えられない魂の交流となる。

そこに、世俗にまみれたものは介在させたくないと思う。

もし、背に腹は代えられないことが起きたら、その時に考えればよいので、今は、純粋にことが運ばれているのが、うれしい。
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夢青葉4月

2014年04月18日 | 詩吟
ゲスト一人をお迎えしての練習。もう一人の方は欠席の連絡を頂きました。
ご家庭の事情で忙しいとのことでした。はるばる来ていただくのに、帰りがラッシュに当たると体にこたえるのではないかと危惧をしていたので、欠席と聞いて却ってほっとする私でした。

こんな時、会場が来たい人にとって近いというのは、最大のメリットだと思います。
彼女は、昨日のはじめの一歩の会のほうには参加でした。無理なく通えて、初心者向けの練習が始まったのですから、彼女にはちょうど良いのでした。
彼女が月に一度であっても、続けて参加するのは、夢青葉はちょっと大変かもしれません。

それで、4人体制で席を考えてくださった○尾さんには申し訳なかったのですが、三人と私とで楕円のテーブルを囲む形に戻りました。

無償で会場提供をしていただき、あれこれと気遣いをしてくださる○尾さんにはさんいつもありがとう。よく気の付く力強いメンバーです。
気の使い方が、公も私もなく懇切丁寧過ぎるので、「それはやりすぎ」とか、それはあなたが頭を下げることではないなどと、よく私に叱られる彼女です。
友達関係が先に生まれて発生した典型の教室ですから、公私の区別をつけることに、ことさら、神経質になっている私に、嫌がりもせずさらに大事に付き合ってくれる彼女あっての教室運営が続いています。


さて、絶句の数もままならぬうちに、三段の受験を目の前にして、律詩の練習をはじめた夢青葉ですが、前月に続いて、「近江八景」の練習です。
日本の情景詩ですから女性にも無理なくはいれるので、心地の良い練習が続いています。


夢組のメンバーについては、そのすべてをわかって指導ができますが、ゲストさんについては、知識のばらつきがあり、当然知っているだろうと思って相対してしまうと、とんでもない誤解を生じていしまう危うさがあることがわかりました。
個々を大事にして、少人数制で行っている練習の、大きな落とし穴となるようです。


所属の先生の指導が、スタンダードなのだから、そのスタンダードとは違う指導を承知で來るにしても、頭と体の働きは、大いに違っています。

今日は、私自身がその上を行く理解をせねばならないということそして、その上を行く指導力を身につける必要があることを、学びました。

一つの課題がまた一つの課題を生み、考えることが増え、進むことと退くことも必要とあれこれと考えるのです。

階段は一段上がるだけでよいと思っていても、それだけでは終わらないのねぇ。
その一段を納得いくものとするには、次の一段を頑張って見なければ納得する最初の一段を手にしたことにはならないわけで、、、そうすると二段目に上がってしまうと、また、、、

終止符を打つのは、自分自身で、ということはまた一段上がることを決めるのも私。

やめることは敗北と感じるうちは、まだ、力があるということと考えていいのかなぁ。






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今週の動き

2014年04月17日 | 詩吟
4月15日  ひばり会 久しぶりに剣舞の会に参加。
      去年、伴吟をさせていただいた会に今年も出場する
       ことになる。

4月16日  夢松風 通常の練習の後にコスモスのデイケア訪問へ。
      今日のトピックは、詩吟ではなく故郷の人。中学の同
      窓生がその施設で働いていたのです。
      「半夜」を聞いていただくときのちょっとしたコメントか
      ら、(良寛は岡山県の玉島の圓通寺でも修業をした)その
      職員が「私もでーす」と名乗ったことから、判明。
      そのころは、あまり知らなかった人ですが、訪問を終えて
      帰るときには、お互い手をつないで旧知のようにおしゃべ
      りをしていたこと。また次回たのしみに。

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はじめの一歩

2014年04月17日 | 詩吟
 論語基礎講座のあとで、漢詩と詩吟の会がスタート。
      10人も論語の会の方が残り、詩吟の会から一人、別の知
      り合いが二人と総勢先生たちも入れて16人ほど。
      楽しく、和気あいあいと詩吟は口移しで、行いました。


はじめの一歩と題したこの講座は、須藤先生の論語基礎講座の軒先をお借りした形で、先生からの提案で、新年度から始まりました。

ゼロスタートで始めるのは、私の得意とするところ。体操と、呼吸については、少し丁寧に。
今日の吟題は、「偶成」新しく始めるについては、ぴったりの漢詩です。

     ☆会の始まる前に先生からいただいたメール☆
「それぞれの参加者、一人一人が、まぎれもなく、今日という日が、その方々の人生の中で一番若い日。お互いに大切に、有意義にしたい。かけがえのない時間だということ。
若者に訴える時の内容として、今日まで、愛唱された詩なのでしょうが、改めて、深く感じいりました。
こんな機会が持てた人生に,乾杯です。


こんな深い思いを込めたメールを頂いて感動するのですが、その返信はありきたりの言葉しか浮かばず、先生に対しては何もお返しができませんが、その感動を胸に、今日聞きに来てくださる方々へ、心を込めて、楽しく豊かな詩吟との出会いをしていただきたいと、心に決めました。


初めて耳にする詩吟を、穏やかな形で、知識としてではなく体験として体に知ってほしいと思いました。

今は、文字を追うのが精いっぱいです。
将来、だれか大切な人に、詩吟の声を、心を、思いを届けることができるようになりましょう。

余り小さなことにこだわらないで、のびのびと声をだし、体を解放してあげましょう。

何度か繰り返していくうちに、「うれしい」という言葉が発せられました。
なんて嬉しいことなのでしょう。

私の吟声を聴き、それを繰り返すだけなのに、本当に明るい表情になって、頬も上気しておっしゃった様子は、胸が震えました。

こんな感動を頂くきっかけをくださり、生徒さんたちを惜しげもなくゆだねてくださった須藤先生に感謝。



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今日から

2014年04月14日 | こたろう語録
昨日の詩吟からの帰宅は、珍しく明るいうちだったけど、それ以上に明るかったのは、かあさんの気分だったなぁ。
意識レベルが上昇したことを、そのすべての言動に表れている。


どうやら、ものすごく有意義な詩吟タイムを過ごしてきたみたいだった。

 
もやんとした雲が、通り過ぎたのか、自分で吹き払ったのかはわからないけど、やっとごきげんかあさんが戻った。


やっぱり、楽しい詩吟タイムは、母さんにとって必要不可欠で、僕ら家族にも影響が大きいのであります。


きょねんから、おばあちゃんのことで、お疲れモードで、それが去ってもなかなか立ち上がれないでいて、吟声が途絶えがちだったなぁ。

上昇のきっかけは、何といっても神戸で、旧交をあたためたことかなぁ。

良かったねぇ。

思いっきり詩吟をすること、かねてからの疑問をいろいろな助言があって解けたこと、苦手意識のあったものに、とりあえず挑戦する気になったこと、発声についても、心境の変化があったみたい。

今朝は、いつになく吟声に張りがあって、長く続いているよ。

よっぽど昨日は、いい時を過ごしたみたいだね。



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しずか~

2014年04月10日 | こたろう語録
甥っ子は、かあさんの予定いっぱい遊んでいった。
もっと居たかったんだけど、あしたは、ばぁばがお出かけで、一人で留守番になるってことがわかって、ママのことをやっと思い出したみたい。

いままでのパパとのお出かけは、車でドア ツー ドアだけど、ばぁばとのお出かけはもっぱらバス。

時間を待って、乗り換えて、座れる時もあるけれど、満席のこともある。
たまには、一番前の高い特等席にすわれることもある。 バス停まで遠いこともある。

不自由いっぱいのことが多いけれど、頑張って行ったら楽しいんだよ。

2歳ずつ年の離れた妹が二人、5歳の長男の甥っ子は、つらいこと我慢することが多いから、思いのままに過ごせる時間は、彼にとって至福の時になるようだねぇ。




長男のじぃじは、彼の思いをじゅうぶんに理解してるみたいだ。
末っ子のばぁばとママは、その辺のこと想像の域を脱してないから、わかってもらってよいねぇ。

甥っ子のお届けは、駅からの循環バスに乗って、停留所で待っているママに受け渡す。
ばぁばは、そのままバスに乗って帰る。

お迎えも送りもその方式でさばさばと事務的に行う。

動き出したバスの中から様子を見ていると、あれほどかえりたくなかったのに、もう、ばぁばのことは忘れて、ママにべったりしてたみたいだよ。

いいねぇ。ママ冥利だよね。よく育っているねぇ。会うたびにお兄ちゃんになって、じぃじとばぁばは、目を細める。

ママが賢く細やかに気配りしているのがわかって、ばぁばもうれしいみたいだよ。



僕は日常に戻る。
















甥っ子しばらくぶりの登場。
生物園は鉄道博物館に次いでのお気に入りになりました。
昨日と今日連続でバスの乗り継ぎで行ったよ。


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