風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夢松風5月2回目お稽古

2012年05月30日 | 詩吟
メンバー3人出席。

夢松風にとって、初めての練成会が、10月20日に開催されること、そして、その会に私が出席できないことをお伝えしました。

心配するほどのことも無く、すんなりと受け入れてもらえて、少々肩すかし。

発表会については、他の趣味の会でなれていることもあって、今からの練習を確実に重ねていけば、心配なことは無いようです。

夢青葉のときも全員合吟で、デビューでした。
今回も時間の関係で、独吟の時間は無いので、夢組として全員合吟となるはずです。
次回の夢青葉の練習で、相談の上、吟題を決めることといたします。
と言っても、松風のメンバーがこれまで習って知っている吟題にかぎられます。

さて、青葉のメンバーは、私の欠席をどのように受け止めるでしょうか。



今日の練習は、「城山」の仕上げをして、独吟発表してもらいました。
三人ともなかなかの出来でした。
今日は、特にKさんの出来が良かったと思いました。絶句としてのまとまりがあって、安心して聞いていられるのでした。


そして、今日からの課題は、『九月十日』菅原道真作。

基本中の基本吟ですから、分けなく、スムーズに入っていった手ごたえが有りました。
ここまで、積み重ねたことの初心者なりの実感があったようです。
新しい課題吟には、新しい吟法が必ず出てきたのが、この詩は、習ったものばかり。
ホッと一息入れるときです。

私自身も、やっと、練習時間の配分を身体で覚えてきました。

次回の会場も問題なくお借りできて、一安心。


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東京芦孝会 5月の中央会

2012年05月28日 | 詩吟
7月の中央会のお稽古を自分のテーマで任されたことが公式に発表されました。
それについては、いつもの基本練習と、会員の日ごろ疑問に思っていることを出してもらって、質問コーナーを設けたいとの、希望を出しました。

さて、質問が出るでしょうか。
野田 芦孝先生に対しては出しにくくても、私になら、気楽に質問することが出来るかもしれないと思うからです。

先生は、質問は出ませんよとおっしゃったけどね。


こんなとき、周到に計算してことに当たるのは、先生をはじめとする男性たち。
思い付きを、走りながら考え、走りながら修正するのは、私。


そして、二つ目の重大発表は、恋焦がれていた大阪本部指導部からの先生をお招きしての研修会がこのほど日程が発表されました。
なんと、父の33回忌と母の13回忌を行う日。なんてことだろう!
東京芦孝会の中で、一番その実現を願っていた私が、たった一日どうにも動かせない日に実施になるなんて。
運が悪いのか、詩吟の神様は、研修は受けなくても良いと言ってるのか、受けた方が当然よいのだけど、両親のことを大事にしなさいというのか?

がっかりするやら、腹が立つやら。これも、お忙しい山口華雋(かせん)先生の様々な制約の中で、やっと決まった日程なのだから、いたしかたない。

しかも、この日は、秋の練成会の日でもある。
松風のメンバーは、初めての練成会、指導者の先導も無い壇上で、初めて吟の発表は、どんなプレッシャーがあることだろう。

青葉デビューのときは、完璧に行われたのになぁ。

あれこれ言っても仕方がない。諦めが良いのは、私の長所。次のことを早めに考えよう。

夢松風の人たちの二人は先日壇上ではないが、総会の懇親会で、合吟を披露をしました。
皆さんの反応の暖かかったことを思い出して、肩に力が入らないように、そして先輩の夢青葉のお姉さんたち(?)が、力になってくれることを、丁寧にお話しすることにしましょう。
これからの練習で、今有るありのままの自分に自信をもち、浮「のは、聴衆ではないことを知ってもらえるだろうか。きっと、大丈夫。


さて、7月の練習について、さらには発展して中央会の有り方にいたるまで、幹事会後の飲み会でも、いろいろと意見が出ました。
これから、芦孝会としての特色を出そうと、新しい試みについて、私は、気楽な立場でインスピレーションをしゃべり唐ケばよいのであるが、イザ、それを実行するに当たっては、深い読みがなされ、私には思いつかないようなことを想定しなければならない事などあれこれと、いろいろと、目の前に展開される。

趣味の集まりとはいえ、大きな組織をなしているのだから、私が3人の教室を運営しているような思いつきでことは運ばないことがわかってくる。

ウーロン茶(!)を飲み会ながら、そばで聞いていると、知らないことが一杯出てきて、ほんとに興味深く、勉強になることばかり。
そこまで、考えるか?そこまで、懐疑的になるの?ということも在るけれど。


公益法人となった新生関吟の東京芦孝会の、きっちりとした組織の基礎がゆるぎないものとなり、それでも柔軟さを備えた活動を支えているのは、幹事会のメンバーが、趣味の会には珍しい男性が主流を占めている為なのかとも思う。

そんななかで、思いつきで物を言う私も一メンバーとして尊重していただき偉そうにさせていただいているのは、全てに一生懸命と言うその一点で、認めてくださっているのかなぁと思う。
だからと言って、一生懸命ではない人は居ないんだけど・・・・・



飲み会の終了後、二階にあるそのお店は、外階段で下りるのでした。
ちょっと前だったら、二の足、三の足を踏むところを、重いかばんを抱えたまま、楽に下りることが出来ました。

今までは、痛みを見せてないつもりでも、他から見るとあからさまだったようで、よく、かばんを持ってくださる方が居たのです。今日は、元気な私に安心していたようです。

荷物持ちましょうといわれないことが、うれしいと感じるなんてね。

ここまで良くなっていても、正座はまだ出来ません。
身体の成り立ち、つながりとは、不思議なもので、そのつながりを教えてもらいながら、整体生活を続けているところです。

井本整体との出会いを作ってくださった山田先生のおかげです。
痛みからの解放は、生活の質を上げてくれます。私の場合は、限りなく楽天的になってきています。
そして、さらに、楽器としての身体の錆付きをとることでメンテナンスが進みさらにグレードアップに繋がっています。
このところの、声の調子は、とても快調でうれしい。

             感謝  heart
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僕の平和

2012年05月27日 | こたろう語録
4月に正式エントリーした夢松風について、あれこれ考えていたかあさんも、一段落して、次のテーマについて、考え始めたらしい。

かあさんの人生で、毅然として迷わなかったのは、子育てのときだったって言ってる。
おばあちゃんは、おじいちゃんの介護中で、遠くに離れていたし、とうさんは、出張がちだったし、迷っていられなかったよね。

そして、姉さんたちが巣立って行ってしばらくは、よろよろと自信なく人の意向ばっかり気にしていたけど、最近、詩吟についても、子育てのときと同じような気持ちで居るらしい。
それが、自分でも不思議で不思議でしょうがないらしいけど、迷わないで、これしかないと確信できるものが、ふとした時に降ってくるらしい。


あれこれ考えているけれど、結局のところ、かあさんは、理詰めではなくインスピレーションタイプだから、アイディアが降ってきたら、行動あるのみ、進むしかないうらみがあるよね。

だから、これと決まったら、そのまま素直に進んで、進み始めたらとまらない。いまのところ、それで、うまくいってるみたい。
それには、大きなバックアップ体制があるからだろうけど。
かあさんが、夢中で走ってもはみ出ないだけの広い受け皿があるってことだね。

かあさん自身も、日和見だった頃のことを思うと不思議な感じらしい。
まあ、それも詩吟に関してだけで、そのほかは、変わらず日和ってるけどさ。

まぁ、ぼくは、かあさんが、平和で居てくれたら、何の不足も無いし、あったかい寝床さえあれば、おっと、おいしいごはんもあれば、かんけいないけどさ。

 
               僕の平和


     <写真下段、真ん中の平和らしからぬ目つきのこたろうさんの説明>
 だいすきなするめの臭いに、獲物を狙う目つきになり鼻をひく付かせているの図です。






なるほどね。かあさんの平和はこたろうの平和。

かあさんが平和じゃないとき、こたろうはそっと付き添ってくれるよね。

ありがとう。このところ、こたろうが付き添わねばならないことってそういえばないねぇ。

みんなのおかげさん。
                                 by かあさん


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金環日食

2012年05月21日 | こたろう語録
僕は、とうさん、かあさんと日食をまってる。


ん?

居なくなったと思ったら、僕が先に来て待っていた出窓からは見えないことがわかった。
それで、僕を置き去りにして、外廊下へ出て行ってしまった。

かなり興奮して帰ってきたから、きれいに見えたらしい。

そこへ、大きい姉さんから電話。

吾妻橋の上で、出勤途中に仲良く見たんだって。よかったねぇ。

父さんは、ちょうど金環になったところで、出勤したらしい。姉さんがとうさんらしいねぇと、言ってたって。
母さんは、しばらく見ていて、三日月状態になったら、雲がかかったから引き上げたらしい。

こんなことで、親子の会話が弾んで、よかったねぇ。ご近所さんともね。

小さい姉さんところは、どうだったかな?

ちび二人がいてはねぇ。グラスは、母さんが人数分送ったみたいだけど、子どものことだから直接太陽を見たら、危ないし、その世話もたいへんだから、やめたほうが良いと僕は思っているんだけど。

一生に一度しか無いイベントが、あっという間に終わって一段落。曇るだろうとの予測は、見事外れて、良かったね。
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コンポステラ ライブ

2012年05月19日 | 徒然に日々のことを
よしだよしこライブ ナチュラルカフェ コンポステラにて


ギターとマウンテン ダルシマーを持って、一人でふらりと立ち寄ったという風情で、歌ってくれました。(You Tube に多数画像有り)



ノーメイクの白い肌と黒くて長い髪が素敵で、ナチュラル素材の衣装も、長身の身体に良く似合っていて、すてきでした。

風景 
いのちの唄 
地球に似た惑星にいるあなたに2011 
月の庭 
忘れないということ


オードリー ヘプバーンが好きで、その話へ持って行くのに、高知のご当地CMの「リョーマの休日」を題材にするなんて、茶目っ気があって、でも、それをお笑いにしないで、上品にまとめるあたり、今までに私がお目にかかったことのないタイプの女性でした。




オードリーの、晩年の飾らない様子に私と同じ感想を抱いていたことも、距離を狭めました。




詩人の石川逸子の『地球・・2011』はもう一度聞きたい。

帰り支度をもたもたやっているうちに、お隣の席に来てくださったよしこさんとほんの少しお話が出来ました。
いつもは、ライブが終わるとそこそこに帰路につくのです。
まだ、残っている人たちは、ファンや追っかけの人なのだろうと勝手に判断していましたが、初対面の私にも気さくに話しかけていただいて、この語らいこそライブの醍醐味と思ったことでした。

よしこさんは、コンャXテラの食事にも大いに気に入っていたようで、もし、近くだったら、毎日通うだろうとも言ってました。

見つけた気がするよしだよしこのライブでした。







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ビーズのアクセサリー

2012年05月12日 | 徒然に日々のことを
2度目のモンゴル派遣(このブログのはじまり)の同期たちの集まりが有りました。

もう7年も前の話になるのかと驚くほど、皆さんお変わりなく、話が弾みました。
夫の陰に隠れるように、出席していたのが、うそのように、平気でモンゴルゆかりの人たちに会うことが出来て、ほんとうにうれしかった。


海外に出かける予定の女性の送別会でもありました。以前その方に頂き物をしたので、プレゼントを持参しました。

私の妹分は、手仕事が好きで、自分の着るものは全て手作り、最近では、ビーズのアクセサリーを作ることに目覚め、ライフワークになろうかという勢いで、作品を作り続けています。

彼女は、色の感覚がよく、同じような作品でも、他で見るといまいちの物も、彼女のオリジナルの色使いで仕上げられると、ワンランクもツーランクも上等の作品が仕上がるのです。

写真は、色が鮮やかに出てなくて、本当のよさが消えています。掲載に二の足を踏んだのですが、姉として、彼女の腕にぞっこんで、紹介したくなったのです。




このビーズは、織りの手法で作られていて、手織り機のような器具で作り上げます。
その様子は、本当に楽しそうで、思わず写真を撮りましたが、肖像権を盾ノ、掲載はことわられました。

彼女の作品は、心から楽しんで、作られているからでしょう、身に付けていると、楽しく、人によっては、『癒される』とまで、言う方もいるのです。

ビーズは、光の加減、隣に来る色の組み合わせによって、発色が異なってくるため、小品を作っては、色の研究に余念の無い彼女。

その姿を見ていると、私まで幸せになり、そのおすそ分けをしたいと思って、今日、持参しました。

自分の作品を、見てもらえたら、それでうれしいと言う妹に、さらにさらに満足のいく作品が作れますようにと、心から思っています。

出来の悪い写真で、申し訳ないので、すこしでもうまく写真が取れたら、差し替えましょう。ただ、この中の一つは、差し上げたので、もう写真は取れませんが。

そのほかにも、預かった作品があるので、そのよさがすこしでも出る撮りかたができるようになったら、全てをアップするつもりです。






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シャンプーで大騒ぎ

2012年05月11日 | こたろう語録
ぼくは、ドライヤーが苦手です。
冬のシャンプーは、ほとんどやらないんだ。
そのかわり、毎日濡れタオルで、かあさんが拭いてくれる。
ネコ族は、きれい好きで、汚れは自分で落としているから、必要ないんだけどな。
人間ってやつはなぁ。

冬のシャンプーは、ストーブの前で、タオルドライだから、かあさんは大変なんだよ。
だから、やめときゃいいのに。

少し暖かくなったので、今日は、自然乾燥と僕の舐め舐めで、現状復帰だ。あー、いそがしい、いそがしい。












身体が乾いて一段落。「かあさんやー、僕は、シャンプーは嫌いなんだからね。
キレイ好きも、ほどほどにしてよね。


何かを訴えるときは、座っている私の足で、爪とぎをして、ストレス解消をするこたろうでありました。
冬は、いいけど薄地のものを着るようになったら、爪が傷をつくるんだけどなぁ。  
ーははよりー






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夢松風5月1回

2012年05月10日 | 詩吟
今日は、しばらくお休みしていたメンバーが出席して、3人の参加でした。

ますます、安定感を増してきて、久しぶりに来たメンバーもお隣の声を聞いて、音程を確かめていました。

大山は、六ではじまる。
中山は、五ではじまる。

そして、その前の言葉のアクセントによって、一音高いところから下りて吟法に入るのと、そうではないものとの区別を説明をする。
これは、五線紙に移し変えて行えば、わかりやすいのだけれど、それでは、表面を取り繕うだけのものになると思う。
合理的に、音階をつけて、表現するのは、私には、まだいいかなと言う思いが強い。


そして、大山の高さに引っ張られる中山について、マグネットと五線で、せつめい。
耳と目からの説明は、納得しやすい。

頭で納得しても、喉と呼吸と頭からの指令とが、揃い踏みするのは、すぐには対応できないから、一節ずつ繰り返し吟じることで、理屈と実践とが、握手するようになる。


今日の課題は、「城山」順調にしあがり、独吟をしていただいた。
詩吟の形を成してきて、心地よいだろうなぁと、見えた。

練習の始まりに、机や椅子を出しながら、鼻歌が出ると言うのは、楽しんでいる証拠。
なんて、良いことだろう。

お休みしていても、何とかくっついてきてくれて、よかったなぁ。
おかげで、予定通り城山の終了が出来た。

次の課題吟は、『九月十日』菅原道真作なので、なんとなく取っ付きが良いのではと思う。

白秋の詩の朗読も、声に張りが出てきたなぁと思ったら、漢詩の読み下しも、はっきりと声が出せるようになり、正確さを増してきました。

城山の出だしの音が高かったのが、亦、中音からの出だしになったので、抵抗がなくなったようだ。

再度、城山の録音と新しく九月十日の録音をして、5分前に終わる。
いつもは、ぎりぎりなので、次の教室の方をドアの前で待たせるのだけれど、せっかく時間前に終わったのに、次の教室が入ってない。5分でも惜しいのになぁ。

予報どおりに、練習中風と雨と雷。練習が終わる頃には、運良く雨も小ぶりになりました。

7月の予約も、なんとか入れることが出来ました。



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夢青葉5月お稽古

2012年05月06日 | 詩吟
今日の吟題は、「河内路上」 作者 菊池渓琴

この詩に出てくる吟法は、全て習っているもので、基本吟です。
一節ずつ繰り返しても、不安定な箇所は見受けられませんでした。

一つには、自分の高さで練習ができるということ。
そのため、音が取りやすく、安定感がましてくるのです。
2行ずつの練習にもすぐに移りましたが、一節ずつから二行に移ったときは、ある程度の不安定なところが見え隠れするのですが、それもなく、基本吟は、自分のものにしたと言うことでしょうか。

2年が過ぎ,有段者になったのですから、少しのストレスには、たえられるようになってきたところです。少々の負荷にも対応できるようにになった筈なので、別の方向を考えようとした絶妙のタイミングで、男一人が欠けて、女二人の教室になったのです。
他の教室の方々から見ると、個人レッスンに近いお稽古がここ2回続いています。

そして、この二人相性がよくとても仲が良いのです。

Tさんが言うのに、「二人で声を合わせていると、耳にビーンと音が響いて(共鳴して)ほんとに気持ちが良い」と。

「そうそう、それが、合吟の極意なのよ」と、私。

声を合わせる心地よさとコツを自然に身に付けて、巧まない素直な言葉として、表に現れたのです。

初めての錬成会のとき、合吟にしなかったのは、この感覚を掴んでから、合吟に取り組んで欲しいとおもったからです。

合吟は、ただ、一緒に詩吟をすればよい、下手で独吟が無理だから合吟で良いよねといってしまうのは、「合吟」が、可哀想というもの。
いろんな場面で、便宜的に合吟と言う形が取られるものだから、軽くあしらわれているのです。


今年の秋の発表会は、彼女らの様子をみて、独吟でも、合吟でも対応できることがわかりました。選択肢がふえて、発表内容や、時間の変化があっても、対応できるので、安心です。

そして、東京芦孝会のメンバーとしての自覚も見えてきて、仲間意識も出来てきたから、懇親会の出し物も、楽しんで、何か出来るかもしれません。


そして、Yさん、テキストについて、とても素敵な発見をなさって、それも、上の方の先生がそれを耳にしたら、大いに喜ぶようなことです。

是非、彼女の言葉で、書き記しておいて欲しいとお願いしました。
そして、それを何かの形で、発表してくれれば、よいなぁと、思います。

彼女の言葉で、表現され、お仲間たちが耳にするか、目にするか、一日も早いことをと、願っています。

女三人寄れば、姦しい。
今日も、おしゃべりが延々と続き、いわば、殿方が河岸を変えて、一杯やるのと同じで、お茶だけで、盛り上がる私たちでした。

本当は、今日で仕上げにしても良かったのですが。まだ、録音もしていなくて、自習時間を持つために、ゆっくり聞いてもらって、熟成効果を待つことにしました。
次回、独吟をしてもらって、次の課題へと移ります。

彼女たちが、私の誘導ではなくて、自分なりの発見をなさることは、ひとつには、ゆとりを持ってお稽古をして、他に左右されないでいられること。
少し多すぎるけれど、おしゃべりの中から、大切なものをピックアップしてくれていることを、実感したのでした。

少ししゃべりすぎかとも、思うのですが、今は、これが必要な時期なのだと思うのです。

3人になったけど、頑張ろうね。


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