風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

1年ぶりの乗馬

2006年04月29日 | チンゲル亭裏日記

さる人のお誘いで、テレルジの奥のほうへ乗馬に行きました。
モンゴルに長く滞在して、要人に顔の聞く、モンゴルのあちこちを走り回って何でも知っている、ちょっとなぞの人物Fさんが主催者です。

Fさんのランドクルーザーに乗り込み、蛇行する川すじをいくつも越えて、目的の牧民さんのゲルに到着。
このランクルの働き振りを見ると、日本で乗られているランクルは持てる実力を発揮しないで未消化のまま走っていることが分かります。
惚れ惚れする働きでした。
道なき道、起伏、川渡り、山越えをしてこそランクルの真骨頂ということがよく分かりました。

おいしい、ウルム、タラフ、スーテイチャを頂きました。
パンが余りにおいしいので、奥さんに貴方が作ったのですか、ほんとに、ほんとにおいしいです。と言ったら、にっと笑ってくれました。
そしてちょうどそこに入ってきた、ご主人に、この人がおいしいと言ったと(たぶん)、直ぐに報告していたようでした。

Fさんの乗馬教室は、いきなり馬に乗るのではなく、馬に語りかけながら引き綱を引いて馬と共に歩くことから始まります。
出来たら、馬にさわりなさいと言います。
今まで、モンゴルでは、観光用の馬に乗っていましたから、馬に語りかける、馬にさわるなどともってのほかでした。
そして、時間制ですから、一刻も早く乗って、時間が終わったらすぐさま次のお客へとバトンタッチなのでした。

モンゴルの馬もこんな風に親しみを持って、やさしく扱って、そして、早い段階で自立して乗れるようになるのだと知り、感心しました。

牧民さんの命の糧の馬ですし、昔からこのほうほうでやってきたのですから、そう簡単にやり方を変えられないと思いますが、根気良く指導された賜物なのでしょう。

おかげで、足慣らし、気分慣らしをして、それから、馬に乗りましたから、それぞれがそれぞれの実力に合わせた乗り方が出来たように思います。

ご一緒したメンバーも気持ちのよい方たちばかりで、朝8時から帰宅7時まで、楽しいばかりの時間でした。
お世話を下さった経験者の皆様も、ありがとうございました。

Fさんの、運転、面白話、余りに面白い話に私たちはのけぞりながら、興に乗ったら両手を放して後ろを向い運転するFさんには、まいった!これは浮ゥった。
そしてランクルが、とても頑張りました。
疲れたけれど、楽しい充実した一日でした
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モンゴルの馬

2006年04月29日 | モンゴル風景
テレルジ、乗馬クラブ



テレルジの一番奥のほうは、まだ川が凍っていました。
表面は、溶けたり凍ったりしたせいかカキ氷が凍った状態で、歩くのに滑らなくて、楽でした。

ここより、UB市内に近いほうの川(同じトーラ川)は、完全に溶けて、ランドクルーザーの真価を発揮しています。
馬は、良く手入れされて、穏やかな賢い馬でした。
テレルジの観光用の馬は、市内から近く、観光客が多いので乗りれている
(乗らせ慣れている?)と言う表現がぴったりだったのを覚えています。

そして、今日は、まず、馬と語りながら引き綱を引いて、ゲルの周りを何周もしてから、やっと乗馬です。
良く、コミュニケーションをとるなんてことは、モンゴルの馬には無いと観光用の馬方には教えられました。
今日の、ツアーのリーダーは日本人ですから、そうではないことが分かりました。

観光用の、痛めつけられた馬は、素人にはどうにもならないくらい心も体も痛めつけられているのでした。


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オルティンドー演奏会

2006年04月27日 | UBから
ホンゴルゾルと言うオルティンドーの女性歌手の演奏会がありました。






UBャXトの記事に載っていたので、楽しみにしていました。
オペラ座入り口の看板には、その時週の演目が記載されます。
いつまでたっても、表示されなくて、変更になったのかと心配になり、あれこれと調べてもらいました。
やっとのことで、予定通りオペラ座で7時からあると分かったのが前日のことでした。
オペラやバレーのチケットが5,000トグルクですが、ジャンツンノロウの演奏会で8,000トグルク、このコンサートは、何と2万トグルクでした。

彼女は、海外での演奏会が殆どでモンゴル国内では、めったに演奏会はないそうですから、余計に期待が大きくなりました。

この値段の高さから見て、外国人ばかりかと思ったら、大使館関係や白人の出席は殆どなくて、モンゴル人ばかり。
この人たちは、どういうルートで演奏会のことを知ったのでしょうか。
隣の席のご婦人に「どうして?」と聞きたいくらいでした。

私たちの2枚の席は、夫が無理を言ったら、何とか10番目を2枚やっとくれたそうです。
行ってみてびっくり、続き番号ですが、通路を挟んで右と左。
なんだぁ、だから残っていたのね。

10番目の席は、ちょうど真ん中辺りの音の響きのいいところでしたから、ホンゴルゾルの、高音の声の響きが耳に痛いくらいでした。

オーケストラの伴奏の次は、馬頭琴オーケストラの伴奏、そして無伴奏、馬頭琴2台の伴奏と、いろいろと多彩なオルティンドーを披露してくれました。
その次には、トメン・エヘ(私のオルティンドーの先生が所属する民族舞踊団)のツァム(仮面と衣装を着けた仏教の舞)も、あってモンゴルの大人たちが、手拍子で熱狂しそうになる舞台の内容でした。

彼女の恩師であるらしい年配男性のデルゲル先生と、もう一人名前を聞き取れなかった年配女性の先生のオルティンドーのときは、大きな暖かい拍手が起きました。
さすが、地元で活躍している人たちだなぁ。

パンフレットと言うものが、有りません。
しいて言えば、大判のチケットに書いてあるのが、その時代わりでしょうか。入り口で渡されたのは、コピー用紙にワープロで打たれたモンゴル語のものでした。これは誰かに訳してもらわないと、分かりません。

ですから、日本でのコンサートのように、パンフレットに書かれてある演奏家の経歴などが、司会者によって長々と読み上げられます。
言葉を解さない私には、退屈そのもの。
早く、演奏が始まれーと司会の言葉が始まるたびに思って待っていました。
オーケストラが二つに舞踊団が一つ、そのほかにも私の知らないグループからの出演があったことでしょう。
UBの件p家総出演のような舞台ですから、ほんとにお得感たっぷりでした。

ただ、どんなにすばらしい演奏家でも、どうしても草原で聞きたいと切に思ってしまうのは、私だけではないような気がします。
もう、生活に即したものではなく件pと言う域に達したものは、舞台の上からじゃないと聞かせてもらえないのかなぁ。。。。。

苦労してチケットを手に入れてくれた夫には、劇場じゃなくて草原で聞きたかったなどと言えないよね。

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4階の奥さん

2006年04月26日 | チンゲル亭裏日記

階段下のドアの外で、ご婦人に会いました。
私の住む、階段はどうやらモンゴル人だけが住んでいるようです。
階段の上り下りや、ごみの出し方など、不快に思うことはないので、良識のある方たちばかりと想像し、好ましい感覚で、住んでいます。

すれ違ったことは、余りなく、それぞれが先を急いでいる風で、挨拶や言葉かけはありません。

今日は、外から入ろうとしたとき、ご婦人が帰ってきたので、お先にどうぞとドアの所で譲ったら、そちらこそと譲られてしまいました。

親切心からではなく、後ろから来て見ず知らずの人に私の部屋がどこか知られるのが浮「のと、その人の前で鍵を出したりドアを開けたりしたくなかったからなのですが、、、

悪い人ではなさそうなので、先に入りました。
すると、話しかけてきました。
どうやら、4階の住人でした。
今住む部屋を決める前に4階の部屋も見せてもらったときの奥さんだったのです。日本人と言うこともあって、しっかり覚えていたようです。
3階の部屋はいい部屋ですか。仕事はしているの。主人が仕事をしているの。と、どうやら尋ねられたみたい。ハイ、いいえ、ハイと答えました。

部屋を見せてもらったときに、NHKが映るかどうか尋ねたときに、数十もあるチャンネルを不自由な手で、片っ端から調べて映ることを見せてくれた青年が居ました。
貴方の子どもは、元気ですかと尋ねたら、モー(よくない)と答えました。
きっと、身障者であることをモーといったのでしょう。
彼女は、自分から、エムチ(医者)と言いました。

わたしが聞き分けた彼女の言葉は、一つの文章に一つくらいです。
住まいの階段を上りながらほぼ初対面の人が話題にすることと言ったら、そんな事を聞いているのだろうと言う、大雑把な推測の元に成り立った会話です。
これで、彼女が、私のことをモンゴル語の多少の会話が出来ると判断して、次にあったとき、彼女がどういう質問をするのかは、まったく推測ができません。
下手に親しくなってもいけないし、かといって嫌な奴と思われるのも得策ではない。

次に会うのは、しばらく間を置いてからにしてほしいなぁ。
天気の話しか出来ない文盲の私なんだから。
次の期待はしないでほしいなぁ。
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トバ族の茶碗

2006年04月26日 | モンゴル風景
ご飯を大盛りにして食べてくださいといってもらいました。
モンゴルのトバ族のお茶碗です。
糸底の中に描いてある絵が可愛い。
鹿なんだろうねぇ。聞き忘れました。





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キーワード 文盲

2006年04月25日 | チンゲル亭裏日記

文盲という言葉に、体がものすごく反応しました。
電流と言うほどの鋭さではない水の流れが、体の中に起こりました。

私って文盲に等しいのだわ。

はぁーーーーー。

先日、ロシア学校で体験したことがまた起こらないように、文盲は文盲らしくちゃんと日本語をしゃべろうではないか。
言葉の通じない人に対して怒りのエネルギーだけではなく、普通の感情も、とりあえず日本語で伝えようではないかと、自分で自分を励ましました。

下手に、モンゴル語を使おうとしたり、英語を使おうとしたりは、止めようよ。     
まず、日本語
そして、信号を送ったら、落ち着いてモンゴル語。ただし、語彙があれば。

老人力がついたおかげか、居直ったのか、「文盲を認識⇒必死でモンゴル語習得せねば!」と言う図式にならないのが、自分でもおかしい。

           =今日の体験=

ドアをノックする音。我が家にアモネしに訪れる人は居ないので、無視。
また、ノック。無視。
三度目ノック。無視。
ドアスコープから覗く。キャップをかぶった若者が居た。
念のため水漏れを確認。OK。何かの警告に来るとしたらそれくらいだから、警告に来たのではないことが分かったので、安心して無視。
とうとう、彼は、ドアのブザーを押した。無視。
また、ブザー。
相手は、あきらめない。洗濯機の音がしているから留守だと思ってないのだろう。

さて、無視を続けるか、どうするか。
もう限界。

ここまで、何度もドアを叩かれて、「どなたですか?」はないよねぇ。
意を決して思い切りよく大きな声で「だれ!?」
相手「もごもご。。。」
もう一度「だれ?!」「もごもご(名前を言ったようですが、ききとれない)」
「ター アンドラソン!(貴方 間違ってます)」
若者、静かに退場。

はぁーーー。よかった!

いいタイミングで、「文盲」ショックを与えてくれたものだ。
NHKさん、ありがとう。

それほど、激しい叩き方ではなかったから、比較的落ち着いていられたけれど、昨日の文盲ショックがなかったら、おろおろうろうろしながら、最後まで居留守を使ったかもしれないなぁ。

今、思うにドア越しの私の「だれ!」は、どの位の勢いに聞こえたのだろう。
私って、結構しぶといかも。
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モンゴル・ロシア共同学校

2006年04月24日 | チンゲル亭裏日記

Oさんが日本語教師として、活動なさっているモンゴル・ロシア共同学校の日本語祭りに行きました。

少し遅れていったのですが、入り口から、見事に校長室らしきところに案内されてしまいました。
他の日本人の来賓と同じ扱いをしていただいて、大変恐縮でした。
今日は、早めに帰って次の目的地に行く予定なので、余計に体が縮みました。
日本人は、すべて来賓と言う扱いをしてくださったようですが、私のような微妙な立場の者は、ソットしておいてほしいなぁと思います。
こんどから、30分以上は遅れていったほうが、無難かもしれません。

中座するタイミングを計って後ろに行こうとしたら、ロシア人の先生がどうしたのと言う感じで、私を見つめました。
とっさにモンゴル語で、用事があると言ったのですが、発音が悪かったのだ、モンゴル語を理解しなかったのか、その時は、先生を振り切るかたちで、外に出ました。

後でとても失礼なことをしてしまったと、反省。
こんなとき「あわてないで、丁寧に日本語で」をモットーにするつもりで居るのですが、あわててしまって、つい、不十分なモンゴル語を使ってしまいました。余計、モンゴル人ではない人には、分からなくなってしまうのです。
それよりも、分からなくても日本語でお詫びを言えば、具体的には分からなくても、申し訳ないと思っていることだけでも伝わったはずなのに。

白人コンプレックスでした。
情ない、トホホ。
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いいねぇ

2006年04月23日 | 
UBにある花といったら、バラとユリが定番でしたが、ガーベラも仲間に加わりました。

今日、プレゼントしていただきました。
花が、あるとはなやかですねぇ!




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絵本図書館

2006年04月22日 | UBから


    絵本図書館






かねてから念願の絵本図書館に行ってきました。

日本人の篤志家により場所と膨大な絵本を提供され、モンゴルに住むKさんとKさんのお手伝いをするEさんとで、毎週土曜日2時から4時まで運営されています。

写真の本棚の5倍ほどの本が壁一杯に並べられ、この日が来るのを心待ちにしている子どもたちで狭いアパートの一室が埋め尽くされています。

子どもたちの首にぶら下がるのは、Eさん手作りの写真入のビニールケース入りの出席表です。
パソコンを駆使して、顔写真の横にカラフルな名前と絵本文庫の文字。
そして、ウラには、はんこを押す罫がひかれています。

まず、部屋になだれ込んだ子どもたちは自分の名札を見つけて、Kさんの名前のはんこを押してもらいます。
このはんこも、ここに来た日本人のはんこ職人さんが彫ってくれたそうです。

次は、先週借りた本を返します。Eさんがノートに記録した本の題と名前を確認し日付と済みの文字を記入します。
そしてそれぞれが本棚に返します。

めいめい好きな本を読んだり、選んだり、折り紙をはじめたり、喧嘩を始めたり、子どもたちがのびのびとすごしていました。

3時になると、絵本を読むのが上手な子どもがモンゴル語で読み聞かせをします。
今日は、どういうわけか、お冠になった子どものかわりにKさんが、「はなさがじじい」の紙芝居をしてくれました。
膨大な本の一部が、モンゴル語に訳されています。
そして、今も細々と幼稚園教諭の指導に来ていらっしゃるHさん、日本語教師のYさんが、末フお手伝いをしていると聞きました。

やがて、時間が来てさようならです。最後にキャンディーを一つもらって借りた本を抱え、名残惜しげに帰って行きました。

アパートが2階にあるため、時々下の住人からうるさいとクレームが来るそうで、子どもが20人以上も集まれば、静かにしているのは至難の業です。多いときには、30人も来るそうで、たったの2時間でも、へとへとになるようでした。

Eさんという強い見方を得る前は、Kさんの授業を受ける学生さんが手伝いに来ていたこともあったそうです。
今日は、Eさんのほかに日本語教師の助っ人も来ていました。

日本モンゴルセンターにも絵本はありますが、ほんの一握りです。
モンゴルにこんなにたくさんの絵本があることに驚きました。
日本では、ある時期が来ると図書館では本が排気されているそうです。
その中の絵本を、コンテナを仕立ててモンゴルに送ってくださるわけですが、せっかくの本が、週に一度しか貸し出されないのはもったいないと思います。
 
ただ、ボランティアで運営されているので、これ以上開くことはとても無理な状況のようでした。

子どもの集まる場所が、音の響き安い2階にあることも不安です。
せめて、1階だったら良かったのに。

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モンゴル・ロシア共同学校

2006年04月22日 | ことば
      モンゴル・ロシア共同学校 第2回 日本語祭り








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