風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

若人の吟詩剣大会

2014年08月31日 | 詩吟
今日の大会は青年と幼少年の部。しかし、青年部は51歳までが該当年齢。

3歳くらいと見える小さな子供が袴をはいて、マイクの前で、吟詠をする。
しなやかな体で、剣詩舞を舞うと、鮮やかで美しい。

絶好のシャッターチャンスを失ったとしても、どの切り口で舞う姿をとらえても、美しい。
腰が据わって、背骨がしなやかで、足がしなるように伸びた舞姿は、新鮮で心動かされました。


私たち大人は、彼らへの応援賛助で、江東区連から男女それぞれ一組ずつ10人の合吟をエントリーしました。

事前の練習の時の練習は、他流の方たちとで、新鮮でした。
コンクールではないので、あまり細かい指摘を去れませんでしたが、ここちよい練習でした。

その時の打合せでは、10人のうち半数が着物着用とのことでした。私は、まだ、詩吟をするのに、どうしても着物でなくてはならないということが納得がいってないので、洋服で出場することに決めていてそのようにお伝えしました。

親切に着物をお貸しすると言ってくださる方、差し上げるというとても親切でありがたい方もいたのですが、私が着物を着ないのは、そういうことで解決することではないので、角が立つのは承知でお断りしたのです。

もう少し、考えさせて。

確かに、さりげなく、自然に着物を着ている人を見ると、着物は、確かに日本の民族衣装で、日本人の体型に一番よく合っている。

コーラススタイルで、とても美しいと感じた人が一人いらっしゃった。ブラウスをスカートの中にいれ、美しいドレープで、絶妙なスカート丈のひとであった。
でも、それは、やはりコーラススタイル。

スカート丈が、中途半端に短くて、足首が出ているのが一番いけてない。却って、いさぎよくひざ下の丈で、足を出して自信をもって闊歩したほうがよい。
潔いと言えば、それぞれがそれぞれの服でスーツの格式に近い服装のグループもいらっしゃった。それはそれで、好感がもてたのです。
合吟は、「何人いようとも一人で吟じているかのごとくに」との統一感には、欠けるもので、本当に悩んでしまう。これはこれで、良かったのではと思う。
見た目と言うのは、真っ先に飛び込んできて最後まで影響がある御しがたいものであるけれど、このじゃじゃ馬をどう手なずけていけばよいやら、一向にアイディアがない。

着物でも、色も格式もてんでんばらばらと言うグループもいました、ダメとは言わないが、美しくない。スーツそれぞれと違わない。

格式を揃えた淡い色の裾に模様のある着物のグループは、美しかった。
しかし、それでは、私にとってあまりによそよそしい感じがする。

それは、私が着物を忌避しているからだろうと、言われてもしかたがないが、私の理想とする吟詠の姿ではない。

私の今日の服装は、遠目ではベージュのワンピースに見える上下揃いで長めのスカート、ジャケットは着なかった。
夏だから、淡い色の着物の方が多いだろうと思ったけれど、もし、濃い色の人が多かった時のために黒のジャケットも持参しました。合吟だから、一応の統一感は必要だからね。

しかし、私の様子を客観的にみると、長めのスカートでも自分で一番悪いと評した丈であった。
色と生地は、淡いベージュとサテン風だかサテンのようにひかってはいないので、素材的にはまぁまぁかな。
独りよがりではあるけれど。おそらく、合吟をご一緒したお仲間は、表立っては不満を表さなかったけれど、着物に合わせてくれたらよいのにと思っただろうねぇ。

まして、関吟と違って宗家として身を立てているお方には、腹立たしかったのかもしれません。
関吟のと言うより芦孝会だから、許されるわがままかなぁ。
でも、もう一人の洋服で出場した方は他流の方だったし。この方は、一応、着物はもってきていらっしゃた様子で着替えるかどうか悩んでいました。
私が、洋服と知って、最後には、洋服での出場でした。
「仲間がいた安心」だったのか、「あの人一人が洋服ではかわいそう」との義侠心もあったかな?

事前の打ち合わせの時半数が服の予定でしたが、蓋を開けると案の定、着物に変わった人がいて、私のほかにお一人が洋服でした。そしてもう一人は欠席。
ちょうど、両方の端から二番目に私たち洋服組二人が入って、ならび方には、一応のバランスをみせたかも。
意見を聞ける人が、私たちの出吟の一番前だったので、舞台の様子をお聞きできなかった。

きっと、統一したらよかったという人がほとんどだろうね。
どうしても、譲れない私は、確かに頑固なんだけど、この真夏のあつい時に着物を着るのは大変だねぇ。といってはみるが、それは、本当の理由ではない。


あえて、調和を乱すことはしたくないから、今度から、服装をよくお聞きしてから、出場をきめなければね。

今回は、若人の吟詩剣をお客ではない立場で、観察したかったので、着るものをおたずねすることも忘れていました。

自分の意志を通すために、合吟と言う調和をもっとも大切にする吟詠に、「乱」を持ち込んで、大変失礼をしたと思いました。

さて、練成会の合吟コンクールは、服装にこだわらなくて、吟詠本位と行きたいものだ。

学生の頃の合吟は圧巻だった、男子は学生服、女子は黒のスーツ、完璧な調和。
大人は、こうはいかないものねぇ。

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吟詩剣大会その2

2014年08月31日 | 詩吟





















                 撮影はデジカメによる


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夏休みのしめくくり

2014年08月30日 | こたろう語録
28日から夏休み最後のしめくくりに、甥っ子たちがやってきた。

断乳が完了した1歳8か月の姪っこは、めっきり食欲がでて、にぃにやねぇねと肩を並べて嘘のような食べっぷりだ。
ままのおっぱいは、最後まで栄養たっぷりだったんだねぇ。

それに引き換え、ママのほうは、すっかり食欲が失せて、あれだけのご飯がどこにはいっていたのかねぇ!と驚くほどだ。
それに、あっという間に完食していたのに、以前ののんびりな食べ方に戻っている。

今までの旺盛な食欲が、断乳しても失せなくてこのままだったらどうしようと、心配していたらしい、本人もかあさんもね。
効率の良い体をしているみたいで、断乳後の激太りの図は、無いようだね。よかった、よかった。

顔を見て泣かれていたじぃじも、やっと末っ子ちゃんから認知されて、ご機嫌で抱っこされるようになった。

我が家のDSで、遊ぶ甥っ子は、いつのまにか、文字を書くゲームにも対応し、タブレットで文章を打ち、印刷をしてはよろこんでいる。
紙面いっぱいに文字を埋めるには、大変なので、図形やでたらめにキーを打っている。
紙を一面に埋めてから、プリントすることと言うばぁばの言葉に、はじめは四苦八苦して文章を考えていたが、そうやって、すぐさま知恵を巡らせてページを満たすことをおぼえたし。




今回のメインイベントは、地元に工房のある土○鞄で、来年入学するランドセルの吟味に行ったこと。

ランドセルといったら、重いイメージなんだってね、ところが、かあさんもおねえちゃんも、持ちあげてみてびっくり、軽い、思わずくらりーの?とおもったらしい。

牛革もコードバンも、あまり違いがないように感じたんだってさ。


妹たちも、一緒になってランドセルの試着をしては、鏡の前に立ち、遊園地気分。
末っ子ちゃんのために、ミニランドセルも貸して下さって、至れり尽くせりの見学試着だって。

ママと甥っ子の意見が珍しく一致して、そして、それは、たまたまパパの好みでもあって、平和解決、予約をしたそうな。

お届けは、2月28日。首がながーくなりそうだね。



ママは欲をかいて、息子のことをあれこれ言うけれど、元気で笑っていたら十分とじぃじは言う。
その言葉に反発しながら、実家にくると、「そうよねぇ」と思いなおすんだけど、また、家に帰ってママ友たちと日々話をしていると、だんだんと要求が高くなってしまうみたいだねぇ。




甥っ子は、幼稚園でダントツ背の高い子だから、はじめてのランドセルにしては、余裕で、しょってるようにみえるねぇ。

甥っ子は、黒にブルーの背当てのデザインに決定。
二年後に入学する、姪っ子は、今何でもかんでもピンクを主張しているけれど、やっぱりピンクが良いというだろうか?どうだろうねぇ。
オレンジのランドセルが一番似合ってたと母さんは言ってたけど。


ショップのおくには、幼児のプレイルームが設置されていて、その衝立の奥では、職人さんが作業をしている様子も見えたって。


めでたく、平和解決。妹たちは、私たちもとせがむかなと思ったら、楽しむだけ楽しんで、記念写真を撮って、おとなしくランドセルにバイバイ。めでたし、めでたし。

今日、迎えに来たパパも、恐縮しながら喜んでいたよ。




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こわれた?

2014年08月28日 | こたろう語録
朝から、かちゃカチャとテープレコーダーのスイッチを押しては、考え込んでいるかあさん。

詩吟をふきこんでは、再生して考え込んでいる
どうやら、我慢できる程度を大幅に超えた雑音が吹き込んだ詩吟の中に、のさばっている様子。


あれこれやって、あきらめて、電気店へとママチャリを走らせて出ていった。

    。。。。。。。。。。。。

近くの電気屋さんは定休日、小雨の中なのに思い立ったら待てないので、防水のパーカーをきて、キャップをかぶりその上から、パーカーのフードをかぶる。
これが、小雨対応ママチャリスタイル。


 
結局、イトー○ーカドーの電気コーナーに行ったら、「もうテープは古い」「修理に出しても新しいものが買える」「試すとしたら、クリーニングテープです」などと、色よい返事がなかったんだってさ。

かあさん、危うくその店員に言い訳をしそうになったんだってさ。
「友達のためにカセットテープに録音してあげるのであって、私は、ICレコーダーをつかってますよ。」と。


かあさんも最近大人になってきて、「まだ、こんなものを使ってるの?」という視線を表向きは、さらりといなして、店員の説明を聞いたらしい。


かあさんが、卒業してからも吟詩部のボックスに通っていたころ、一番小型のテープレコーダーは、まだオープンリールで、A4よりも一回りくらい大きくて、肩にしょえるようにはなっていた。

それでも、テープレコーダーが持ち運べるような小型になってすごいねぇ、といっていた。

それからあれよあれよという間に、小型化されてきて手のひらサイズになった。

それから、今やICレコーダーになった。

手のひらサイズどころかすっぽりとてのなかにはいってしまう。
だけでなく、音質も良いし、一発選曲、記憶量も並大抵の量ではなく、音程が変えられたり、すごいなぁ。

さて、カセットレコーダーだけど、一応持ち帰ってとうさんに相談することになった。

帰宅したとうさんの第一声は、「マイクをつければいいよ」
とうさんのお大事箱を(僕と母さんには、ガラクタとしか見えないものしかはいってない箱だけど)ごそごそと探していたら、「あった、あった」と叫んだ。

かくして、ガラクタのなかから、お宝が出てきて、めでたく雑音が入らないで録音できることになった。

電気の修理系統のトラブルは、まず、とうさん。
かあさん、あせって修理に出したり、新しいのを買ったりしないで、よかったね。節約できて、とうさんの顔も立ったしね。

しかし、ガラクタ箱がまた生き延びた。







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恵風

2014年08月27日 | 徒然に日々のことを
スカイツリーラインのとある駅のちかくの「恵風」というギャラリーで、年に一回開催される展覧会を見に行ってきました。

ここには、プロ、アマ問わず多彩な人が集まり、歌ったり、おどったり、絵や彫刻や書の展示有り、手剣i工剣iの展示即売有り、お茶を頂きながら、おしゃべり有りの何でもありの展覧会です。

論語仲間で、写真家で、袋物の制作でも熟練の腕の友人に誘われて三年前から、冷やかし組として参加しています。

今年は、彼女の手提げ袋とちょっとした小物を入れられる二つ折りの布ケースを今回は和柄で集めてみました。

そして、よく見ると猫の顔の彫刻してある銀細工のペンダントヘッドを飼いました。

程よい味のよく冷えた紫蘇ジュースを頂きながら、話は姿勢をよくする体操に発展し、ではみなさんでやってみましょう。
そして、その体操を見てコーラスの先生が、私の体操をとご披露、なら、そのもとの詩吟と歌を聞かせてよ、と言うノリで、作品の並ぶ部屋で、それぞれがそれぞれのものを、発表することになりました。


そのほかにも、論語仲間がいて、それぞれ書の腕が相当のもので、でも、これだけの腕をお持ちのお二人なのに、その片りんも見せず、奥ゆかしい方がただったと知りました。

謙虚ってこういうことなんだなぁと感ずかせてくれました。


はじめの一歩に、明るく楽しんで参加してくださっている人たちです。



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東京芦孝会8月中央会

2014年08月25日 | 詩吟
今日の吟題は、和歌「ひさかたの」紀友則。

苦手意識は払しょくして、ゼロスタート宣言を自分に課した。
和歌は漢詩とは別分野と考えることができて、初めて、吹っ切れたのです。
漢詩は長年やってきた慣れというものがあり、気が付けばちょこちょこっと直しを入れることができるけれど、和歌は、基礎固めをしているところなので、うまくいくときと、そうでないときがある。

特に今日の和歌は、ハイテクニックの音程変化なので、私には難しかった。

やっぱり、まだどこかにこだわりができていて、阻害因子がある。(と、思いたいだけかも)


幹事および指導者部会が、練習後に行われました。

15周年記念錬成大会の決め事が、わんさか押し寄せてくる。

入場の時の、プラカードの制作をまかされる。こんなとき、教室が近いと、手先の器用な人アイディアや、PC術のある人とにすぐさま相談できるのだが。

第3金曜日の練習日なので、練習日のすぐ後に中央会が来るから、こんなことになるのだなぁ。

第1金曜日なら、中央会のすぐ後にくるから、決まったことの相談がすぐさまできるのに。

月に1回の練習は、フットワークが悪い。いままでは、こんな感想は出なかったのだけれど、自分の練習だけしていればよかった初心者を卒業して、詩吟は、自立の方向へ、そして、芦孝会の仕事への参加をそろそろ考える時期になっているので、仕事が、増えてくるのだ。

いつの間にか、幹事がやってくれているという状況は、物事がシンプルでよいのではあるが、いざ、ピンチヒッターがひつようになったとき、あやういのです。

たぶんこんなことをしているのだろうという感覚でいてくれて、いざの時、何とかなりそうな人員が、必要だ。

今日のすべて終わった後の飲み会は、いつになく盛り上がっている。
大仕事を控えて、気持ちが高ぶってきたのかもな。
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夢青葉8月

2014年08月22日 | 詩吟
今日の青葉は、久しぶりにゲストさんのいない日でした。

新入会の方の入会(再入会)書類と会費も頂き、明後日の中央会に持参します。
大阪本部に出かける時に、野田 芦孝先生にお持ちいただいて、正式メンバーとなります。

正式には、そういう状態でも、青葉では(芦孝会も)いらっしゃった瞬間から、正式会員で入会したものとみなして物事が進みます。

いろんなことが、さっさと決められていくので、彼女曰く「三分間クッキングみたい!」と。

うん、おもしろい。

物事、こんなに簡単に決めるのは芦孝会の中でも私ぐらいのものかもしれません。
だから、「ノー」をきっぱりと言わなければ、ひきずられてしまうかもねぇ。

どうしますか。。。。。この沈黙が耐えられない私なのです。

メンバーが少ないので、時間が他教室より短いので、決め事はさっさとしないと、練習の時間が短くなるからね、と、いいつつ、ガールズトークの時間は、節約しないのであります。


今日の練習は、それぞれが、練成会と昇段試験で、行う吟の仕上げをいたしました。

それと、”ステージ刻”で行う「詩吟ってなぁに」の講習吟題を秋の季節にちなんで、「菊花」としました。

それを、さらりとおさらいをしましたが、テキストの順番ではない吟題をさらりとおさらいをするというのは、初めての経験で、とっても、うれしい体験だったようです。

懇切丁寧な練習は、もうそろそろ、卒業かな?
新メンバーは、5段の有段者ですから、合吟を引っ張ってもらって、頭によくはいるのではと思いました。
今まで、私の吟しか聞いたことのない二人が、控えめだけれど、娘くらいに若くても存在感確かに自分らしくそこにいてくれるny<tェイスさんに、好感を持ち、吟では先輩として、融和している様子は、気持ちがよい。

ニューフェイスさんが参加なさるのが、もし、去年だったら、こうはうまくはいかなかった気がする。

この一年の二人メンバーの成長は、さすがに今年三段受験者であると思うようになって来ていますから、ニューフェイスさんが5段で師範代の資格を持っているといったら、ちょっとびびったかな?

と、考えるのは、わたしだけかな。もしそうなら、私は、二人を侮っていたことになるなぁ。
自立できるのに、危ない危ないと独り歩きさせたがらない、ばぁばみたいにね。

なにはともあれ、これからの青葉がたのしみでしょうがない。






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基礎論語とはじめの一歩

2014年08月21日 | 論語と
尺八のK先生が、今日から論語仲間になります。
さっそく、今日から尺八持参で、きてくださり、論語のあとで、いつもなら新しい漢詩の解説をする時間に、吟詠を三題ご披露する時間を、須藤先生がくださいました。


まず最初は、抜き打ちではじめの一歩さんたちの「偶成」の合吟。
吟詠の時間の前ですから、声も全く出さないうちに、急に前に呼び出されて、並ばされて、ほいって感じで、やらされたのです。

絶対いや!といって抵抗する人が居るかと思ったのですが、ぞろぞろと言う感じではありますが、前に出て来てくださって、無事合吟が終わりました。

次は、Tさんの「山中問答」をご披露。
いつもは、アカペラでの模範吟ですが、今日は、尺八の伴奏つきで格調高く論語の方たちに、お聞きいただきました。

少し時間がずれこんでいたので、ご披露は二題までとしました。

全くの初心者が、今日で、5回目の練習で皆の前で合吟する機会ができたのも、ひとえに尺八さんのおかげです。

懸念した不都合は起きることなく、最後まで練習ができました。

Kさんありがとうございました。

論語仲間で、須藤先生の前ですから、さん付で呼ばせていただきました。
そんな、私の、小さなこだわりにも、いやな顔一つせず、尺八を全うしてくださり、こんなため口を聞くかのような扱いに、嫌気がさして、今日だけのお試しなんておっしゃって、次回は欠席なんて言うのではないかの懸念がありましたが、次回も参加されて、論語のテキストの注文をなさって帰られました。

あくまでも、須藤先生の論語の講座の構成メンバーとしてという考えは、ごもっともとおっしゃっていて、心配しすぎだったかもしれないと思うのです。


尺八の伴奏で、詩吟を気楽にできる機会なドめったにないわけですから、ひらひらと舞い上がって喜ぶところですが、今の立場では、単純に「やったー」と言ってしまえないところが、うらめしい。


それにしても、この私が「立場上」なんて言葉を使い、曲がりなりにも一歩先を考えているなんてねぇ。

教える立場になると、一挙にいろんなことを学び、いつの間にか身につけていることがあるものだわ。


   徳孤ならず、必ず隣あり。(通の九十一)


須藤先生の最近発覚した事件に関して、きっとこんなことを思っていらっしゃるのかなと思ったので、選びました。




今日は、講座の前にランチをなさっているはずなので、早めに7階のさくらレストランへ行ってみました。
お一人でランチしているところへ合流して、二人でおしゃべりです。

二人でなかなか話の弾まない私なので、実は、他に誰もいなかったらどうしようという恐れがあったのです。

全くの杞憂で、論語の開始時間を忘れてしまうくらい話し込んでいました。

一つは、7月の年に一回の三日間特別講座の公社側発行の新聞記事に、有り得ない記述があったことを先生からうかがいました。

うーん、これは問題。このような記事は、先生の名前で検索するとパソコン上にでてきてしまうのです。
受講生の感想ということで載せられたのなら、問題はないのですが、公社側の報告記事にこのような書き方をされてしまうのは、初心者の私でも、おかしいと思う。
内容はもとより、言葉の使い方、漢字の間違い。

この漢字の間違いと言うのは、日頃詩吟で最もその意味するところの最上の文字を選んで吟じている立場からは、この漢字を使うのは、先生に対する敬意もその伝えようとするところを悪意をもっているとしか思えない表現がされていました。

悪気はなかったと、いえるだろうか。その方がそのように先生の言わんとするところを、受け取ってしまうには、かなりの教養人であるはずのその方の署名記事であったということにも、何なのか受け取り難いことでした。
之は、記事のぼうりょくではないだろうか。身近な人に、こんなことが起きるなんて。

こういう書き方をするなら、自分に問い合わせてほしかったとおっしゃっている。
あるいは、原稿依頼を頂きたかったと。

先生の論語仲間であれば、これは何かの間違いで、須藤先生がこんなことを考え教えているはずがないと思うでしょうが、世界にばらまかれ、全くの論語初心者、あるいは初心者になっていない人、あるいは、悪意のある人には、論語自体、孔子に対する考え方を曲げてしまう。

恐ろしいことだと、日頃あっけらかんとしている須藤先生もさすがに、落ち込んでいらっしゃった。

唐の署名記事を書いた本人からの、先生のメールに対する返事はまだないとのこと。


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ひばり会

2014年08月19日 | 徒然に日々のことを
月に1回の剣詩舞の稽古、ひばりが丘なので、ひばり会と名付けた。

小西先生は、約束通り、ユニ○ロの女性用のステテコをはいて、その上に帯を締め舞扇を指して準備完了なさった。

袴に隠された足の位置や動きがわからないと言う超若輩者の私の願いをかなえるため、わざわざユニ○ロに出向きステテコを新調して、おけいこに臨んでくださった。

私は、ひざ下で切って袴でも踊りやすくしたいつもの練習用の浴衣にステテコを履き、ひもで縛って舞扇を差せるようにして、準備。


おかげで、ひざの微妙な曲げ方、ひざの開き方、足先の向き、そろえた足の位置、体重のかけ方、しっかりと見せていただいた。

それ以上に、私の不十分な足運びがあからさまになり、自分でもひどいことがさらに、よくわかる。

袴で隠されていた足が二本、白日にさらされて、赤面の至り。

このみっともなさは、先生は袴のうえからでも、先刻ご承知のはず。
上半身の位置や傾き、腰の不安定さを見ただけで、すべてを見通されているはず。

おそらく先生が習い始めた時は、当然のことに、袴で一部始終を習い、自然にそれらを身につけたはず。
袴で隠されていても、きっと経験と想像と長年の、精進で、足の運びを身につけてこられたことでしょう。
その長年かかって身につけられたノウハウを、超初心者の後継者になるはずもない私ごときに、惜しげもなく足をさらして教えてくださる。
ありがたくて、申し訳ないと思う。


おかげで、何年もかかることが、短時間にしることができた。
しかし、知ることができたことと、その通りに足が動き、舞うことができるのとは、天と地ほどの差がある。
次回の来月まで、どこまで記憶にとどめてくれるやら。

ノートは、書けども書けども、わからなくなってくる。
立体の踊りを、平面のノートに書き記すのは、わかっていないものがやることだから、余計に難しい。


工夫を要する。
なるべく、記憶を落とさないよう、そして、歩きの練習をすることだ。


10周年の特訓以来、基礎的なことはすっ飛ばして、舞の手順やら、止めの姿勢やらを習ってきているけれど、今日、足が白日にさらされると、やはり、歩き方をきちんとせねばならぬと、家でのお稽古を勧められた。

舞の練習の仲間は、もうずいぶんと経験を積まれて、ちょっとだけ指導をされれば、舞える腕前の方二人なので、なかなか、基礎の基礎に言及するのを控えていらっしゃる様子。

今日は、あまりの私の足運びのまずさに、言わねばならぬと思われた様子でした。

ただ、私のあまりに稚拙なあっけらかんの質問は、剣舞を長年磨いていらっしゃった大先輩にも、詩舞の足さばきは学ぶべきところがあって、おおいにべんきょうになりましたと、逆にお礼を言われてしまいました。


お二人の気のいい大先輩は、気取らず、やさしく、超初心者の私がつい遠慮と言うものを忘れがちで、赤面の場面もありました。

笑いでごまかしている私と、一緒に大笑いしてくださるお二人に、心から感謝です。

また、来月。

楽しみです。
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臨時幹事会 お疲れ様

2014年08月17日 | 詩吟
10月13日の15周年記念大会のための、プログラムの仕上げに、幹事さんたちは朝の9時から東大島に集まった。

手作業で打ち込んだものを、センターの印刷機で、印刷。
今回のプログラムは、各教室の寄せ書きが綴じてあるので、ちょっとした小冊子になる。
必要部数を、ページごとにならべ、順に重ねて、ホッチキスで止めてファイルにいれ背表紙を付ける。

総て、手作りのプログラムが、幹事と野田 芦孝先生と10人の手になり出来上がりました。

私は、所要で、11時を過ぎてからの参加でしたから、楽でしたが、朝早く遠くから、あるいは、忙しい仕事を終えて来てくださった幹事さんが、静かに作業にいそしんでいらっしゃいました。

なんでも、手作りをするわが芦孝会は、このような作業や、会議で集まることが多いので、幹事団の結束は固い。
良いこコミュニケーションが取れているから、面唐ナ時間のかかる作業をやりのけてしまうのでもある。

こんなに大変な作業を、誰が幹事以外に知るだろうか。私以外は、「たいへん」という言葉を辞書に持たないらしく、外にはつたわらない。
上手に大変だぁといえたら、お疲れ様、ご苦労様と言ってもらえるのに。

幹事の一員としては、この謙虚な態度に右にならえをせねばならないのよねぇ。

しかし、わたしは、指導者部会の一員でもある。その立場から、この大変さを漏れ伺ったとしたら、何かの形で、会員さんたちに、押しつけがましくない方法で、伝えねばならないのだろうなぁ。

幹事になって、それから、指導者になったので、女性が少ない(3月まで3人、今は2人)ためもあって、辞められないで二束のわらじをはいている。
といっても、指導者部会は、今は甘アリ機能していない。
ある意味、幹事会が肩代わりしている部分もある、線引きが難しいこともある。
会のためにと考えていると、いろいろと考えがわきおこってきて、幹事会で気心の知れた仲間と話し合うというのが、今の様子なのかな。

会員のためをおもうことは、線引きなど必要のないことで、こだわると、向上の名のために、競い合いになってしまう可能性があり、危うさもでてくる。

このよき慣習を崩さず、もうすこし、楽に運営する方法は、ないのかなぁ。

幹事が、ここまで働かねばならないのは、一には会費が十分でないことだ。
練成会では、プログラムは必須だけれど、外注すると、高額になるのです。
PCがかなり、使いやすくなったといっても、詩吟の会のプログラムには、通常に使われている漢字だけでなく、特別に選び出してこなければならない漢字が多い、そのため、打ち込みには時間がかかる。

そして、校正には、神経を使って確認をするのだけれど、慣れない作業で、完璧を目指して行ってはいるが、何かしら出てきてしまう。

もう少し、幹事は報われてよいと思う。


さて、まだまだ、相談して決めなくてはいけないことが山積み、プログラム完成のあと一瞬ほっとしただけで、すぐさま、会議。


この結束は、稀有のものだ。
もし、わたしが、このなかまではなかったら、きっとうらやましいと思うことでしょう。
外に漏れる様子は、楽しそうなことばかりかもしれないけれど、この楽しさは、大変な労力提供の上にあるからのもであることが、わかれば、単純に羨ましがってはいられないとわかるのだけれど。

何事も、楽で愉しいことばかりはないよねぇ。
















記念品については、手配済みと報告。一か月前に、完成して、我が家へ配送の手配となっている。
今回は、私一人で、事を運んだので、私の手に届いて物を見るまで、心配ではある。
その件で、少しドキドキしたのだけれど、うれしいことに帰り電車を乗り換えて一人になったときのこと。
不思議な感覚とともに、あるイメージが一瞬で目の前に展開した。
それは、記念品が9月10日に届き、開封したら、思った以上のものができてていて、感激、感涙のイメージが一瞬で目の前に展開した。
質感や重さまで、まるで現実であるかのように、「一生初心」を印字したマグネットが、手の中にあった。
どうか、これが正夢でありますように。
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