風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

東京支部中央会

2010年03月28日 | 徒然に日々のことを
中央会は、来月の総会の相談で幹事会がはじまり、お稽古は昇格試験の吟題を随時練習しています。

若葉会が発足し、来月1回目の運びとなったことを報告する機会をいただきました。
会員登録をしたお二人のことは、期待を持って見守っていてくださるようです。

まず、一回、そして次の会の日にちを決めて二回目へと、一歩ずつ。

うれしいことに、先日会った若い友達のお母さんも見学に来てくださるそうで、にぎわいそう。

たのしみ、たのしみ。
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東村山にて

2010年03月27日 | 徒然に日々のことを
東村山のお友達の手兼Xをお借りして、詩吟の会が始まることになり、その相談会の日。

2年前の、高校の同窓会が翌年の関西吟詩文化協会東京支部10周年大会の会場と同じだったことから、詩吟の話になり、詩吟を披露し、それを聞いた1年下の後輩が、詩吟を習いたいという話に発展しました。

彼女とその同期の彼と二人が初弟子で、もうすでに、関西吟詩文化協会の会員登録も済ませました。

5人座ればいっぱいで、そのほかにカーペットの場所があるので、10人までなら何とか顔を見ながら声を出すことが出来るという私の考え方にはちょうど良い広さということにしておこう。

若葉会と命名して、来月の17日に第1回目の運びとなりました。

             ばんざい!


=追伸=

後日、会場のお店の主人=会員となったTさんのご都合で、17日が無理となり、18日にお稽古の日となりました。
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詩舞小西会

2010年03月25日 | 徒然に日々のことを
やっと、宝船のお稽古に入りました。
初回の練習は、1月21日だったから、2ヶ月もほったらかしでした。
いくら、懇切丁寧にノートをとったつもりでも、悲しいかなそのノートは、初心の初心者の私には、意味不明部分が多く、22日のひばり会では、どうにも舞うことが出来ませんでした。

やっと、生きた練習が出来ます。
基本の動作から次の基本動作につなぐ動きが、肝心で、なかなか滑らかにつながっていかなくて、苦心惨憺。

小西先生は、最初から出来ないわよと、おっしゃりつつ、厳しい指摘をなさる。
運、これこそがお稽古だ。



お稽古あとで、ひばりが丘の駅ビルで、娘よりも若いお友達と待ち合わせをして、いろいろあれこれおしゃべりをした。
こんなに若いのに、私と会話が途切れなく続くのは、彼女の空手と私の詩吟と相通じるところがあるからなんだろう。

おもしろいなぁ。


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誕生日

2010年03月22日 | 徒然に日々のことを
母さんは、今日誕生日です。
今年62歳になりました。
僕は、3月26日に9歳になります。
人間で言うと、52歳くらいだそうです。

二人のお姉ちゃんを、追い越して名実ともに長男となり、いまや、母さんの年に追いつこうとしている僕。

それにしても、外に出ないで危険に会ってこなかった分元気だよねぇ!と、母さんとおねえちゃんが昨日会話してたなぁ。
僕って、若いんだ。

ストレスも無く、権利拡張をし続け、父さんまで手中に納めた僕は、ここでは、王様なんだよねぇ。

     


干したばかりのカバーを、母さんは油断して椅子にかけていた。

では、早速、乾き具合をチェック。  う~~ん、良く乾いててきもちいいなぁ~
おひさんのにおいってサイコウダァ。

エッ、降りろって?
いやだよ~。
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ひばり会

2010年03月22日 | 徒然に日々のことを
誕生日の今日、ひばり会でした。

すでにメンバーはそろっていて、今日が誕生日と知れ渡っていて、といっても4人ですが。
ケーキを用意してくださった方、ハッピィバースデイを歌ってくださる方、あわてて後からハーゲンダッツを用意してくださった方、思いがけなくてなんだかとってもうれしい。

今日は、小西先生は、所用でいらっしゃらないので、詩吟とあわせて、気になるところを何度も繰り返して、おさらいをしました。
こんなとき、吟者が舞のことを良く理解してくださっているので、お稽古がちゃんとお稽古になるのが、良いなぁ。
そうでなくては、基本の出来てない私が、先生のいないところに行って練習しも意味が無いのです。
それで、今日は6月の「三叉・・」のためのお稽古てんこ盛りです。

手順としては、今日は先生がいなくても宝島のおさらいもできたらよかったのですが、
ノートを出したのはいいけれど、舞の復習になるほどの記述が無いので、あきらめました。

ノートに頼れるのは、基本動作が体に入ってからのことと、良くわかりました。
特に、私のノートでわからないのは、つなぎの部分と扇の持ち替えでした。

一番肝心のところは、文字では表せないのです。
やはり、繰り返し繰り返し、舞うことと吟者と良い関係を築くことです。
といいながら、お誘いのかかる舞の機会ではそのたびに吟者が変わり、ぶっつけ本番で舞うために、どうしても足元が安定せず、果てはまだまだ腰の落ち着きが無いところをふわふわと腰が浮ついてしまうのだから、ほんとに、どうしようもないなぁ。

今日は、小西先生がいない気安さで、剣舞の刀を持たせてもらったり、果ては鞘への収め方などもまねさせてもらったり、好奇心と遊びを満足させたのでした。

この会場は、もともと剣舞を長くなさっていた方が、自由に練習しましょうと始まったところで、先生を名乗っていなくても先生といっても差し支えないほどの達人もいらっしゃるので、おかげで大輪神刀流の基本を学ぶことは出来るのです。




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関吟東京 谷中教室

2010年03月20日 | 徒然に日々のことを
谷中教室で第一回目の漢詩の作り方講座が、ありました。

漢詩を歌う詩吟を長年やりながら、漢詩を作ることに興味を持たないというよりも難しくてとても私には出来ないとずっと敬遠していたのです。

谷中の教室も一番近いのに、なかなか足が向かなかったのも、漢詩&中国研究という副題のついた教室だからということもあったのです。

最近は、谷中教室の先生に高い声をだす女性のためにとほだされ、近いからという足場のよさも手伝って、足を運ぶようになりました。

今日、講座を受けてみて、イメージを持つことはまずはじまりですが、いろいろと難しい決まりごとにあわせた表があってそこから、熟語を選んでいけばよいということがわかり、少し身近になったかなぁ・・・

それにしても、物を作るというのが苦手なのは、物事の表面を簡単に捕らえてよく観察しないということが私の欠点なのだ。
良く観察して気持ちのあふれる方のどなたかに作っていただいて、吟じるのが私にはよいなぁ。(なまけものめ)

基本的な作り方をはじめて教えていただいて、表を見ながら、ジグソーパズルのように七言で四行の絶句を作るのを、あっという間にやってのけた猛者が出現したのには驚いた。
彼女は、洋楽の楽器でライブをやる人で、詩吟も習っている多彩な人です。
これで作詞が出来るようになったら、シンガーソングライター&吟者だ!

彼女は、先日の私の舞を惜しみなくほめてくださり、今日も、当然舞いもこれから続けるのよねと、励ましてくださった方です。

関吟のテキストの巻頭言にあるように、詩吟が好きであること楽しむことはもとより、好きであるということだけではまだ十分ではないよということばに、いつも、好きなんだけどなぁ、それ以上をと望まれると私って、、、と思っていたのです。

そして、去年は、詩舞に心を散らしてしまったし、ますます、心苦しい。
教室をひらくというのに。
やだなぁとおもいつつ、作詞の講座にしぶしぶ参加したのも、この巻頭言の言うところにいつまでも、心苦しく思っていてはという気持ちから。

むりなく、心動かされたらそのときがチャンス派、私のモットー。
すみこという私の本の巻頭言だ。
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お手伝い

2010年03月16日 | 徒然に日々のことを
母さん、だめジャン。
メールの返事しなきゃ。

14日、横浜で、最後の詩舞を舞ってホット一息したところで、また次の依頼が有ったんだった。
それは、老人ホーム慰問で、全体のプログラムの中の15分を東京支部の時間としてもらっているのに、今年は詩舞も入れたいということだった。

11月以来続いている緊張をこれで解けると思っていたところだったんだよね。

母さんは、自分でも意外なくらい責任を持って、緊張を続けていたみたい。

頼まれることをことのほか喜ぶ母さんだけど、今度ばかりは、「あーーぁ」ともり下がったらしい。

それで、再度のお願いとしてメールを駄目押しで頂いていたのに、返事をしていなかった。

「ノー」というつもりはなかったから、すぐに返事をしなかったらしいけど、お電話まで頂いてしまった。

ご老人に、喜んでいただけることなら、二つ返事のはずの母さんなんだけどねぇ。

「三叉口に舟を泛かぶ」は、いろいろないきさつから、振り出しは小西先生ではなかった。舞うたびに手直しをし、それはそれで、大いに勉強になったんだったよね。

日本舞踊と剣舞の良いところ取りで、母さんの進歩の度合いに応じて、より詩舞らしく格調高く変わってきたのは、狭い家のリビングだから中途半端の動きだったけど、おさらいをする母さんをみてきたけどね。
なかなか、いいよねぇ、詩舞ってやつは。

節目節目に、望まれて舞うことは願ってもない上達の道だったわけで、それを、せっかくの依頼に躊躇するなんて、贅沢なんじゃないかなぁ。

「ほんとに申し訳ない」と、電話を切った母さんの心が言っていた。

6月の終わりに舞うわけだから、二つ目の「宝船」をきちんと習いつつ、もう一歩上の「三叉・・・」を目指そうよ。
ねぇ、母さんや。

母さんの一生の中で、この一年は、ほんとに珍しくまじめにがんばってきた母さんだから、ちょっと、疲れて休みたいという気持ちは、猫の僕にはほんとに良くわかる。

ぐうたら、のんびり、ぼーっが好きな母さんの気持ち、ほんとに良くわかる。
がんばれ!  母さん。
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女の子

2010年03月16日 | 徒然に日々のことを
昨日買い物帰り、電車に乗ろうとしたら、自動販売機の横から女の子の足と靴が見えたんだって。
驚いて近づいてみると、女の子は口の周りを汚してうつろな目で、横たわっていた。

母さんは、思わず声をかけたら、どうも、問題ありという雰囲気の子だった。
お母さんに電話しようかという問いかけには、何も応えず、友達が来るからということだった。

とりあえず、ベンチまで連れて行って座らせて、ハンカチをぬらしにトイレまで走り、口の周りをぬぐい、マスクをはずさせた。
マスクをした状態で、吐き戻したらしく、口の周りに一杯吐寫物がついて、服にはほとんど汚れがなかった。

服は、ずいぶん着古したもののようで、ャPットには穴が開き、繕った後はなかった。
そろばん塾のバッグを持っていたので、その帰りだったのだろう。
ハンカチは冷たいけれど、我慢してねと語りかけているうちに、目に力が戻ってきて、友達は先に言っちゃったと答えたそうだ。

それが本当かどうかわからないけれど、とにかく、元気になったら、ありがとうといって立ち上がり行ってしまったんだって。

マスクとハンカチはビニール袋に入れ、いまどきなので持ち歩いている殺菌剤で手をぬぐって、買い物袋をもって、帰ってきた。

今朝になって、お姉ちゃんにその話をしてた。
お姉ちゃんは、吐寫物に触らないで駅員さんに任せるべきだったね。
でも、知らん振りをする家族だったら、いやだなぁ。と、僕にはちょっとよくわからないことを、母さんに言っていた。

母さんは、そのころから、急にもし、細菌性のものだったらと言う実感がわいてきたらしく、背中がぞわぞわしているのを僕は感じてしまった。

相変わらず、お姉ちゃんは、まっとうなことを言うなぁ。
僕の家族は、こんなことを美談に終わらせないんだよね。

母さんは、その後、「お母さんに電話」という言葉に反応しなかった女の子について、深く考察を重ねていたようだった。

まず、家族に問題ありだったのか、それとも事情があって、お母さんに連絡を取れない、取ってはいけない子だったのかも、、、
なんて考えている、それだったら、お母さんが当然のように家で待っているかの言い方をして女の子を傷つけてしまったのかもしれないなぁと。

母さんって、いろいろ、いろいろ考えるもんだなぁ。

しかし、お姉ちゃんは、言ってた。「今になっても、下痢しないのだから、なんでもなかったんだね。よかったね。」と。

母さんは、思わず体が動いてしまったけど、自分でもこれが大人だったら、ここまでしなかっただろうといってた。

次に、こんなことに出くわしたら、どうするんだろうと、自問してたよ。
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センターまつり

2010年03月14日 | 徒然に日々のことを
今年度最後の詩舞のお手伝いで、横浜市神奈川地区センターまつりに参加しました。

「浜吟四季を詠う」は、12時30分に始まる予定でした。
着替えに11時30分から更衣室を提供していただきました。
ありがたいことに、姿見と寒い時のためと、着物が広げられるようにホットカーペットがおいてありました。

30分の着替えの時間を見ていれば、うまくいかなくても着直しが出来ます。当日は、スムーズに着付けが出来て、20分で完了でした。
回を重ねるごとに、着替えも手早く楽になり、紐や帯がきっちりと締まるようになりました。

打ち合わせで、吟者の並ぶ位置、踊る位置をきめている後ろ左方向で、ジャズのサークルのドラムセットが設置され、ちょっと興ざめでしたが、浜吟の次のプログラムはジャズグループだからしょうがないねぇ。

それで、舞う場所は、ドラムセットと吟者の間ではなく、吟者(浜吟全員)に真ん中に並んでもらって吟者と観客席にはさまれる位置のお客さんのすぐ前で舞うことになりました。
あまりに観客に近すぎるかと、途中で不安になりましたが、もしかしてドラムをなぎ唐オてはいけないので、気にせず舞うためには、そして、観客への訴える力においては、その決断が良かったかと。

さて、午後1番の浜吟の発表が始まろうとしたとき、ついさっきまで働いていた音響がうんともすんとも言わなくなるというハプニングに見舞われました。

約30分の遅れの後に始まりましたが、トップバッターの吟者はさすが人生の達人、臆することなくゆったりと吟じられました。

おかげで、つつがなく吟じ終わり、最後の私の詩舞の番になりました。
近くに住む後輩が見に来てくれていますから、彼女の前で、心意気を見せねばなりません。

40年前私は『鬼の田辺(私の旧姓)』と呼ばれていました。
現役部員のころは、大して期待も去れず優秀な4人の同期の後ろをしょぼしょぼとついていっていたのです。
卒業後、同じ市内に職を得た私は、気がついたら先輩と呼ばれ部室に大きな顔をして訪れ、指導に当たることになっていました。

現役の2年間に鈴木・永井の岡大最強の指導者コンビに叩き込まれた教えを、後輩に授けるべく私は、本来の私ではない私を発揮して、のちの5年間の間には、『鬼の田辺』と呼ばれるようになっていました。

そのときのことを彼女の口から「先輩(40年たった今も彼女は私のことを先輩とよぶのです)がボックス(部室)に来られたら、空気がかわったんですよ。」と聞きました。

私との部活が浮ュてたまらなかった彼女が、今になって私に親しみを持つようになったのは、あの時、本来の私ではない私が必死で、きつい思いをしながら後輩のためとがんばってくれていたということがいつしか理解できるようになったからだと。

詩吟と吟詩部の部活に大きなこだわりを持って、がんばっていた後ろには、佐藤鷺照先生がいてくださいました。先生のたおやかでいて芯の強い詩吟を毎週のように聞き教えを受け自然と私の体に蓄積されていったものが知らないうちに山となったのですねぇ。

部活としての男勝りの活動をことばを多用してたたき込んだ鈴木永井路線と、伊豆丸鷺州先生の薫陶を得た鷺照先生の語らない静かな指導とで、私の隠れていた能力を引っ張り出してくださったのです。

今は、詩吟のない生活は考えられませんが、吟詩部の部活と佐藤鷺照先生の教室と東京連絡所と呼ばれていた東京支部の前身のそのどれが欠けても、今の私はないわけです。

40年の時を超えて、会いに来てくれた後輩に感謝し、未熟ゆえに傷つけた人もいたことを思い、さまざまな思いが交錯する中で、打ち上げの席に向かいました。

彼女は、10年ほど前から、横浜で別の流派で詩吟を始めたそうです。
入会は無理としてもぜひ、遊びに来て欲しいものです。


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後輩

2010年03月08日 | 徒然に日々のことを
母さんにとって、今年は玉高の後輩年なのかな。

4月から、一年後輩二人を筆頭に詩吟のお稽古が始まる。

そして、浜吟の練習会場近くに住む詩吟の後輩を、来週の春の会に誘ったら、母さんに会いにきてくれるらしいよ。

詩舞をすると描いたけど、詩吟はしないと書かなかったので、後輩は母さんの詩吟を聞きにくるつもりだったんだって。
今日、携帯にメールが届いて、わかったみたい。

どうやら、仕事を休んできてくれるらしく、申し訳ないことをしたと言っていました。

吟詩部で一緒だったころから、40年ぶりに会うのだから、うれしいよねぇ。
母さんは、太ったからわかりにくくても、プログラムを見ていたらちゃんと名前を書いてあるから、後輩にはわかってもらえるけど、彼女のことが見つけられるだろうか。

今から、どきどきしている。
案内はがきを送ってから、しばらくたっているから、彼女も迷ったんだろうねぇ、仕事の休みもとり難かったのかも・・・

あまり取り越し苦労をせずに、会えることだけを楽しみに、14日を待ったらいいんじゃない? 母さんや。




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