風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

関吟東京支部中央会12月練習納め

2011年12月25日 | 詩吟
今年最後の詩吟の日。
幹事会、練習と進み、最後に一言一吟。

今日の詩吟は、全員、その人らしいすばらしい吟が聴けました。

なかでも、お二人の方の吟がことのほか心に残りました。

最高齢男性の味わいのある吟は、私も20年後にはあのような味わいを出せるようになるぞと心に誓いました。

そして、ちょっとお姉さんの「芳野懐古」は、じわりと目が潤んできて、あわや落涙寸前。

何故といわれても、泣けてきたのだから。

後付けの理由はいくらでも探せるけれど、どれも違う、泣けたから泣けたのよ。

ほんとに、こんなこと初めて。

こんな吟を聴けるとは、長く続けてきた甲斐があったというもの。

さて、私の吟をレコーダーで聴きなおしてみると、高音の特に「あ」の音の伸びは出てきたけれど、低音部がまだ不安定で、行間の趣がなく、息切れが感じられた。
転句の大山おくりの7の音が出ていないという指摘を頂いたのは、ありがたかった。

私の七山からの下りは、今日の吟じ方と解釈をしていましたから、次への課題が出来ました。間違っていると聞こえるなら、直さなくてはいけません。

そして、結句の、ゆとりある大山を吟じようと夢見た部分は、まだまだ。

細かな息切れ部分が、目立っていて、恥ずかしい。
こんな要の時は、録音して聞きなおすべきだなぁ。

改善された点は、頭高のアクセント部分が、格段に良くなってきたこと。
これは、誰も気づいてくれなかったけれど、確かに良くなっていて苦手意識が払拭されました。

三段上げは、声の伸びに任せて延ばしすぎると冗長になり、次の大山への息の配分が難しくなる。

この吟は、当分卒業できない。

皆さん、この一年ありがとうございました。来年も変わりませず、よろしくお願いいたします。
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ちょっと心配

2011年12月22日 | 詩吟
このところ、問題意識を持って、詩吟に取り組む人がまわりで、増えてきたように思います。
三段になると名前を頂くことになり、先の指導資格を受ける準備の段階に入ります。
自立する時期でもあり、そこに安住しないでさらに上を目指すのは、頼もしい限り。

ただ、一つ気になるのは、高さへの挑戦をテーマにしている方たちのことです。
高さをあげるには、ただ、高い音で練習することではないし、高い音が出ただけでなく、ゆとりを持った音を出すことが重要です。

今までの高さで吟じた時の声の伸びはあるか、息が苦しくなりすぎないか、頭高のアクセントのことばの最初の音をごまかしてないか、低音部が雑になっていないか。
自分の吟を録音し聞きなおし、自己満足に陥ってないか、厳しい耳で点検しながら練習を進める必要があるのではないかと思います。

高い声を出すことで、喉を詰めてしまう癖が出たりしていないか、息を上手に盗めているか、姿勢や顔が傾いたりゆがんだりしていないか。
頭で、音を高くするのではなく、体で音を出す、体に覚えこませる作業は、個々にやり方はあるでしょう。
しっかり考えて、ただ、高い音で吟じるのではないことに思い至って欲しい。

そして、自分の声帯では無理と判断したら、すみやかに音を元に戻し、本来のその高さを、もう一度体に覚えこませる必要があります。
あくまで、可能性を探り、声を出すための練習と思って取り鰍ゥるのが良いかと思います。
迂闊にやると、音程が狂うこともあります。

あるいは、どうしても高い音で吟をしたいとなるなら、姿勢、呼吸法、発声法を基礎からやりなおして、取り組む必要があります。

今までの、自然発生的な、声の出し方のままでは、巧まずして正しい発声法が出来ている人は別として、喉を痛めたり、せっかくの流れを変えてしまいかねません。

私自身、今、呼吸法を会得しようとしてやりきれて居ないのだから、何の助言もしてあげられないのだけれど、自分の体を楽器と考え、道具を十分にメンテナンスして、取り組んでくださいとしか、今はいえないのです。

問題意識ばかり先行していて、自信の切磋琢磨が付いていっていないのが、歯がゆい。

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松戸の会

2011年12月20日 | 詩吟
松戸の詩吟教室3回目。
前回お試し参加のIさん、体調不良のため、欠席。

二人の出席で、開始。

「松樗~」を、丁寧に、丁寧に、おさらいをしました。

譜名表の5番には、5種類の形があります。そしてそれぞれ同じ形をしていますが、音の高さが違います。
松樗~に出てくるのは、5番、5≠Q番、5≠R番。それぞれを吟じ分けて、詩の中でどのように出てくるか、どのように続いていくか。
言葉より、実際に声を出すことで、説明をしました。

音は、母音で伸ばすと、最初にあいうえおの詩を朗読するときに説明したのですが、5番の説明で声を出していたときに、一緒に納得してくれたのはおもしろかった。

わからせようとして言葉で説明したときは、何のことかわからなかったみたいです。

思いがけない形で、理解される。それも、ほかの事を説明しているときに、ひらめくなんて、面白いとしか言いようがない。
これで、しっかりと、体が覚えたことになる。良い兆候。

今日で、一応、最後まで流せるようになり、一人ずつ独吟をしてもらったのですが、納得いかないと、まださらに「松樗~」を続け練習したいとおっしゃる。
また、最初から、一節ずつ繰り返し、練習です。

ただ、前回よりも、説明する言葉が頭の上を通り過ぎているのではなく、つっかりながら、ギクシャクしながら、相手に届いているのを感じました。

すんなり、「うん、」とうなずくのは、まゆつばであるってことを感じることがあり、突っかかるって事は、何らかの疑問を感じているからで、疑問を感じることは物事がわかっていく最初であるように思えます。

また、合吟のときの私の声と彼らとの声の時差がだんだんと小さくなってきたことをさらに前回よりも強く感じました。

今日は、Oさんの畑で生ったキーウイをりんご付きでいただきました。
りんごと一緒に入れていると早く熟すからだそうです。なんて、丁寧なことでしょう。
Iさんは欠席だったので、受け取れず残念でした。

せっかく持ってきてくださったのだから、その分を受け取って何とかすればよかったのです。ただ、今日は娘のところにからの直行だったので、大きな荷物を持っていましたから、Oさんも、お持ちくださいと言い出しそうな口を閉じました。
申し訳ないけれど、自分のだけありがたく頂いて帰りました。

年の終わりの、充実したお稽古で、来年が楽しみと言ってくださいました。私が楽しみにできているのが、何よりのことです。


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谷中教室忘年会

2011年12月17日 | 詩吟
谷中教室の忘年会は、珍しく第三土曜日に開催されたのと、いらっしゃなと誘っていただいたので、喜んで参加させていただきました。
谷中は、数ある教室のうちで、我が家から一番近い教室なのだけれど、中央会の前日が定例会になっているので、なんちゃって主婦の私でも土日続けて出かけるのは、はばかられるのです。

その様子は、谷中教室のHPにアップされますのでご覧くださいませ。

杜甫に関する研究発表はSさん、大阪大会、八王子の研修会の報告はAさん。そのあと、今年最後の一吟発表です。  私は、錬成会で失敗した「廬山の瀑布を望む」を、リベンジ。
吟の前の一言は、夢青葉については順調に進んでいること、そして私については、長年模索してきたことがテーマとしてはっきりして、それにまい進したのだけれど、練成会には、間に合わず、自己実現はまだ先で、来年のテーマになったことを、お話しました。

一度失敗した吟は、トラウマにならないように、何度も挑戦するつもり。
やはり、今回も練習不足でしたから、ゆとりのない吟で、詩もおぼえているのに、ちらりちらりと詩を見てしまう。ということは、覚えきってないって事よねぇ。
結句の、大山は息切れ。まだまだ、呼吸法が、体得できてない。
つまるところ、絶対的な練習不足。

定例会のあと、和気藹々とした雰囲気で忘年会が始まりました。おいしい食事と、楽しいおしゃべりに、しばし憂さを忘れ、仲間内とのお話が一段落したら、酒の飲めない私のところにも、おしゃべりのお勺をしに来てくれました。

言いたいこと、思いのたけを好きなだけ、受け入れてくれて、賛同してくれて、すっかり酒ならぬ言葉に酔いました。
もちろんたずねられたことにも、精一杯お答えして、これでもかと、詩吟の話しです。
忘年会までも、詩吟尽くしって言うのは、関吟だからか東京支部だからか、なにしろ誠実で、お堅いだけではなくユーモアたっぷりの、よき仲間であります。

駅前まで来たら、まだ、話したりない、聴き足りない思いがあったようで、四人のミニ二次会が持たれました。居酒屋さんにしけこむところを、飲めない私に合わせて、アルコールもある喫茶店にしてくださったことも、何だか優しすぎない?

ここでは、私の練習持論をかたり、体をほぐす体操の実践までして、その、効果の抜群なことも知ってもらえました。

そして、自己実現についての、深い話も聴くことが出来て、学びでも有りました。

また、ついでの話に、失敗したのかなと思えるあるエピソードについても、私のやり方で悪くはなかったとの励ましも頂いて、大いに安心したのと、同じことは繰り返さないようにと、インプットしたのでした。

私の、詩吟に関する直情径行、独断先行にはつける薬はないかもしれないけれど、大筋においては間違ってなくて、むしろ、そのまま進めとの助言をくださる方も居ました。

ただ、間違ってなくても、何かの形で、相手に不快感を与えてしまったことは、事実だから、せめて同じ相手には同じ思いをさせないように、気をつけるのよと、自分に言い聞かせるのでした。

本日は、お招きありがとうございました。
谷中教室のメンバーの、更なる発展をお祈りします。



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おかえりぃ

2011年12月16日 | こたろう語録
かあさんが、やっとかえってきた。



「あら、今日はお出迎えがずいぶん早いねぇ、こんな近くまで来ての「お帰り」は初めてじゃない?」だってさ。<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/23/cbc628d4a766d622988c7c535630660e.jpg" border="0" align="right">





まぁね、いつもは、そんなに足元まで、行かないもんな。
母さんは、この展開を予想していたらしく、携帯を取り出して写真を撮るのが、珍しく素早かったよ。                                                 
 

おねえちゃんと、姪っ子と甥っ子が、大変だと呼び出されて、母さんは飛んでいって、何日も帰ってこなかった。

救急車搬送、あわや入院ということで、義兄から夜中に電話があったんだ。

かあさんは、土曜日の夜、きてくれない?っていうお姉ちゃんからの頼みを、ごめんね日曜日は練成会だからいけないよと、断ったのだけど。
一日でも早く、行ってやっていれば、そこまでひどくならなかったかもしれないと、後悔しながら、電車の中で、走り出したい思いだったんだって。

入院も選択肢の中にあったけど、幼児二人いては、家に帰ったほうが良かろうということになり、かあさんの出番が来たらしい。

おねえちゃんの家では、嘔吐と下痢でてんやわんやだったらしいけど、かあさんは、全てゆだねられている充実感と使命感で疲れることは無かったみたい。
だいぶ、よくなってきたようで、いったん帰宅して、また、週明けには、行くらしいよ。

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平成二十三年度錬成大会

2011年12月16日 | 詩吟
例年秋に行われる錬成会が、11日(日曜日)に、開催されました。

記念すべき,関吟東京支部と関吟哲皚会小金原支部との東京連合会結成記念大会です。

今回は、会の運営のお仕事が免れたので、夢青葉の三人と一日行をともにしました。
去年は、初めての錬成会参加なのですが、周りの人の好意と子どもたちの自立心に期待してほとんど並んで座ることも、いろんなことの説明もすることの無い一日でした。
壇上の詩吟のときは、目一杯支えましたが、壇をおりたら、知らんふりでした。おかげで、自立心旺盛な子どもたちに育ってくれました。
ありがたいことです。

私の子どもたちは、プログラムの11番から13番で、それぞれ、先日の昇段試験に臨んだ吟での、出場でした。
十分に練習し初段合格を頂いた記念すべき詩ですから、不安はありませんでした。

去年の初めての登壇のときは、四人で一緒でした。
今年は、全員独吟でしたから、舞台の袖に用意された5客のいすにすわり、前の吟者が終わると一つずつ席を中心に向かって移動し、すぐ前の吟者が半分まで終わったところで、吟者の後方に立って待ちます。

その間、客席から見つめられて、上がりに上がるはずです。

ここで、自分なりの詩吟を展開するのは、無欲であれば平気なのですが、ちょっとでも、うまく見せようなどと思うと、どこからか、心乱す因子が、入り込んで来ます。

そのプレッシャーに打ち勝って自分を失わなかったわが子達は、ほんとによくがんばったね、誇らしいものがありました。

そして、周りの人にも良くやったと褒められて、喜びの極みでした。
早いうちに出番がおわり、周りを見回すゆとりもあり、発見やら楽しみやらがあったと言っていました。

三人は、実力以上の吟を発表し特に女性二人は、音程を正しく正確に、姿勢正しく吟じられました。  本番に強い!

しかし、63番に吟じた私は、ありえない失敗をしました。
絶句に誤読、集中力の無い吟、間違いの後に、何事も無く立ち直ることも出来なかった。
呼吸が胸に上がってくるのを、丹田に戻すことが出来なかった。
のどのためには、足首を冷やさない。忘れそうだったら、小さなメモを持ち目の高さに構える。伴奏を良く聴いて、登壇するときは深呼吸。などなど。
それぞれを、生徒たちはきっちり守っていたのです。
私は、全て忘れたり、あえてやらなかったりしました。
当たり前の結果だなぁ。悪い見本のオンパレード。

風邪を引いて練習不足というのは、確かだけれど、いくらも対処方法があったのに、(例えば、吟題を変えるとか、)そこにとどまってしまったのが、敗因。
悪いときは、一歩退くことさえ出来なくなるものだ。
どんなに調子が悪くて、準備不足でも、集中力が途切れなければ、何事も起こらないのだ。
惨敗
練成会は、良いことも悪いことも起こります。それが、乗り越えられたら、錬成の意味があるというもの。

今のあるがままの自分を写すのが、練成会だ。


私の欠落した部分が、あからさまになり、欠落した部分は、本人がいくら気をつけてもどうにもならないことです。
これから、教室を運営していく上で、状況判断ができないことは致命的なことかもしれない。
それを防ぐには、独断先行をしないこと。
しかるべき人に、よく相談し、独走を避けることが肝要のようです。

でもねぇ。走ってしまわないと、走りすぎたことに気がつかなかった今回だからねぇ。
相談するって言っても、何かを予感するから、相談するのであって、それをかんじることができないなら、どうしたら良いものか。。。

いろいろと褒められて、手放しで安心したところが、油断だったのだろうなぁ。

新しい教室が、松戸であるということに大きな配慮が必要だということに気がつかなかったのは、迂闊としか言いようが無い。
私は、いつも迂闊だ。大反省。「迂闊」につける薬はないものかなぁ?



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皆既月食

2011年12月10日 | 徒然に日々のことを
我が家のカメラで、写した皆既月食だよ

わざわざ、こんな写真を載せなくても、ネット上には、はっきりくっきりの写真が一杯あるのにねぇ。

おかげで、ぼくまで、寒いベランダに出たりはいったりして、一緒に見ちゃったよ。
アー、寒かった。
色は、茶色とオレンジ色の中間くらいかな。



               2011 12 10 11:27
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帰国歓迎会

2011年12月09日 | 徒然に日々のことを
知り合いが、アラビア語圏の仕事から帰国されました。
その歓迎会で、親しい人たちが、数人で食事会をしました。

その、旅立ちのときに約束していた、シルバーのアクセサリーを、持ち帰ってくれました。

 異なった生活習慣の中で、大変な仕事だったようですが、その疲れも見せず、変わりない明るさとパワーを振りまいての会食でした。


指輪もペンダントヘッドも、どちらもアラビア語で、「すみこ」と書いてあるのです。

ヘッドは、デザインを写真のように頼みましたから、
これから、鎖をこちらで注文する予定です。
アラビア語は、抽象模様のようで、なかなか面白いでしょう?

このお礼に、次の旅立ちのときは、なにか、日本のものを見繕って、持たせてあげようと思います。
何にするか考え、お店に足を運び、頭を悩ませるのは、楽しい作業です。

友達の多い方だから、それぞれの、希望を覚えて指示を与えるのは、忙しい仕事の合間を縫って、大変だったことでしょう。

モンゴルで主人の同僚のうちの一人だった彼女ですが、帰国以来の私は不義理ばかりしていました。
何時までも、声鰍ッをして、忘れないで居てくれるのは、主人の仲間だからなのですが、いつも私も一緒に声をかけて、忘れないで居てくれるのは、うれしい限りです。


               ありがとう!     






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松戸で練習

2011年12月07日 | 詩吟
新しい練習場の場所は、松戸。

今日で、早、2回目を迎えました。

たった二日前に、久しぶりに会った友人が、ひょんなことで参加することになり、今日から3人になりました。

まだ、始まったばかりなので、詩吟を聞いたこともなかったという新人さんにも、なんら支障のない練習でした。

コンダクターの音に早々と慣れてくださったので、声の出しっぱなしが無くて、喉への負担が軽いので、風邪の後遺症にも優しい練習でした。

先輩の二人は、快く新人さんを迎えてくださって、少し年が離れていても、なじんでくれたようです。
まずは、お試しと言っていましたが、次回も参加するつもりのようです。

Kさん、声を出すと汗が出ると嫌がりもせず、喜んでいる。

Oさん、声が続かないなぁと言いつつ、くさりもせずにこやかに。

Iさん、一生懸命口をあけている。隣の、Oさんによると、よく声が出ているとの事。

課題の「松樗~」を、1節ずつ何度も何度も、そして2行ずつ。

繰り返し、繰り返し、遠慮していた声がおおきくなり、外れている音が数多く聞こえてくるようになる。

しめしめ。これが、出てこなくちゃ。

2月のお稽古日も決まり、順調に滑り出した。

会の名前を、考えてきて、候補が挙がり始めました。

関吟ニュースに、載せる気満々。私の一存では、出来ないのですよというと、がっかりしていました。




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12月夢青葉

2011年12月04日 | 詩吟
病み上がりその2 体調はもどったものの、声はいま一ぱっとしない、逆に私の声が出ない分、生徒さんたちの声が聞こえてきた。

今までは、一緒に声を出すときは、私の声量に合わせて、声を出たり出なかったりがあったのです。
それは、まだ、自信がなくて、私の声が小さくなると意図せずに声が落ちていたのです。
今日は最初から、大きな声が出ていました。

特にYさん、朗読の声に張りと響きが出てきました。全員に言えることですが、初段を頂いたことで、喜びを持って自信を得たのだと思います。
さらに、初めて習う吟のときは、音程が不安定になるのですが、復習になると、音程がしっかりするのが目に見えて顕著なのです。

Tさん、今日は、体調不良で、軽い裏声で練習。その裏声が日ごろの力強い低い声からは想像できない可愛い声で、この声にパワーを与えたらどんなことになるのか、と、頼もしい。
さらりとその性格そのものの吟をするのだけれど、そのまま何も加えず上達したらいいなぁとおもう。

Nさん、いつも気負いすぎているところがあって、どうもいまいち、自分らしさを隠している。それぞれの行をわたるときの音程のつかみが、いまいち。
副読本をみながら、音程の変わるところ、変わらないところを一つずつ指し示していったら、わかってきた。わたしのテープを聴いているようで、肝心なところが聴けてなかったようです。
今回で、聴かねばならない箇所がわかって来たかもしれません。


肉声とコンダクターの音と、耳が慣れてきたようで、コンダクターにあわせて、音を拾うことに少しなれてきました。
私も、練習の間ずっと声を出している必要がなくなりました。
風邪のおかげで、声が出ない分今日は、コンダクターの音を聞くということが出来ていて、自主練習が出来るようになってきたかなぁ。

今より早い時期に、声を出せないということが起こったら、きっと、練習はめちゃくちゃになったことだろう。アクシデントが、裏目に出なかったことが、皆さんの成長を見ることになったわけなのでした。

Yさん、コンダクターをパソコンから取り出しているんだって。
自分のを持っているから、パソコンを探すことがなかったけれど、進化していること。
それなら、ご自分のアイャbトに入れて持ち歩けば良いね。
私も、これから検索してみよう。

初段獲得で、大きなステップを踏み出して、みんな意気揚々。
この時期は、ちょっとのことで、飛躍する可能性がたくさんあって、うれしいことがいっぱいある。
それが、顕著な進歩であるということが、本人たちはまだわかっていないところが、おもしろい。

初心者を教える醍醐味。だからやめられない。彼らに、心からありがとうと言いたい。



テキストを見て吟じられるようにと、考えていて、生徒さんたちも自前のテキストを持ったのだけれど。。。

私自身正確に教えようと、副読本を見て吟じているのだから、なかなか、説得力がない。

以前と違って、テキストだけ見ていてもなんら不都合のない吟が出来ていたのが、音の変化が多彩になってきたので、正確にと思うと、テキストから目が副読本に自然と移ってしまう。

それなら、今回の新人さんふたりには、入りやすく、副読本で詩吟をして、テキストは知識を得るものとして、逆にサイドに控える形になるのかな。

楽しく吟じるがモットーなら、副読本をコピーしたのをお渡しして練習するのでも良いのかと思う。

あまりこだわりすぎないように、楽に、生徒さんに選択してもらうのが良い。

いずれにしても、自前のテキストを持つことは、関吟に席を置き、昇段していくなら必須だから、そのよいタイミングを見ていこう。

テキストを見るだけで、副読本が要らないほど吟じこんで、指導が出来るのが、ベストなんだけど。
そして、生徒さんもテキストに、自分の書き込みをして自分だけのテキストを作るようになるとよいなぁ。

そうか、私の練習にかかっているのか。  一詩千吟だなぁ・・・・・・・・・・  
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