マイ・ブームのチャツァルガンは、毎朝食事の前に小匙1杯。
日曜日の映画会の前の食事時には、チャツァルガンの話題で夫が珍しく話題の中心になってみんなの興味をかきたてていました。
そのうちの一人は、早速飲みましょうと言っていました。
日本でも、健康志向とあいまって、人気が出ているとか。
まもなく、輸出されるようになるとの噂も出ています。
当地では、昔飲んだことがあります。子供に飲ませたことがあります。
というような、冷やかな反応です。
モンゴルで古くから伝わるものについて、質問すると「何でそんなものに興味があるんだ、日本にはいいものがたくさんあるだろう」という答えが返ってきます。
外国から入ってくるものはすべて優秀なもの、私たちの文化は取るに足らないものという感覚が特に若い人の間にあるようです。
私の若い頃がそうであったように。
けれど、今、日本では娘達の年代の人たちが、私が古いと否定していたものの中に、かえって新しさや、忘れられていた良さを発見してくれています。
新しいものがもてはやされ、古いものを否定したかと思うと、また次には古いものが見直されたりを繰り返しながら、庶民の生活がつながっていくのだぁ。
夫は、日本の激烈な競争社会の中で戦いながら、いつの間にか身に着けてしまったものを、モンゴルに来て気づき、必要の無いものを捨て去ろうとしています。
チャツァルガンのことを二人で話題にしながら、「俺は、『新薬』の考えかたをしていたなぁ、『生薬』の考え方を思い出そう」と、言っていました。
生薬の考え方とは?