Entrance for Studies in Finance

改正貸金業法と経済学のありかた

Hiroshi Fukumitsu

 大阪大学の筒井義郎氏は2006年12月の貸金業法改正に絡んで、貸し手が借り手の質(実情)が分かっていない場合は、上限金利規制は有効ではないと述べて、上限金利規制を否定したことがある。リスクの高い借り手を排除できないからだ。取り立て問題についても、以上とともに消費者側の自信過剰に原因があるとしていた(日本経済新聞 経済教室2007年6月15日)。近稿でも市場での決定の合理性を主張する立場から、一律的な金利規制や総量規制に反対を表明されている(金融財政事情 2010年1月25日稿)。
 このように貸金業規制をめぐる議論では、一部の経済学者が、経済学の名を借りて(つまり経済学の権威をかざして?)、借り手保護のための規制を批判して、多重債務問題について長年取り組んできた弁護士たちと現在、正面から衝突しており、政府の判断が問われている。
 このような事態は、経済学という学問の使い方として残念だ。経済学という学問がまるで強者の論理だけを主張する学問のように見えるからだ。
 筒井氏の近稿を読んでゆくと、金利の上限規制のところでは、詰めてゆけば、規制により厚生が改善する人は2割から3割(過剰な借り入れに走る傾向のある=筒井氏の使う用語では双曲割引あるいは自信過剰な人)があることは認める。しかし7割から8割の人の厚生は低下する。したがって国民全体の立場から規制の再考を求めるというロジックになっている(金融財政事情2010-1-25, p.14)。
ここで一つの疑問は、もともと法律上のグレーゾーン金利の解消とともに、多重債務問題が深刻であるから始まった貸金業法改正であったことを考えれば、規制強化というのはそもそも7-8割の厚生が低下しても、2-3割の人(過剰な借り入れに走る傾向のある人)の厚生の改善を必要との判断をする(優先する)ということではなかったのだろうかということである。国民の中の一部であれ深刻な被害がでているから規制するのであって、国民全体の厚生との大小比較の話ではなかったはずだ。そうした議論を積み重ねたうえでの合意であるという意味で、私は改正の完全施行に賛成である。ただし完全実施の実施時期については、議論を尽くす余地があるだろう。
 この議論で今一つひっかかるのは、消費者金融の利用者を個人の性癖、あるいは心理的特性で説明していることだ。このように消費者金融を利用することを含めて、個人の責任(特性?)に帰せかねない議論をするのでは、そもそも規制は不要で十分な情報開示で十分という議論に落ち込みかねないし、事実そのような結論が導かれている。
 改正貸金業法は2006年12月に成立。その内容には二つの骨格がある。骨格の一つは上限金利の引き下げ(年29.2%から年15-20%へ)。29.2%は貸金業法による上限金利。これと利息制限法の上限規制15-20%を超えている部分、この金利の幅に属する部分は、あいまいな部分としてグリーンゾーン金利と呼ばれてきた。引き下げによりこのあいまいさを解消する、つまりは規制強化が一つ。今一つの骨格は、借り手の年収の3分の1を超える貸付を禁止する総量規制(消費者金融の利用者の半分はこの規制に引っ掛かるとのこと)。もちろんこれも規制強化。改正法は2007年1月から4段階にわけて段階的に施行され、2010年6月までに全面実施の見込み。
 全面実施を前に、全面実施による審査基準の強化で、貸し渋りが広がり零細事業者などをヤミ金融に追いやる結果になる(06年以前は60%以上あった成約率は、現在は30%台になっている)との懸念が一部にでており、筒井さんの議論はそれを受けたもの。
 私は、市場の合理性を信ずる経済学者がこのような規制強化に対して原則として反対するのは、主張としてわからなくはない。しかし市場の合理性という大前提が繰り返し覆されてきたことを依然として無視するこのような主張をなお繰り返すことは、経済学という学問への失望を社会に広げるのではないか。
 私は市場主義的な経済学だけが経済学だとは考えていないし、市場主義の限界も指摘されて久しい。非市場主義的経済学者の中から、筒井さんのような議論を正面から批判する議論がでてくることを期待したい。



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