創価学会体験記

選挙前になると電話をかけてくる 不思議な人達。そんな創価学会を体験してみました。(中傷と信仰賛美は 削除対象になります)

古本・貸本・気になる本

2004-11-04 23:24:26 | 徒然に

 出久根 達郎(でくね たつろう)さんの 「古本・貸本・気になる本」を 読んだ。筆者は 古本屋さんである。共感する文章があったので ランダムに 引用させていただく。

P.71

 孤独を愛し、他者との関係を嫌う。自分に縁のないことは、丸っきり、無関心である。何に興味があるか、といえば、格別に無い。
けれども、秘かに待望しているものがある。こういう時代に期待されるものは何か。
英雄、または超人でないだろうか。良い英雄や超人なら何人出ようと構わないのだが、その反対であったら、妙な時代になるだろう。

 いずれにしろ、ヒトラーになびいた ドイツ国民のようにならなければよいが。

 私は、普通の人間が嬉しい。少しばかり変わっていて、決して悪いことをせず、人のために何かを起こす人間が、良い。


P206

「あっしはね、だれにもそれぞれの生きようがある。自分のえらんだ道を行くよりはねえ。そうは思っておりやすよ。ただねえ、世の中には人の処すべき道というものが、やっぱりあらあね。大道もあれば小さな路地もある。
 ぶきっちょに小さな道を行くも勝手でしょうが、裏道はいけねえよ。人をあざむいて手前の栄耀栄華をはかるなんざ、こりゃ外道の道でさあ。風上におけねえやろうと思いやすね。それが江戸っ子の心意気というやつでね。」(「幕末辰五郎伝」半藤一利著 より筆者抜粋)


P111 他人事である

今や「拉致」を知らぬ日本人は、いないと言って良いだろう。・・・だが、ついこの間まで、私たちは、ほとんど関心がなかった。・・・二、三年前まで、銀座で家族会が著名活動をしても、立ち止まって訴えを聞いてくれるどころか、署名してくれる者も居なかったという。

・・・めぐみさんは拉致された時に、激しく泣き叫んだ。そのため船の真っ暗な部屋(船倉)に閉じこめられた。「お母さん」「お母さん」と泣き続けながら、壁やドアを両手で引っかいた。爪が剥がれて血だらけだった。

・・・私たちだって、何もしなかった。知らなかったから、というのは理由にならぬ。横田さんたちは、この25年間、あらゆる手段を使って訴えていた。・・・ことは、拉致問題だけではない。人のことなどどうでもよい、自分さえよければ、と言うエゴが、まかり通ってきた。かの国を責めてすむ話では、ない。

ポーリング展

2004-11-04 09:47:39 | 体験記

 ある日 紹介者Aさんに 「ポーリング展に行こう」と誘われた。私の仕事は 前もって予定が立たないし、人混みは 嫌いなので、「いや 忙しいから」と断った。すると、また しばらくして「ポーリング展に 行こう」と 誘われた。そんなことが 2回くらいあったように思われる。根負けして 時間を作って 「ポーリング展」を見に行った。(婦人部は 都合の悪いことは聞こえないし、何度でも 自分の主張が通るまで 言い続けることが出来る。でもAさんは、まだ常識の残っている方だと思う)

 ここも 都会の一等地で 観光スポットの真ん中であった。入場無料の「ポーリング展」は たくさんの人で溢れていた。会場はぎっしりで、改めて学会の動員力に 驚く。足下のおぼつかない 老人や 赤ちゃん連れを見かける。大きなお世話だが 丁度インフルエンザがはやっていたので ちらりと、心に掛かる。

 ポーリング博士は ビタミンCの父と呼ばれて ノーベル化学賞と、アインシュタイン氏と共に 原爆反対署名運動をおこし、ノーベル平和賞も受けている。ノーベル賞のメダルも 初めてみた。

 その他に 夥しい数の 贈り物品も展示されていた。主に 中国が多かったようだ。「世界の有識者が 池田先生への 友情で お贈り下さった」と 説明を受けた気がする。本当だろうか??
 ポーリング展の 半分は 池田氏の展示品だった。このようなものを ノーベル平和賞受賞者の展示会で見せられると、池田氏も ポーリング氏と親密で、同じ様な活動をした偉い人のような 印象を受けてしまう。

 ポーリング氏は「世界には核兵器や軍事力という悪の力よりも、もっと偉大な力があります。それは人間の心であり精神力です。私は、人の精神の力を信じます」と著書『ノー・モア・ウォー』の中で語っているそうだ。「NO.MORE.WAR」と 我々 一人一人が 叫ばなくてはならない。もちろん学会員も。

 これを書いている間も 強い 揺れを感じた。中越地区は大丈夫か? いつまで続くのだろう。