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Fly to the BLUE

2006.7.13 更新終了

六ヶ迫鉱泉

2006-03-08 | 
その夜、僕の祖父に先祖の話を聞いた。
江戸時代は稲葉家に遣えていた武家の家系で、殿に出す食事の安全管理をやっていたり港の管理をしていたらしい。
臼杵市の歴史書にもその名前を確認できた。

江戸から明治へ大きく時代が写り変わったときに活躍したのが、僕の祖父の祖父である広海さんである。
広海さんは六ヶ迫(ろっかさこ)鉱泉という冷たい温泉みたいなものを手に入れて、そこで営業を始めた。
当時、大分県の温泉は別府温泉くらいしかなく、湯布院もまだない時代のことである。
(僕も前に飲んだことがある。
鉄棒した後の手のにおいがする水なのだ。
鉄分が多量に含まれており、貧血なんかに効きそうだ。)

この鉱泉は病気や怪我によく効くという噂が広まり、ほったて小屋を作って、遠くから訪ねて来る人のために貸しむしろや食事を出して儲けを出していた。
次第に人が集まりだすと、療養旅館を作り、病人、怪我人を宿泊させて、治療に専念させた。
日露戦争後、特需により旅館を3階建てに改築して、さらに客が集まり、特に山口や和歌山にお得意さんが多かった。
地元に鉄道が敷かれ、駅ができると、今度は源泉から駅前まで4キロのパイプを引いて駅前に旅館を作った。
このころが最も繁盛していた時代である。
しかし、敗戦とともに再び時代は移り変わる。
不景気でなかなか客が集まらなくなってきた。
昭和20年頃パイプが老朽化し、改築の選択を迫られたが、採算が合わないということで諦める。
さらに昭和37年、旅館が火災で焼失し、旅館の歴史の幕を閉じた。

さて、広海さんには4人の息子がいたのだが、どうやらその4兄弟の子孫しか、末裔がいないようだ。
長男の信海さんの末裔が僕ということだが、他がどうなっているかはよく分からないらしい。
ただ、どの筋も医者や教師など、学問に精を出している人が多いようだ。

まだまだ聞きたいことがあったのだが、遅くまで祖父を付き合わせるわけにもいかず、就寝することにした。

第3章・九州の旅

2006-03-08 | 
臼杵港には、祖父母が車で迎えに来ていた。
車で約10分、僕の運転で祖父母宅に到着。

今日、明日でここに2泊する。
そのあと、九州を西に渡り阿蘇、熊本。
南に進んで鹿児島、桜島。
そしてこの旅の折り返し地点屋久島へ渡る。
まだまだ先は長いのだ。

九州を目指せ!

2006-03-08 | 
再び一人旅を続ける。
僕の旅はまだ半分も消化していないのだ。

予定のフェリーの時間から逆算すると、一時間余裕があることが分かった。
寄り道しよう。

11:51 松山発 予讃線
11:55 市坪着

市坪には松山ぼっちゃんスタジアムがある。
四国アイランドリーグの愛媛のチーム(名前忘れた。なんとかパイレーツ?)の本拠地である(多分)。
松山は歴史的に野球と関係が深く、スタジアムに資料館があるのだ。
松山生まれの俳人、正岡子規は学生時代、当時アメリカから伝えられたベースボールに魅了された。
松山で教師をしながら、授業を通して、このスポーツを広めたのだそうだ。
ベースボールに野球という和名を付けたのも正岡子規で、子規の本名「昇」とボールをかけて、野球(のぼーる)とした。
言ってしまえばダジャレである。

資料館には、愛媛の高校野球の歴史も展示してあった。
最近だと、済美が印象深い。
現日ハムの鵜久森とか、いつも笑顔な名物監督とか。
3年くらい前の夏の甲子園決勝戦、済美高校―愛工大名電の映像を見ていると、地元の人らしい、マスクをした赤ら顔のアヤシイ人が話しかけてきた。
当時の済美の裏情報なんか聞けて、なかなか面白い。
しばらく高校野球ネタに話を咲かせていたが、電車の時間になってしまい、資料館を後にした。

12:59 市坪発 予讃線
13:17 伊予市着
13:30 伊予市発 内子線
14:58 八幡浜着

電車は田園の中を走る。
線路に沿って菜の花が咲いているのが、きれいだった。

八幡浜駅から25分くらい歩いて、八幡浜港に到着。

15:35 八幡浜港発 フェリー
17:50 臼杵港着

四国&宮島編終了!
大分県臼杵市に着いた。
ついに、九州上陸!


松山城

2006-03-08 | 
実は同室になった人も自転車の旅人だった。
これで、この旅で3人目の自転車ライダーである。
これまでの旅では一人も出会ったことなかったのに。
勝手に理由を考えると、自転車ライダーはあまり談話室に出て来ないから。
一日の疲れと早起きするたにすぐに寝てしまうのだ。

八日の朝、その同室の人に今日はどこに行くのか聞くと、臼杵へ行くという。
僕の予定と同じで、松山から八幡浜まで行き、フェリーで臼杵に渡ると言う。
もしかしたら同じフェリーに乗るかもしれない。
彼は一足先に出発した。

ところで、昨日の自転車の人は松山で自転車の旅を終えて、今日名古屋に帰るという。
なので、今日は一緒に松山観光することにした。
松山城に行く。
松山城はちょうど松山の中心に構えているのだが、そこだけ盛り上がった地形をしていて、ロープウェーやリフトを使って上るのだ。
我々はスキー場にあるようなリフトにのって上った。
途中、もう咲き始めている桜があったりして、ここにも春の匂いがあった。

とりあえず腹ごしらえに、松山名物ぼっちゃん団子とタルトを抹茶で頂く。
そして、松山城の天守閣を見学。
改装中で最上階から外の景色が見えなくて残念。

松山駅へ行く。
今日はどちらも移動が多い予定なので、正午にはもう松山を出なければならない。
自転車はどうするのかと言うと、解体して袋にいれて持ち運ぶのだ。
自転車解体ショーを見せてもらう。
もとの立派な自転車が、タイヤとフレームとハンドルとサドル、ペダルに泥除けとネジなどの小部品に分かれた。
それらパーツを輪行袋と呼ばれる袋に入れるのが一苦労。
かなり難しい立体パズルって感じ。
それでもなんとか袋に収め、駅のホームに出る。
いろいろあって楽しかったが、ここでお別れ。
僕は南の宇和島方面へ、彼は逆の高松方面へ、それぞれの電車に乗った。