松蔭神社は、幕末に松下村塾という私塾を開き多くの偉人を輩出した吉田松陰を祭った神社である。
その松下村塾の塾生は、木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠など、後の明治維新の指導者が名を連ねる。
彼らを育てた吉田松陰とは一体どんな人だったのか。
非常に興味を惹かれ、境内にある「吉田松陰歴史館」に入ってみた。
吉田松陰は若い頃から日本を巡りながら勉学に勤しんでいたようだ。
そのうちに海外に目を向け始め、ペリーの黒船に乗り込もうという大胆な行動に出るが、失敗。
その後、松下村塾を開き、優れた人材を育てる。
そして、老中間部詮勝の暗殺計画が藩政府に洩れたことから、30歳の若さにて処刑された。
松蔭先生の教えは、自分の考えを磨いて疑問を持ち、それを解決してゆくという事が重要であるということなのだそうだ。
知識を蓄えて鵜呑みにするだけでは意味がない。
書物をただ読むだけではなくて、要点を書き取るという勉強法を指導していたようだ。
こんな感じで吉田松陰の一生をざっと学んだのだが、ちょっと衝撃を受けてしまった。
松蔭神社境内には松下村塾の小屋などが残っており、見てまわっていると感慨深いものがありました。
松蔭神社を後にして、風情あふれる城下町の邸宅を見たり、萩博物館を見学したりしていると、暗くなってきた。
今夜の宿の萩ユースホステルに戻る。
宿から萩城が近いので、自転車を置いてから萩城の周りを歩く。

萩城近くに公園があり、石製の謎のモニュメントが配置されている。
さらに奥に進むと砂浜があったのだが、あまりの強風で前に歩けなくなってしまった。
前に進む力と風に押される力がちょうどつりあってる感じ。
なんとなく危険なものを感じたので風に押されるままに引き返した。
萩ユースホステルは今日のような雨で寒い日にはちょっときつい。
宿泊部屋を出ると廊下ではなく中庭なので、寒いからあんまり部屋から出たくない。
部屋にテレビがあるが、いまだにお金入れないと動かないシステムっぽいし。
テレビ使ってないから定かじゃないけど。
相部屋に自転車グループ3人がいたが、話すのがおっくうだったので飯食ってさっさと寝た。
明日も早いのだ。
その松下村塾の塾生は、木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠など、後の明治維新の指導者が名を連ねる。
彼らを育てた吉田松陰とは一体どんな人だったのか。
非常に興味を惹かれ、境内にある「吉田松陰歴史館」に入ってみた。
吉田松陰は若い頃から日本を巡りながら勉学に勤しんでいたようだ。
そのうちに海外に目を向け始め、ペリーの黒船に乗り込もうという大胆な行動に出るが、失敗。
その後、松下村塾を開き、優れた人材を育てる。
そして、老中間部詮勝の暗殺計画が藩政府に洩れたことから、30歳の若さにて処刑された。
松蔭先生の教えは、自分の考えを磨いて疑問を持ち、それを解決してゆくという事が重要であるということなのだそうだ。
知識を蓄えて鵜呑みにするだけでは意味がない。
書物をただ読むだけではなくて、要点を書き取るという勉強法を指導していたようだ。
こんな感じで吉田松陰の一生をざっと学んだのだが、ちょっと衝撃を受けてしまった。
松蔭神社境内には松下村塾の小屋などが残っており、見てまわっていると感慨深いものがありました。
松蔭神社を後にして、風情あふれる城下町の邸宅を見たり、萩博物館を見学したりしていると、暗くなってきた。
今夜の宿の萩ユースホステルに戻る。
宿から萩城が近いので、自転車を置いてから萩城の周りを歩く。

萩城近くに公園があり、石製の謎のモニュメントが配置されている。
さらに奥に進むと砂浜があったのだが、あまりの強風で前に歩けなくなってしまった。
前に進む力と風に押される力がちょうどつりあってる感じ。
なんとなく危険なものを感じたので風に押されるままに引き返した。
萩ユースホステルは今日のような雨で寒い日にはちょっときつい。
宿泊部屋を出ると廊下ではなく中庭なので、寒いからあんまり部屋から出たくない。
部屋にテレビがあるが、いまだにお金入れないと動かないシステムっぽいし。
テレビ使ってないから定かじゃないけど。
相部屋に自転車グループ3人がいたが、話すのがおっくうだったので飯食ってさっさと寝た。
明日も早いのだ。