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父のこと 15

2019年03月04日 | 父の話
最近、と言ってももう三、四年前だけど
仲のいい友人が「大人の発達障害」と診断された。
報告を受けた時には大層ウケて
そういう事だったんだねと笑った。
食事中に寝たり、子供みたいなバレバレの嘘をついたり
時間が一切守れなかったり
その他ちょっと洒落にならないので書けない事等
40過ぎのオバハンとしてどうかと思っていたが
発達障害だったのね。
悪い事をしたよ、と言ったら
友人は全くだよ、と笑った。
こういう所、わかっていても癪に触る。(笑)


友人は注意欠陥と多動があり、
学習面では数字が分からなくて
四桁くらいは平気で間違える。
社会的に害にならないサイコパスでもあるので
間違えたことや嘘に反省の色はないし
言語野だけは他を補うように発達しているので
言い訳マシンガン。
発達障害と分かるまで本気で何て奴だと思ってた。

しかしそこには彼女なりの道理があって
間違えないように、忘れないようにする
「注意する力の欠陥」だから間違いを防げない。
メモを取れば良いじゃん!と人は思うけど
メモを取る=間違えないように注意する心、だから
それが無いんだって。
そこが理解出来るとそりゃあ仕方ないかと思える。

この「仕方ないか」は
自分自身が病気になってみてようやく本当に理解できた。
やる気の問題ではなくて、ないから出来ないのだ。
私は運動面に障害が出たから、今早く走ってみて、
高く飛んでみてと言われても
小脳がこうなってしまったので難しい、と言えるし
言われた方も納得してくれると思う。
でもそれが精神面でも起こり得る。
一所懸命やろうという気持ちはあっても身体が動かない。
1つのことに夢中になると他のことが
どれだけ大事であっても疎かになり、それを繰り返す。
自分にしか見えない優先順位があり、
その順位は大抵の人と違っている。

だけどそれは精神部分に区分けされているので
「真面目に」「本気で取り組めば」「普通に考えたら」
分かるはずでしょ、出来るはずでしょ、と
思われてしまうのだ。



この話を病気の話、ではなく
父の話にしたのは
発達障害の症状は父に重なる部分が数多くあり
母が父の言い分を誤解して
別居に至る原因になっていたからだ。

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