Good Life, Good Economy

自己流経済学再入門、その他もろもろ

夏の読書日記(続)

2009-09-02 | Weblog
前回の続きを少々。

反タクシン勢力の国際空港占拠事件以来、すっかり不安定な政治の国というイメージが染み付いてしまったタイですが、80年代後半の経済ブーム以降現在までの同国の足取りを堅実な筆致で綴っているのが末廣昭著「タイ 中進国の模索」(岩波新書 2009)です。タイの政治・経済動向を押さえるには最適の書物となっていますが、同時に急速な経済のグローバル化に伴う伝統社会の変容も印象的に語られます。著者は社会変容の源を、消費社会化、少子高齢化とストレス社会の到来、高等教育の大衆化の3点に求めているのですが、それは「微笑みの国」と称されたタイの「タイらしさ」が喪われていく過程でもあります。

興味深いのは国王による「足るを知る経済」の理念の提唱です。「節度を守り、道理をわきまえ、外から襲ってくるリスクに抵抗できる自己免疫力を社会の内部につくる」と定義されるこの理念は、タクシン政権下では反故にされたものの、タクシンの失脚により再びクローズアップされているようです。実際、2006年から始まる第10次5ヵ年開発計画では「寂静な生き方にもとづくタイの幸福」をスローガンとし、仏法の中道に従った政策を経済運営の基本に置くとされています(末廣昭 アジアの幸福と希望、東大社研・玄田有史・宇野重規編「希望学1 希望を語る」所収)。

もっとも、著者はこの「足るを知る経済」という開発理念がどの程度成功を納めているかについては積極的な結論を留保しています。仏教に基づいた開発政策としてはGross National Happinessのブータンの例が有名ですが、人口サイズ、国民の凝集性、経済の発展段階等を考慮すると、ブータンのようなアプローチを採れる国は限られているように思われます。むしろ著者が述べるように、「足るを知る経済」に象徴されるような「社会的公正の道」と、グローバル化と自由主義に基づく「現代化の道」の適切なバランスを探っていくのが現実の姿でしょう。

同書でもう1点印象的なのが、タクシン元首相その人です。同書を読むと、タクシンが良くも悪くも稀代の政治イノベーターであったことが判ります。企業経営の感覚を政治の世界に持ち込み、国王と並ぶ「もうひとりの国民の父」として振舞ったタクシンはその急進性と縁故主義ゆえに国民の離反を招いてしまったものの、タイ政治史において前例のない強い首相でした。

ここで想起されるのが、中根千枝著「タテ社会の力学」(講談社学術文庫 2009、初版は1978)です。同書によれば、東南アジア社会には、日本的な小集団(場を共有する仕事仲間や家族経営体など)も中国・インド・西欧などに見られる個人参加による類別集団(ギルド、組合、宗教団体など)も見られなません。代わりに見られるのが、個人と個人を結ぶネットワークの累積・連続を基盤とした人間関係です。ベースはあくまで個人と個人であり、著者いわく、東南アジアの人は日本人と比べ、ずっと個人に主体性があり、日本的集団規制から自由であるといいます。しかし、それ故に人々をある目的のために動員するには強力なリーダーシップが必要だということでもあります。実のところ、この学説がどの程度信憑性があるのか判然としないのですが、確かに東南アジアにはホー・チ・ミン、スカルノ、リー・クァン・ユー、マハティールなど、国の歴史を塗り替えてしまうような政治家が出ているのは偶然ではないのかもしれません。