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黒石いずみ著『「建築外」の思考 今和次郎論』を読んでみる

2012-03-05 | Weblog
今和次郎再評価の機運が著しい。「今和次郎 採集講義」展も盛況のようである。私も先月、同展に足を運ぶ機会があったが、フィールドワークの足跡や考現学の諸資料を目にすることができ、その業績の多様さや行動範囲の広さに強く印象づけられた。

さらにミュージアムショップで入手した黒石いずみ著『「建築外」の思考 今和次郎論』(2000;ドメス出版)が予想以上に面白かったので、感想めいたものを記しておきたい。

同書では今の拠って立つ思想的・理論的基盤にかなりの紙幅が割かれている。今はアカデミックな処女論文である「都市改造の根本義」(1917)で、日本の建築家は西洋近代建築の形と知識を模倣するだけで、その精神的側面を無視しているとして批判している。それだけに、今が西洋の「精神的側面」をどう理解したかは重要であるはずで、それが考現学やバラック装飾といった、ともすればその新奇性に目が向けられやすい彼の業績にどうつながっているのかを評価するのは不可欠の作業になろう。

同書では、今が影響を受けた人物として柳田國男、佐藤功一、石黒忠篤、小田内通敏らの名前を挙げているが、同時にその思想形成に影響を与えた欧米の哲学者、社会科学者にも広く目配りしている。クロポトキン、パトリック・ゲデス、マックス・ウェーバー、コント、マルクス、アダム・スミス、ジンメル、ベルグソン、タルド、デューイ、フッサール、ディルタイといった人々である。

例えば、川添登著『今和次郎』ではクロポトキン、ゲデスへの言及はあるが、生の哲学やプラグマティズムには触れていない(シカゴ派の都市社会学については言及がある)。ジンメルからの影響はなるほどと思わせる面もあるが、ウェーバーについては少々意外の感もある。

ウェーバーについての著者の見立てはこうである:

「.....今が農家研究以来探究してきた歴史的・社会的視点に立つ建築観、特に考現学等で展開した解釈学的現象学や、比較文化研究においてはウェーバーの地域的視点を重視した合理主義精神や解釈学の思想は、その有力な理論的支柱となりうるものだったはずである。また、ウェーバーのいう個人の主体的な問題解決の姿勢が一種の合理性をもたらすという考え方は、考現学において今が見出した細部に現れる個人の創意工夫が人間の本質に関わるという視点を理論的に支える重要なテーゼだったと思われる。今の弟子の一人が今はウェーバーの理論を通じて因習からの解放を語ったというように、今にとって経済学や家政学は、人々の生活における合理性を、固定的に枠づけるのではなく、人々の主体性と多様性、そしてその文化的基盤への視点から論理だてるべきものだった。」(pp.218-219)

今自身は思想史家でもなければ哲学者でもない。あくまで「使う」ための理論として、これらの人々の学説を学んだ訳である。その結果としてのアウトプットが、農家・農村研究であり、住宅改善活動であり、考現学であり、バラック装飾であったりする。理論と実践の関係を考えるうえで、今和次郎は極めて興味深い存在である。

また、著者がまえがきで述べているように、「日本の建築教育の中では「西洋」の建築学・理論の基盤である人文系の諸学問は行われておらず、そのような意味では日本の建築学は「人間のための」建築を考える学として「総合的な」学問たり得ていない」(p.2)のであるとすれば、まさに今和次郎はその間隙を埋める存在として理解されねばならないのではなかろうか。

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