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パトリック・ゲデスに関するノート4

2011-12-04 | Weblog

八束はじめ著『思想としての日本近代建築』(岩波書店;2005)に、パトリック・ゲデスの名前が何度か出てくることに気が付いた。索引を見ると4箇所でその名が引用されている。

ここでのゲデスは、まず第一にフレデリック・ル・プレーに連なる地域主義者として紹介されている。同書ではル・プレーについて、以下のように記している。

「例えばフランスは中央集権国家というイメージが強いが、もともとノルマンディやプロヴァンス....は日本の藩以上に固有な文脈をもつ国(pay).....だった。それを集権化したのは、ブルボン王家及びその王制を廃したフランス革命で、この時期に従来の州が県に再編(いわば廃州置県)され、ナポレオン以降にも引き継がれた。そこで分断された地方の文脈の再編に努めたのが、第二帝政の高級官吏であり、二度にわたって万博の事務局長を歴任し、社会経済学会(1865年)と社会平和連合(1871年)を組織したピエール・フレデリック・ルプレェで、こうした動向は地方自治や地方文化の振興を企てたことからレジョナリスムと呼ばれている.....。」(p.177)

次いで、現代においては「考現学」の創始者として有名な今和次郎に影響を与えた人物として言及されている。同書では、今和次郎の処女論文「都市改造の根本義」を紹介し、そこでゲデスのヴァレーセクションと呼ばれる図式からヒントを得て、都市-田園のパノラミックな描写を試みている。同書より引用する。

「...この論文でそれ以上に興味深いのは、奥日光から宇都宮、武蔵野、東京と移り変わっていく風景の俯瞰的な描写である。それは.....極めて視覚的な、それも明治のパノラマのような静止画ではなく動的に視点が移動していく描写で、田園から都市への移行が空間的、景観的に把握されている。柳田では田園と都市という両端への意識は生まれているが、空間的ではない。志賀の『日本風景論』は国土という枠組みを提示しても個々の景観の集積でしかなかった。地理学でも「景観」は論じられるものの、それは集落地理学的な村落の配置類型(形態学morphology)であり、パノラマ的な感覚とは違っている。」(p.198)

「...ゲデスでは進化論はもはや優勝劣敗の理論というより、都市や地域の発展をいかに理解し計画に還元するかという方向に向け直されている。そのためゲデスは生物学、地理学、経済学などを通底する総合的な理解を組み立てようとした。今が影響されたのはこの修正された進化主義である。」(p.199)

今和次郎とパトリック・ゲデスが結びつくとは寡聞にして知らなかった。ちくま学芸文庫から出た川添登の『今和次郎』がどこかにあるはずだが、どこにしまったものか。ほとんど読まずに放っておいてしまっていたが、久々に読み直してみるとしよう。


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