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「回想の都留重人」を読んでみる

2010-05-10 | Weblog
尾高煌之助、西沢保編「回想の都留重人」(勁草書房、2010)を読んでみました。

都留重人といえば、私の学生時代は戦後を代表するリベラルな知識人として高名でしたが、その学問上の業績は、知名度に比してもあまり知られていないという印象でした。その意味で、本書の刊行は貴重です。

近年、都留教授に対する批判・中傷・誹謗がネットやマスコミ等で見られたようですが、それに対しては小宮隆太郎東大名誉教授の明確な批判が掲載されています。また、工藤美代子著「われ巣鴨に出頭せずー近衛文麿と天皇」で展開された都留批判に関しては、小宮教授のみならず鶴見俊輔氏も懐疑的であり、その信憑性に疑問符を投げかけています。

都留経済学については、それが既存の経済学の批判という形で展開され、体系的になっていない(というより、そもそも体系化することに興味がないと思われます)ため、全貌をとらえがたいものになっています。そこで伊東光晴京大名誉教授の「経済学者 都留重人」(本書所収)から引用すると、

「市場経済を都留さんはまずマルクスの物神性論でとらえる。」
「個々の経済主体は価格の動きを見て、自らの経済行動を決定する。しかし、その価格そのものは経済の基礎的条件(技術、制度、資源状態等々)の変化を反映しているのである。市場での商品の売買、それぞれの価格はこうした社会関係を反映していながら、経済主体にはそれを意識させない。」
「こうしたマルクスの物神性論で市場経済を把握した都留さんは、ここに三つの視点を導入する。第一は、今日こうした基礎的条件を含め、今日の経済社会の変化をもたらすものは何かであり、第二はこうした市場メカニズムによってとらえられないものへの注視であり、第三は政治経済学の視点である。」

第一の視点の例としては、科学技術の発展とそれに伴う産業構造の変化(寡占的大企業の台頭、多国籍化等)
第二の視点の例としては、外部性の問題と都市・公害問題への関心
第三の視点の例としては、「ムダの制度化」「福祉の指標としての国民所得の否定」「素材的把握と価値的把握」(これがまた判りにくい概念です)といった都留氏独自の概念の導入

その全体像を論じることはもとより不可能ですが、例えば「市場メカニズムによってとらえられないものへの注視」という視点は、現代の経済学における幸福、社会関係資本、感情等といった経済「外」的なテーマの追究の、かなり先駆的な形態ともとれます(もちろん、方法論的にはまったく異なりますが)。

その他にも、経済政策、公害問題や人物像に至るまで、興味深い論考が数多く収められていますが、ここではあと一つだけ。

同じく伊東教授の論考から引用すると、都留教授は「1961年アメリカから帰国された直後、私に資本主義と社会主義との違いは、経済成長率のちがいとか、景気変動とかではなく、都市発展の違いの中にあらわれるという話をされた。」そして、都市問題を見るうえでは外部性を重視し、「外部経済の利益と不利益を受ける主体が違う」ところに着目した政治経済学的視点をそなえていた。

都留教授自身は都市問題・都市政策を直接深めることはありませんでしたが、多様な資本主義の発展様式を考えるうえで、示唆するところ少なからぬものがあるように思われます。


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