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小野塚喜平次について 2

2010-02-05 | Weblog
現代から見た小野塚喜平次の政治学説についての評価の一例として、大塚桂編著「シリーズ日本の政治第1巻 日本の政治学」(法律文化社 2006)第1章「明治の政治学」(大塚桂)を見てみます。

小野塚以前の日本の政治学は国家学と同義と考えられていましたが、小野塚は「”政治学の体系化”、”学としての政治学の独立”」を目指し、「政治学は決して政府のための学ではないことを鮮明にした」(P.16)とされます。さらに「政治学の研究対象は国家に関する現象」であり、「政治学は国家を解明する学であると彼は理解した」とあります。しかし、大塚の小野塚に対する評価は「小野塚の議論は、上からの、国家の作用としての政策論の域を出ない。小野塚にあって国家が無条件に前提とされており、国家を離れて政治現象はありえないとされた」(p.17)というものです。

ここで小野塚と対比的に語られるのは吉野作造、および早稲田大の浮田和民と大山郁夫です。吉野は小野塚門下ですが、従来の政治学が国家研究に限定されていたのに飽き足らず、政治をより広義にとらえ、社会における支配-服従関係に焦点を当てました。浮田・大山は英米系政治学の影響を受け、社会学や政治過程論のアプローチを取り入れ、国家を相対化したとされます。要するに、小野塚の国家学的政治学は、吉野、浮田らに代表される実証学派・社会学派と呼ばれる流れに乗り越えられる運命にあった、というのが大塚の見解だといえます。

私は「政治学大綱」を読んだことがないので、小野塚の政治学説の評価を語る資格はないのですが、南原繁も小野塚の東大での講義について「学風としてはドイツ流の国家学、それに近い形だったように思います」(「聞書き 南原繁回顧録」PP.18-19)と語っており、大塚の見解は一定の妥当性を有します。ただし、そのすぐ後に南原は「先生の精神は、その学風の背後にイギリスの自由の精神というものをもっておられたですね」と続けており、むしろその側面に興味を覚えます。

小野塚がdemocracyを「衆民政」と訳したのは有名ですが、彼の関心は必ずしも国家研究にとどまらず、デモクラシーや社会問題に強いシンパシーを覚えていたのも事実のようです。松井慎一郎著「河合栄治郎 戦闘的自由主義者の真実」(中公新書 2009)に、河合栄治郎の小野塚評が載っているので、その箇所を引用します。

河合は、小野塚の学問の特徴を「克明な材料の蒐集と慎重な叙述」という方法的立場に加え、「時代を抜く識見」にあることを指摘する。具体的には、「英国の政治組織と政治家とに共鳴し、夙に国家の外的発展よりも内容を充実することと、少数の独断専行よりも、民意を重んずる憲政の運用を高調してゐる」、「国家の価値をその経済的領土的発展に置かずして、その文化的生活に置かんとし、又官僚専制政治を拝して、デモクラシーを主張する」という政治的立場である。(P.87)

また、小野塚の学問的業績の中でも、欧州憲政の比較政治学的研究、国際政治学の先駆者としての役割、社会政策への関心などが面白いテーマではないかと思いますが、これらの側面についてはまだ書く用意ができていませんので、本日のエントリーはここまでとします。

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