『サッカー馬鹿一代』の後藤さんとの出会いは98年フランスW杯の時であった。彼はウチの会社の土木・設備をお願いしている工務店の責任者であり、以前からその存在は知っていたし、当時から瑞穂競技場でグランパスの赤いユニを着て応援旗(大)を持ってウロウロしているのを何度か目撃していた・・・。
98年の5月頃だったと思うが、「フランスに行く飛行機のチケットは確保してんだけど、ゲームの入場券が入手できないんで、何とかならん?」・・・唐突の質問であった。。。会社の上層部から「ウチの会社にもサッカー馬鹿が居る」と聞いたらしい。。。私の返事は「有りませんねぇ・・・」。当時の仏W杯チケット騒動は有名な「事件」であるが、旅行会社にチケット代を払った人でも現地で入手困難になった程の混乱ぶりであった。。。。そして、当の後藤さんは「チケット無し」でフランスに向かった・・・。実に「馬鹿」である。
まぁ、時効なので告白するが、ワタシもその4年前「アメリカW杯」の際に、日本の出場も決まらないうちから「アメリカW杯応援ツアー」を東京のツレにそそのかされて計画し、「ドーハの悲劇」が「ドーハの歓喜」であったら、私は3週間の「観戦ツアー」を行うハズであった。
多分実現していたら、会社はクビになっていただろうし、嫁には出て行かれていただろう・・・未遂事件に終わり、結果的には私にとっては「ドーハの幸運」であったのかも知れない。そして、フランスW杯の時はさすがの私も「オトナになっていた」ので、狂行渡航は断念した。。。
その後、後藤さんとも「馬鹿同志」で話す機会も増えていたが、私が「現役選手」であることは伏せていた。。。彼から「サッカーがしたい」と聞いたのは2004年アテネ五輪で「悪ガキ大久保」が一発退場を食らい惨敗した頃だった。。。。そしてOTOTOに入るやいなや、早々に「反省会レギュラー」の座を確保し現在に至る。その間、グランパスは強くなったのか弱くなったのか・・・。しかし後藤さんのグランパスに注ぐ愛情は変わらない。そして「侍ブルー」日本代表への応援も。。。(しかし、新ユニフォームの胸の「レッドーカード」デザインは何とかならんかね・・・)
2010年6月、後藤さんは南アフリカの大地に立っているのでしょうか? 私は7:3で「行く」と読んでますが。。。。
話題になっかたので、
今日見てびっくり
いつ撮った写真でしたかね?
グランパスもアーセナルと一緒で外人部隊ばかりになって来ました。それと、
あんまりあおられると、ほんとに、
南アフリカ行っちゃいそう?
協会の出場枠のチッケトは、申込しましたが、当たったら考えないといけないかも?
同伴者は、パスポート番号がいるので、
嫁と息子と娘の名前にしてありますが、
つれては行けないですね。
嫁に、了解を取るのが、一番大変ですので、うまく協力して下さい。26日(土)頑張ります。松ちゃんも、あそこなら、飲んで帰れますね。
南アフリカには「使い慣れた」デジカメを持って行って下さい。前回はピントが合ってない写真が多かったので編集・補修が大変でしたんで。。。