西アフリカに位置するリベリア共和国は、内戦が続く世界最貧国のひとつです。アメリカ合衆国で解放されて自由を得た88人の黒人奴隷たちが、西アフリカに入植し独立したのが1847年。リベリアの国名はliberty(自由)に由来します。
建国の父たちはキリスト教とアメリカ文化の影響を受けており、国民の3%にすぎないその子孫(アメリコ・ライベリアン)は、もともと地元に住んでいた部族を差別的に支配していくことになります。
1960年代に、アメリカ政府による途上国の教育や医療の支援のために組織された「平和部隊」に教師として参加したのが、クレイトン・ベスさんです。彼はそこで「差別」をめぐる話を聞かされます。この国を常に覆っている文化や宗教による差別ではなく、疫病をめぐる、昔本当に起こった差別の話です。
天然痘に冒された赤ん坊を抱えた家族が、村を追われて川のほとりの家にたどり着きました。子どもたちと家にいた母親(ハウ)は不審に思いながら、一晩だけ泊めてほしいと懇願する家族を家の中に導き入れます。翌朝目覚めてみると、赤ん坊だけを置き去りにして、その家族は逃げ出していました。
ハウは赤ん坊が天然痘に冒されていることを知り驚きましたが、赤ん坊を見捨てないと決意します。母親に命じられて川向こうの叔母の家に避難した息子と幼い娘は、天然痘を恐れる村人によって追い返されてしまいます。こうして、川をはさんで村から隔離された家族の生活が始まります。
『川のほとりの大きな木』(クレイトン・ベス著 童話館出版 原題 “Story for a black night”)は、ハウとその家族の、悲しくも感動的な物語です。
ハウは教会学校に通うことを両親に許された女性でした。つまりはリベリアの支配層のモラルに忠実であろうとした人間です。しかし、彼女を突き動かしたのは教会学校の教育ではなく、どうしても赤ん坊を捨てることできないという、それだけの気持ちでした。
一方、川を隔てた村の人々はハウの無思慮を責め、牧師夫人は、ハウの天然痘が悪化するのは、ひどい罪をおかしているからだと言い放ちます。
体じゅうの皮膚がただれ、奇跡的に一命をとりとめたハウが、村のマーケットを訪れたときのことです。彼女に近づいて、顔のあばたを慈しむように撫で、涙を流した女性がいました。アメリコ・ライベリアンに差別される地元部族の女性です。
彼女はハウに向かってこう言います。
「ああ、あんたの心のひとかけらをもらっていくよ」
『川のほとりの大きな木』は、成人したハウの息子がその娘たちの枕元で聞かせてあげるお話、という体裁をとっているので、子どもにも読みやすい本です。しかし、差別のあり方も、善と悪のとらえ方も、重層化し絡み合っていて、決して理解しやすい物語ではないかもしれません。それだけに、「この赤ん坊を捨てるわけにはいかない」というハウの決断の重さと潔さが、私たちの心に響くのです。
とりわけわかりやすさを好む、いまの時代だからこそ読まれるべき本だと思います。