犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

ほんとうの力強いことば

2016-10-23 12:13:14 | 日記

岩手県大船渡市の医師 山浦玄嗣さんが、地元の小さな印刷会社から出版した『ケセン語訳 新約聖書』(イー・ピックス出版)は東日本大震災で数奇な運命をたどることになります。
新約聖書を大船渡市や陸前高田市、宮城県の気仙沼市などの「気仙地方」と呼ばれる地域でつかわれている言語(ケセン語)に翻訳した本書は、もともと赤字覚悟で出版され、ようやく採算がとれていた本でした。
ところが、東日本大震災による津波で、出版社の社屋も倉庫も水浸しになり、三千冊あった在庫は泥だらけになってしまいました。

水浸しの本は商品にはならないけれども、希望する人に半値でも買ってもらおうと、出版社の人たちが泥だらけの本を天日干しにしていると、思いもよらぬ救いの手が差し伸べられることになります。
旭川市の三浦綾子記念文学館が、水浸しになった『ケセン語訳 新約聖書』の話を聞いて、同文学館で販売しようと申し出たのです。そのうえ「津波という洗礼を受けた聖書は貴重だから、半額と言わず、ぜひ定価で販売すべきだ」とまで申し出てくれました。
被災地の取材に来ていた新聞記者が、たまたまそのやりとりをそばで聞いており、ぜひ記事にしたいと新聞で紹介すると、西日本から注文が殺到し、その記事を読んだ別の地方のマスコミでも採りあげられたことで、注文は全国規模に広がっていきました。
五月の初めに最初の記事が出て、本は三ヶ月で完売したといいます。

この貴重な体験を踏まえて、山浦さんが書き下ろしたのが、『イエスの言葉 ケセン語訳』(文藝春秋社)です。
新約聖書が書かれたギリシャ語を山浦さんは深く研究し、納得いくまで読み込んでケセン語に翻訳した言葉には、津波の泥の中から這い上がるような力強さがあります。

たとえば、「叩けよ、さらば開かれん」と通常訳されるマタイの箇所はケセン語訳では、こうなります。

戸ォ叩ァで、叩ァで、叩ぎ続げろ。そうしろば、開げでもらィる。
(戸を叩いて、叩いて、叩き続けろ。そうすれば、戸を開けてもらえる。)

ギリシャ語の命令形には二種類があり、動作を継続して実行することを要求するものと、動作を一回性のものとして要求するものがあることに気づいた山浦さんは、マタイのこの箇所が動作の継続を要求するものであることを見出しました。
その結果生み出されたケセン語訳には、反復と継続の覚悟を強いる厳粛さが蘇ります。

また同じマタイの「汝の敵を愛せ」は、誤訳だと山浦さんは言い切ります。「できるならその存在をなくしたいと思う相手」を愛せ、好きになれというのは無茶な話ではないか。これはギリシャ語のアガパオーを中国語の翻訳のまねで「愛する」としてしまったが故の誤りだと言うのです。
山浦さんによるケセン語訳はこうなります。

敵(かたき)だっても どこまでも大事にし続げろ。

憎い相手に対しても、あいつも人なのだと思って、大事にしなさい。そしてそれを反復、継続しなさい。

津波の後、打ちひしがれた自分たちのもとに、たくさんの手が差し伸べられ、うれしく有難いことだと山浦さんは述べます。そして同時にこうも述べられます。これは「アガパオー」の精神であって、日本語の「愛」はこの力強い言葉を正しく表現していないのだ、と。

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おのれの欲せざる所

2016-10-03 00:49:10 | 日記

孔子の弟子のなかでも特に頭のキレる子貢が、孔子に尋ねていいました。
「人として一生涯貫き通すべき一語があれば教えて下さい」
孔子は、すかさず「恕」である、と答えます。ところが、子貢は腑に落ちた様子でもないので、孔子は続けてこう言い添えます。
「おのれの欲せざる所、人にほどこすことなかれ」
− 自分がされて嫌なことは、人に仕向けるものではないよ、と。

論語のなかで「恕」について記されているのはこの部分だけなので、恕の定義は「おのれの欲せざる所、人にほどこすことなかれ」だと解されることがあります。

また、若く優秀な弟子である曽子が、論語のなかで「夫子(孔子先生)の道は忠恕のみ」と述べており、ますます孔子の主張の中核に「おのれの欲せざる所、人にほどこすことなかれ」が置かれることになります。

しかし、孔子は相手に応じて質問の応答を変えるような、臨機応変を好みました。
頭は切れるがやや理の勝ちすぎる子貢に対して、孔子はこう言ったのではないでしょうか。
「理屈じゃないんだ、君だって人にされていやなことがあるだろう。それをしないと心に決めてごらん、そこから世界は変わるはずだ。一生涯貫き通すべき一語と言うのなら、そう答えよう。それを今から始めるんだ、そしてそれは君が心に刻み込んで生涯反復すべき、心がまえだ。」

「恕」という語には、相手の言い分の良いも悪いも包み込んでしまう大きさがあります。
「自分がされて嫌なことを、人にも仕向けない」ことと「自分がされて喜ぶようなことを、人に対して行う」とは千里の隔たりがあることを認識し、そのような飛躍をおかすことのない慎み深さがあります。
そうでなければ、自分の快・不快の基準にあわせて人に接するという、独りよがりに陥ってしまうことでしょう。
一生涯貫き通すべき一語として、孔子はつねに立ち返るべき覚悟を置いたのだと思います。

思えば、おのれの欲せざる所を強いる何者かがあって、安逸な予定調和から身を引き剥がされ、そうして倫理というものが生まれたはずです。

「おのれの欲せざる所をほどこす人は必ずいる。さあ、そこからだ。君はどう行動するか。まずは同じような愚かなことはしないこと。そう、君はそのようなかたちでまず社会というものに接した。そこまでできたのならば、もう君の前には大道が開けている。」
少なくとも、子貢に対しては心に響く言葉だと考えたから、孔子はそう述べましたが、そうでない言葉でも充分ありえたのではないでしょうか。
「おのれの欲せざる所をほどこす人に会ったとき、それは君が人生に深く関わるきっかけなのだ」−こうであっても、孔子の言葉としておかしくはない、と言えないでしょうか。
孔子が一切説明しようとしなかった「恕」とは、一生涯立ち返るべき覚悟であり、それゆえ言葉として明確に残し難かったものではないかと思います。

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