信頼した人から裏切られるということは、人生のなかで避けられない苦しみのひとつです。深く信頼していればいるほど苦しみは大きくなります。その人に最初から出会わなければよかった、そもそもの最初から気安く信頼などしなければよかった。相手を恨むと同時に、信頼をした自らの軽率さをも呪うことになります。
怒りから覚めて冷静になったあとに、そのような人間関係を築いてしまったことを反省して、そうでない用心深い関係を模索することで、より賢くなったのだと納得することもあるでしょう。
しかし、せっかく人生の苦しみのもっとも奥深いものに触れてしまったのならば、もっと大きな知恵をつかみ取って立ち上がるべきではないでしょうか。それほど苦しいことならば、その苦しみの裏にはきっとかけがえのない気付きがあるはずです。
悟りすましたことを言うつもりはありません。わたし自身、深い苦しみのなかにあって、みずからを励ますようにこの一文を書いています。
そうして、数年前に書いたわたし自身の言葉によって、ふと思うこともあったのです。
読み返してみて、しばらく立ち止まった、過去のブログの一部を再録します。
心理学者の河合隼雄さんは、理想の伴侶を追い求めて結婚に至った男性が、次第に相手に幻滅し破局に至る過程について「絵に描いた餅」という表現を使って説明します。その男性は三年間の交際期間で「優しい賢い女性」という、内なる「絵に描いた餅」を現実の女性 (現実の「餅」) に投影して見ていたに過ぎませんでした。彼は自分の理想と現実との乖離であったと、みずからの不運を嘆き、相手の女性を恨むことになります。しかし河合さんは、そこに立ち止まらずにもう一歩踏み込むことの大切さを次のように語ります。
しかしここでもう一歩踏み込めないだろうか。三年間も彼女に騙されていたなどと考えるのではなく、自分の心の中で活動し続けた「優しい賢い女性」という絵姿は、自分にとって何を意味するのだろうか、と考えてみる必要があるのではなかろうか。彼女は偽物だったかもしれないし、何だったか不明にしても、自分の心のなかにひとつの絵姿が存在し、優しさとか賢さとかの属性をもって活動していたことは「事実」なのである。そしてその絵姿こそが自分を色々な行為に駆り立てた原動力なのである。(『こころの処方箋』河合隼雄著 新潮文庫)
「優しい賢い女性」という「絵に描いた餅」は決して普遍的な理想ではないかもしれないけれども、自分を突き動かしていた何ものかであることは間違いのない事実です。翻って、自分を突き動かす何ものかは、このようなかたち以外のかたちをもって私たちの前に現れうるのでしょうか。
私たちは自分の理想を「絵に描いた餅」でしかないと覚めた眼で見ることができます。そして同時に「絵に描いた餅」が自分にとってどれほど切実なものであるかを感じることもできます。自分の心のなかの絵姿がどれほど自分を突き動かすのかという自覚は、それが絵に描かれたものに過ぎないという認識とは矛盾することはありません。
ここまでが、過去のブログ(「絵に描いた餅」)からの引用です。
禅僧の南直哉さんは、近著のなかで、「自分」いうものがいかに自らの記憶と、ひととの関わりとによって成り立っている頼りない、あやふやなものかを述べています。そのうえで、「自分」などというものを後生大事に抱えて損得勘定で生きるよりも、人生の「テーマ」を決めて賭けてみることの方が、よほど人生を生きやすくなると、次のように述べています。
自分が決めたテーマを大事にすればするほど、つまり「賭け金」が積み重なるほど、「負けたとき」に受ける衝撃も大きくなります。 しかしそれも「折り込み済み」で考えることです。いつかは自分の大切にしたいことや人、テーマは変わるかもしれない、失うかもしれないという前提で考える。その覚悟で、相手とつき合えばいいのです。「テーマを生きる」とは、負けることもあると承知のうえで、自分の決めたことに賭けていくことです。(『禅僧が教える 心がラクになる生き方』アスコムより)
賭け金が大きくなればなるほど、失ったときの衝撃は大きいかもしれない、しかし、そのことも「織り込み済み」で賭けると決めたのならば、恨み節など出てくるはずはありません。
河合隼雄さんの言う「絵に描いた餅」に賭けると決めてから裏切られたと感じるまでのあいだ、少なくともその「絵に描いた餅」に救われていたことは、揺るぎのない事実のはずです。人に裏切られて手酷く傷ついたと感じるならば、「もう一歩踏み込んで」、その人を信じることでどれほど救われたかに思いを致してはどうでしょう。その救いがあってこそ、南直哉さんの言う人生の「テーマ」を息づかせることができたことにも気付くはずです。そして、もう一度「テーマ」に賭ける勇気を持つことができるのだと思います。
何度ひとに裏切られようとひとを信じ続ける力を、わたしは今、得たいと思っています。