小雨の降るなか、近所の生垣に梨の花が咲いていました。赤みのない真っ白な花弁を、一心に天を仰ぐように咲かせていて、そこに細かな雨が降りそそいでいます。
この時期の茶室の掛軸にも「梨花一枝春」が選ばれます。出典は白居易の『長恨歌』で、玄宗皇帝が道士に命じ、亡くなって仙女となった楊貴妃を訪ねて行かせる、というくだりです。ようやくたどり着いた道士は、美しく舞うように現れた仙女の様子を次のように詠います。
玉容寂寞涙闌干
梨花一枝春帯雨
玉のような美しい顔は寂しげで、涙がぽろぽろとこぼれ
梨の花が一枝、春の雨に濡れている。
道士は、悲しくむせび泣く楊貴妃をみて、春雨に濡れる梨の花になぞらえました。
梨の花といえば、こんな歌もあります。
黒雲のしたに梨の花咲きてをりいまだにつづく昭和のごとく
(小池光『梨の花』)
ここでも、梨の花は華やかに咲き誇るのではなく、黒雲の下に置かれています。そして、その悲しげな様子は「いまだにつづく昭和のごとく」と詠われています。平成の時代になっても、うら寂しいこんな情感は続くのだと。やはり、この歌も長恨歌の一節を思い浮かべて、はじめて味わいが伝わるのだと思います。
ところで、この春就職して、先日遠方の勤務地に配属が決まった次女が、転居先の部屋を決めてきました。当面必要な家具、家電をそろえるのを手伝い、ついでに車で運んでやろうかと考えています。覚悟していたこととはいえ、心に穴があいた思いがします。
私はかつて茶室に掲げられた「梨花一枝春」の言葉を、「万物に顕れる春は、同時に深い悲しみをたたえている」と解釈しました。いままさに、そういう思いを痛感しています。