犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

「われ」という地層

2011-09-17 13:46:03 | 日記

鶴見俊輔さんは、自身の戦争体験が付き立てる問い、すなわち命令によって人を殺さざるを得ない立場に立たされたとき、どう身を処しただろうかという問い対して、十年間かけて、次のような答えを得ました。「俺は人を殺した。人を殺すのはよくない」と「ひと息」で言える人間になりたい、と。
これは姉、鶴見和子さんの影響でもあるのだそうです。和子さんは若いころから歌人の佐佐木信綱さんから和歌の指導を受けていました。そこで歌は「腰おれではいけない」という指導を受けます。五七五と七七の間に隙間があってはいけない、その間で歌の調子が鈍ることになるからです。
鶴見俊輔さんは、これを「ひと息で言いきる」と言い換え、生きる姿勢に見たてます。

その鶴見和子さんが脳溢血で倒れ半身不随になったとき、同じように脳梗塞により半身不随になった免疫学者の多田富雄さんとの往復書簡をまとめたのが『邂逅』(藤原書店 2003年)です。
鶴見和子さんは、倒れた翌朝、カフカの『変身』のように虫になって、壁に張り付いている自分を発見したと言います。そしてその夜のうちに夢を見ながら体の奥底から歌が噴き出してきます。やがて、子どものころからなじんでいた舞の所作をなぞるようにリハビリを重ねていき、これが身体機能の回復を大きく後押しすることになります。
鶴見和子さんは、同じように倒れた直後から、学生時代に嗜んだ詩があふれ出るように復活したという多田さんの経験を指摘しつつ、次のように述べます。

詩と短歌の違いはありますが、いずれも詩歌―ポエティカ又は詩学、歌学―です。詩歌のほうが散文よりも生命のリズムに近くて、生命が極限状態に達したときに、人間の内なる自然である身体の奥底からほとばしり出るものなのではないでしょうか。それだからこそ詩歌に根ざした科学・学問こそ生きた学問といえるのではないでしょうか。(『邂逅』96頁)

また、佐佐木信綱さんからは、究極の「われ」は何かを探求することが短歌にとって大事であることを教えられたとも述べます。社会科学で言う「自己」を、やまとことばでは「われ」と表現します。「自己」ではなく「われ」というとき、鶴見さんは「ああ、自分のことを言っているのだなあ、このわたしのことなのだなあ」という実感を持つことができると言います。また「われ」は自分が生まれてから現在に至るまでの「地層」のように積み重ねられたものでもあります。それぞれの時期に、外見も、感じたことも、考えたことも違うけれども「われ」には一貫性があります。「われ」という地層を掘りすすめることで、生まれる前の自分、人間以前の生き物だった「われ」に出会えるかもしれないと、鶴見和子さんは述べます。

『邂逅』は鶴見さんが歌を詠み、身体に染みついた舞の所作を繰り返すことで、つまりは「われ」という地層を掘りすすめることで、身体が再生してゆく過程を記した書でもあります。


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