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犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

富右ェ門窯を訪れる

2025-05-05 11:55:05 | 日記

有田陶器市に行ってきました。ゴールデンウィークのわが家恒例の行事なのですが、今年は遠くに赴任した次女がいません。

昼過ぎに散策を切り上げ、駐車場に向かうと、「よかったら、うちの窯元を見て行かれませんか」と声をかけられました。窯元件展示場に入ると、案内してくれる女性が名刺をくれました。窯元の若奥さんだとばかり思っていた人は、窯元の十二代目当主なのだそうです。そうすると、この「富右ェ門窯」という窯は、相当に古い歴史を背負っていることになります。

展示されている作品は、ほとんどが父親である十一代目の作品で、二十数年前に亡くなっているので、作品のひとつひとつは、何の用途で作られたのか、現当主にもわからないことがある、と話していました。

たとえば、この茶碗の用途ははっきりとはわからないけれど、残された絵付けの蓋とちょうどサイズがぴったりなので、セットで煎茶茶碗として作られたのだと思うということです。太い筆一本で、葉先の流れやグラデーションを描き切る職人は、今はほとんどいなくなってしまったと話してくれました。
大胆な構図と繊細な筆運びが気に入ったので、セットで完品のものを2客買い求めました。

さて、この「富右ェ門窯」です。帰って調べてみると、鍋島藩の御用窯として、個性的なデザインと格調高さを三百年にわたって伝えてきた伝統のある窯元だったそうです。「だった」というのは、現当主が語ってくれたように、十一代目の急逝で、工場を閉鎖せざるを得なくなったからです。別の記事によると、それから十数年後に、富右ェ門窯を支援するコンサートイベントが、地元の芸術家たちによって催されています。
この記事には現当主に十二代目という肩書きが付いていないので、このイベントの後に、襲名披露をしたのでしょう。

十一代目が亡くなったとき、現当主は、うちの娘たちの今の年頃だったのではないでしょうか。三百年の歴史を突然遺されて、当惑したことでしょう。職人たちが去っていくのは辛いことだったろうと勝手に想像します。

現当主は現在、絵付け師として活躍されているとのこと。窯元には先代の掘り出し物の作品が数多く遺されているので、ご興味のある方は、上有田駅近くの富右ェ門窯を訪ねてみてください。

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初夏を待つ白い花々

2025-05-02 19:29:20 | 日記

近くの公園を散歩していると、古木に白い花房がいくつも下がっており、陽の光に照らされて、きらきら輝いていました。ニセアカシアの花です。藤のように垂れさがる花房が特徴的で、いく筋もぶら下がる様は派手な印象さえ与えますが、近くに寄って見ると、ひとつひとつの花は、蝶のような姿がどこまでも可憐です。

アカシアに葉の形が似ていることからニセアカシアと呼ばれたのだそうで、若木に棘があることから「ハリエンジュ」というのが正式な和名だと言います。いずれにしても、もう少しきれいな名前を付けてあげたいところです。

梅雨入り前から初夏にかけてのこの時期には、可憐な白い花が目立ちます。唱歌『夏は来ぬ』の歌詞「卯の花の匂う垣根に」で有名な「卯の花」は、この歌の通り初夏の訪れを告げる花ですし、もうしばらくすれば、ヤマボウシクチナシが白い花をつけ始めるでしょう。

ところで、花の白色には特定の白色素というものは存在せず、これらの花々は、花びらの細胞の構造的な要因で白く見えるのだそうです。透明な細胞のなかに、小さな空気の泡がたくさん含まれているために、境界面で何度も光を乱反射させて、花を白く見せているのです。

花々の可憐な白は、何色にも染まらぬ無垢な姿が、かえって清らかに輝く色だとも言えます。
そのように考えれば、たとえば卯の花を一輪挿しに生けて床の間に置くと、「本来無一物」の掛軸にも合いそうな気がします。

この時期の花々が空泡に満ちた花弁を披露するのは、やがて訪れる雨の季節に向かって、空の器を一杯に広げているのを知らせるためでしょうか。そうだとすると、この時期の白い花は、可憐なだけではなく、天の恵みに開かれた大らかな姿を、われわれに垣間見せているように感じます。
「無一物中無尽蔵」とは空語ではないことを知ることができます。

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自分を愛する心

2025-04-29 11:30:39 | 日記

飛び石連休のなか日、仕事が終わった次女に、職場の人たちが歓迎会を開いてくれたそうです。妻あてに、楽しかった、美味しかった、というメールが送られていて、ひと安心しました。初めてのひとり暮らしであり、赴任先の新入社員もひとりきりなので、子離れできぬ親としては気を揉むのです。

別の会社に就職し、地元勤務を希望していた長女の配属先が福岡に決まり、自宅からの通勤が可能になったので、夫婦で胸を撫でおろしています。長女も新幹線で次女のところに遊びに行くのだと意気込んでいます。そんな彼女が、昨夜は次女の部屋のベッドで寝たと言って、起きてきました。

幼稚園から大学まで、ずっと一緒に過ごした娘たちは、生まれてから今日に至るまで、ほとんど同じ経験を共有してきた、お互いにとっての「半身」のようなものだと思います。二人が初めて別れることの寂しさは、親が経験するものよりもずっと大きいのでしょう。

吉野弘の、まだ幼い娘に宛てた「奈々子に」という詩があり、その一節にこうあります。

  お父さんが

  お前にあげたいものは
  
健康と

  自分を愛する心だ。(中略)

  香りのよい健康と

  かちとるにむづかしく

  はぐくむにむづかしい

  自分を愛する心だ。

詩人のいう「かちとるにむづかしく はぐくむにむづかしい 自分を愛する心」は、おそらく「半身」を愛するように自分を愛する心とは、違うものだと思います。
孤独や悲しみから這い上がるようにして、ようやくつかみ取ることのできるのが「自分を愛する心」なのでしょう。
社会人になり環境が変わる娘たちに対して、そんな心を勝ちとり、育んでほしいと、切ないながら願います。


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雨を愉しむ花々

2025-04-24 20:24:48 | 日記

この時期に降る雨のことを「愉英雨(ゆえいう)」と呼ぶことがあるのだそうです。この前の朝のニュースで言っていました。
愉英雨の「英」は花を意味して、温かな雨が春に咲く花々を愉しませる様子を表しているとのこと。季節の移ろいを花の姿に映して感じとる、美しい日本語です。

「英」の字はわたしの名前にも使われていて、これが花を表す文字であることを、この歳になって初めて知りました。そういえば双子の娘たちの両方の名前に「花」の字を入れたのはわたしで、これも縁あってのことでしょう。

稽古場の床の間には芍薬が活けてあり、花びらが一枚一枚ほどけるように開いていく様子が、柔らかな雨に喜ぶ姿のようにも見えます。木本の牡丹とは違い、草本のまっすぐ伸びた茎に、たった一輪花を咲かせる芍薬ならではの可憐さです。

碧巌録の公案に、清浄法身(清浄な悟りの姿)とは如何なるものですか、という問いに対し、禅師が「花薬欄」と一言答えるものがあります。花薬欄とは、柵で囲った芍薬の植え込みのことを指すらしく、これだけでは意味のわからない難解な公案です。

しかし、植え込みのなかに幾本も並んだ芍薬が、春空に向かって伸びていて、その花びらがゆっくりほどける様子を想像すると、それはいかにも無垢で清浄な姿を表しているように思います。

こう思いを巡らすと、良寛さんの歌が思い浮かびました。

飯乞ふとわが来しかども春の野に菫摘みつつ時を経にけり

飯乞いをしながら来たけれども、春の野にすみれを摘みながら時を過ごした、という歌です。無垢でありながら、泰然自若とした様子が浮かんできます。公案に言う「清浄法身」の姿にも通じるものだと思います。

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娘の引っ越し

2025-04-19 22:17:22 | 日記

遠方の勤務が決まった次女の引っ越しは、荷物の運搬を業者さんにお願いして、現地で到着荷物を移動する力仕事を、わたしが担当しました。

荷物の搬入が終わると、娘と二人で新幹線でいったん博多に帰りました。新たに購入した家具類の到着が間に合わなかったので、一週間新幹線通勤をし、週明けの引越しは娘ひとりに任せることにしたのです。帰りの新幹線で窓際に座った娘に、ビルの隙間からようやく顔をのぞかせる熊本城を指さして見せてあげました。

「お父さんは熊本や鹿児島に出張のとき、ゲン担ぎのように列車の窓からお城を見るんだ、元気が出るからね」と言うと、娘はうなずいて、お城を見つめていました。

熊本震災のときには、娘は中学生で、福岡にいても携帯のけたたましいアラーム音と、その後のかなりの強い揺れを、昨日のことのように覚えていると、話していました。新幹線から垣間見えるお城が、彼女にとっても希望のシンボルであればよいと思います。

次女と二人きりで旅をするのは初めてのことで、そして、これからもこんな機会はないのかもしれません。こうやって希望の話をしていますが、引っ越しを繰り返す生活を続けてきた私にして、こんなに寂しい引っ越しは初めてです。

さて、そうこうしているうちに、gooブログ閉鎖の発表があり、自分自身にも引っ越しが及ぶことになりました。せっかく色々な方とお知り合いになれたのに、これもまた、どうしようもなく寂しい話です。
ブログそのものは、これからも続けようと思うので、以下のように「引っ越し」を決めました。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
はてなブログ」への引っ越しです。
引越しデータ作成に約30分、新ブログでのインポートに1時間弱、画像データ引っ越しに3時間程度を要しましたが、引越しデータ完了時にメール通知があるので、パソコンに付きっきりの必要はありませんでした。
できればサービス終了までgooブログと、はてなブログ両方の投稿を続けるつもりですので、引き続きよろしくお願いします。


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