沢沿いにヤマアジサイの花が咲いていました。近所の垣根のアジサイも、やがて、とりどりの色を競わせる季節を迎えます。
アジサイの花の色が青の場合、土壌は酸性であり、赤色の場合、土壌はアルカリ性というのはよく知られています。しかし、これがたまたま、そこに根を下ろした土壌によって左右される色変化かというと、そう単純なものでもないのだそうです。
火山の多いわが国では酸性の土壌が圧倒的に多く、青色のアジサイが多いといいます。酸性土壌ではアルミニウムが溶解しやすく、これが花に含まれる色素と結合し、青色を発色するのです。
ところが、アジサイが老化してアルミニウムを吸い上げる力がなくなると、青みが薄れ、赤みがかった花の色に変わっていきます。七変化とも言われる色変化は、アジサイの老化によって引き起こされる、そういう側面があるのだそうです。
話は変わりますが、最晩年の宮沢賢治は、農業のための土壌改良に尽力しました。「東北砕石工場」の技師となり、みずから「肥料用炭酸石灰(タンカル)」と名付けた商品のサンプルを抱えて東奔西走します。しかしこれが結果として、死期を早めることになりました。
もともと過労からくる急性肺炎で療養中だった賢治にとって、厳しすぎる労働だったのです。しかし、酸性の土壌を石灰で中和して農産物の育ちやすい環境をつくるのが、賢治がみずからに課した使命でした。
酸性の土壌で溶解しやすいアルミニウムは、植物の根の成長を阻害し、養分を吸収できなくします。しかし、アジサイはみずからその毒を取り込んで、澄んだ青色を輝かせます。その毒のせいで根が弱り、毒を吸いきれなくなると、鮮やかな赤色を帯びて花の最期を飾るのです。
あわれでもあり、見事な花の一生ではないでしょうか。
賢治のみずからの命を賭して使命に捧げる最晩年の姿にも、どこか重なるようです。