宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、死後発見された黒表紙の手帳の中に収められていました。「雨ニモマケズ手帳」と呼ばれるようになるこの手帳には「土偶坊(でくのぼう)ワレワレカウイウモノニナリタイ」という戯曲の構想も収められています。賢治は、人に笑われ石を投げられるデクノボウを描いて「雨ニモマケズ」の世界を戯曲化しようと考えていたとも言われています。また、この手帳には「不軽菩薩」の詩も収められています。
不軽菩薩は、法華経に登場する菩薩で、会う人ごとに礼拝し讃嘆するので、人々は気味悪がり、やがて厄介者扱いされるような存在です。石を投げられ追い払われても「我あえてなんじらを軽しめず、なんじら皆まさに作仏すべし」と唱えたのだそうです。法華経を深く信仰する賢治は、土偶坊に不軽菩薩を重ねていたことは間違いありません。
前回「ありがとう」という言葉を、他でもない自分を出発点として発する人のことを書きました。そのとき思い浮かんだのが、この不軽菩薩でした。そして、禅僧の南直哉が、この菩薩とその受難について解説されているのを思い出しました。長くなりますが、その解説を引用します。
菩薩が迫害されるのは、考えてみれば当然です。礼拝された一般の人々は、普通「他者」の欲望に応えるが故に「自己」は肯定されるのだ、と考えています。つまり「取り引き」の世界の住人です。
そこにいきなり、「あなたは仏になるだろう」などと「身に覚えのない」ことを言われて一方的に礼拝されたら、それこそ思い込みの押し付けのようにしか見えないでしょうし、「オレを馬鹿にしているのか」という怒りの反応にしかならないでしょう。
この常人には理解しがたい、すなわち常人にはできない菩薩の行為は、「取り引き」の外側から、「自己」に無条件の肯定を与えているのです。
何ものも欲望しないまま相手を肯定する行為こそは、その相手が自己を肯定する究極的根拠を作り出すものなのです。その重要性の自覚は、通常きわめてむずかしく、いわば「亡くなってから知る親の恩」的事態でしょう。おそらく、「倫理」を発動する決定的条件の一つは、この行為です。
(『刺さる言葉』 南直哉著 筑摩書房 178頁)
当ブログに7年前に引用させてもらった箇所ですが、気付かぬうちに南禅師の言葉をトレースして、前回のブログを書いていたようです。
さてそれにしても、不軽菩薩はあまりにも遠い存在ではないでしょうか。「倫理を発動する決定的条件」としての行為は、必ず受難を伴うものなのでしょうか。
我々は親として「こういうものになりなさい」と言ったりしますが、「不軽菩薩のようになりなさい」とは言わないでしょう。言われた子どもも、何のことか分からないだろうと思います。人生経験を積んで、悔しい思いをいっぱいして、初めて「こういうものになりたい」と心の底から思うのだと思います。
それでは、どうするか。「ありがとう」の言葉、相手を無条件に肯定する言葉を、できる限りかけてあげることしかないのではと思います。つまり施しとしての「愛語」です。
前回の振り出しに戻ってしまったようで申し訳ないのですが、「愛語」(心のこもった優しい言葉)は「亡くなってから知る親の恩」のように、その人のなかに湧き上がり、背中を押してくれるのだと思います。受難が避け得ないとしても、その言葉が支えてくれるはずです。