犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

不軽菩薩の愛語

2022-08-25 19:03:08 | 日記

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、死後発見された黒表紙の手帳の中に収められていました。「雨ニモマケズ手帳」と呼ばれるようになるこの手帳には「土偶坊(でくのぼう)ワレワレカウイウモノニナリタイ」という戯曲の構想も収められています。賢治は、人に笑われ石を投げられるデクノボウを描いて「雨ニモマケズ」の世界を戯曲化しようと考えていたとも言われています。また、この手帳には「不軽菩薩」の詩も収められています。

不軽菩薩は、法華経に登場する菩薩で、会う人ごとに礼拝し讃嘆するので、人々は気味悪がり、やがて厄介者扱いされるような存在です。石を投げられ追い払われても「我あえてなんじらを軽しめず、なんじら皆まさに作仏すべし」と唱えたのだそうです。法華経を深く信仰する賢治は、土偶坊に不軽菩薩を重ねていたことは間違いありません。

前回「ありがとう」という言葉を、他でもない自分を出発点として発する人のことを書きました。そのとき思い浮かんだのが、この不軽菩薩でした。そして、禅僧の南直哉が、この菩薩とその受難について解説されているのを思い出しました。長くなりますが、その解説を引用します。

菩薩が迫害されるのは、考えてみれば当然です。礼拝された一般の人々は、普通「他者」の欲望に応えるが故に「自己」は肯定されるのだ、と考えています。つまり「取り引き」の世界の住人です。
そこにいきなり、「あなたは仏になるだろう」などと「身に覚えのない」ことを言われて一方的に礼拝されたら、それこそ思い込みの押し付けのようにしか見えないでしょうし、「オレを馬鹿にしているのか」という怒りの反応にしかならないでしょう。
この常人には理解しがたい、すなわち常人にはできない菩薩の行為は、「取り引き」の外側から、「自己」に無条件の肯定を与えているのです。
何ものも欲望しないまま相手を肯定する行為こそは、その相手が自己を肯定する究極的根拠を作り出すものなのです。その重要性の自覚は、通常きわめてむずかしく、いわば「亡くなってから知る親の恩」的事態でしょう。おそらく、「倫理」を発動する決定的条件の一つは、この行為です。
(『刺さる言葉』 南直哉著 筑摩書房 178頁)

当ブログに7年前に引用させてもらった箇所ですが、気付かぬうちに南禅師の言葉をトレースして、前回のブログを書いていたようです。
さてそれにしても、不軽菩薩はあまりにも遠い存在ではないでしょうか。「倫理を発動する決定的条件」としての行為は、必ず受難を伴うものなのでしょうか。

我々は親として「こういうものになりなさい」と言ったりしますが、「不軽菩薩のようになりなさい」とは言わないでしょう。言われた子どもも、何のことか分からないだろうと思います。人生経験を積んで、悔しい思いをいっぱいして、初めて「こういうものになりたい」と心の底から思うのだと思います。

それでは、どうするか。「ありがとう」の言葉、相手を無条件に肯定する言葉を、できる限りかけてあげることしかないのではと思います。つまり施しとしての「愛語」です。
前回の振り出しに戻ってしまったようで申し訳ないのですが、「愛語」(心のこもった優しい言葉)は「亡くなってから知る親の恩」のように、その人のなかに湧き上がり、背中を押してくれるのだと思います。受難が避け得ないとしても、その言葉が支えてくれるはずです。


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愛語施としての「ありがとう」

2022-08-20 16:04:35 | 日記

働く若い人たちに接することの多い人が、しみじみこう言われるのを聞きました。

最近の若い子たちは「ありがとう」と言われることを目標にして生きているようなところがある。つまりは社会的な承認欲求を満たされることを最終目標としているようだ。ところが自分から「ありがとう」と言うことを心がけている人は稀にしかいない。これは、課題をクリアするごとに承認を受けるような教育を受けてきたせいじゃないだろうか、と。

なるほど、私の経験に照らしても、今の若い人に限らず、そのような傾向があるのかもしれないと思います。
「ありがとう」を言われるのを期待する人が、社会的承認を欲しているのなら、その人は社会的承認というみんなの共通目標を認識しているはずで、その人もおのずから「ありがとう」と口をついて出るようになるのではないか。しかし、そうではなく、ここにはもっと根深い問題があるように感じます。
若い人たちが「ありがとう」と言われることを目標とするのは、何か小心翼々とした生き方を強いられているからであって、「ありがとう」と言う余裕すら失っていると考えた方が、腑に落ちるように理解できるように思うのです。

そこで、こんな極端な話に置き換えて考えてみました。

たとえば、先方の要望にこちらの行動がマッチしていれば取引成立で、その時初めて「ありがとう」と言ってもらえるルールが、世の中を覆っているとします。そんなルールがあることを忘れるほど、それは身に染み付いているのです。ある日、何かの拍子に「ありがとう」を言われなかった時、その人は「取引成立ならありがとうのルール」の世界に住んでいて、自分の行動が「取引不成立」だったことに気付きます。そういう世の中のしくみに気付いたその人は、ルールの存在が気になって、すべての行動が小心翼々としてしまいます。ついには「ありがとう」を言われることが、すべての行動基準になってしまうのです。ずいぶん乱暴な図式化だけれども、若い人たちを萎縮させている環境は、これに近いのではないか、とも思います。

数年前『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』という本がベストセラーになったとき、複雑な思いをしたことを思い出しました。こんなふうに、消費者のニーズにものごとを置き直して考える高校生がいたら、とても嫌だろうと。「取引成立ならばありがとうを言うルール」とは、荒唐無稽なばかりのアイデアではなく、現に生きている呪縛なのかもしれないと思うのです。

そうすると「ありがとう」と言うことを心がけている人は、そのルールの外に出て、「取引成立」という条件なしに「有り難い」と口にし得る人ではないか。社会的承認などではなく、その人はみずからを出発点として承認を与える人と言い換えることができるかもしれません。

そういえば「六波羅蜜」の「愛語施(あいごせ)」は、「ありがとう」と言うことは施しなのだという考え方でした。施しとしての「ありがとう」を受け取っていれば、その人はバトンを渡すように「ありがとう」を発するのではないでしょうか。


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確かにそういう人にお会いしている

2022-08-13 12:44:20 | 日記

葉室麟の小説の主人公は、誠実で辛抱強く、高潔な人物が多いが、本当にそんな人がいるのか、とよく聞かれると葉室は生前何かに書いていました。そういうとき、直ちにこう答えたそうです、私は確かにそういう人にお会いして話をしている、だからそういう人を書けるのだ、と。
葉室は別のところで、筑豊の炭鉱労働者の記録文学を書いた上野英信に会いに行き、ただの学生だった自分を温かくもてなしてもらったことが忘れられない思い出だと述べています。そして上野を訪ねていった時の様子が、自身の作品『蜩ノ記』の冒頭部分にそのまま反映されていることに、作品を発表した後で気づいたとも述懐しています。
葉室がいう「確かにそういう(高潔な)人に会っている」という人のひとりは、上野英信に違いないと思い、拙著『ほかならぬあのひと』にもそのくだりを書きました。

葉室麟のエッセイ集は没後何冊か出版されていますが、最近著『読書の森で寝転んで』(文春文庫)に収録されているシンポジウムのなかで、葉室がまさに上記のことを述べているのを見つけました。

さっき、上野英信さんのお話をしましたけど、清廉な人間はいるんです。こんな立派な人間はいないよ、なんて言われますけど、俺は上野さんを見ているから、というのがすごくありますね。上野さん自身に関してもいろんな立場からの批判はあると思います。(中略)ただ、生き方の根底にある、人間としての矜持とか優しさとか、そういうものを自分としては上野さんから受け取っているので、そういう人を書くことにためらいはないです。(252頁)

この本のなかにもうひとつ、上野英信に関わるエピソードが載っていました。
『蜩ノ記』が映画化されたときのことです。監督は黒澤明の助手を28年間務めた小泉堯で、スタッフも黒澤組出身が多いので、その絵づくりのこだわりは徹底していました。役所広司演ずる主人公は家譜編纂を命ぜられており、これを岡田准一演ずる監視役の若い武士に、ほんの数ページ見せるシーンがあります。小泉監督は、画面に映る数ページだけに文字を入れるだけではなく、すべての家譜(本稿16巻、清書18巻、日記10巻)に文字を入れさせたのだそうです。
黒田家譜などの家譜資料を集めて参考に文章を作り、これを映画題字を担当した書家の弟子が筆耕したといいます。
映画づくりとはここまで徹底するのか、と葉室は驚きましたが、同時にこうも思ったのだそうです。役所広司演ずる戸田秋谷は葉室の小説のなかのフィクションだけれども、秋谷が書いていた家譜は本物に違いないと。そして次のように述懐するのです。

それでもいまになって思うのは、小泉組のスタッフが家譜と日記を白紙にしないで文字を埋め尽くしたように、わたしにとって、秋谷が書いたものは白紙ではなかったということだ。
秋谷が筆をとって書き記したものは、上野さんが書いた炭鉱労働者の記録であり、作品ではなかったか。(前掲書 147頁)

葉室が最晩年、癌を患ったとき、困難な闘病になるから一緒に伴走してくれと告げられた担当編集者は、その姿がまるで『蜩ノ記』の戸田秋谷ではないかと感じたそうです。新聞の追悼文に載っていました。
上野英信のような人がいたから、自分はこの世の中を善きものとして描くことができる、その世界を善きままにバトンとして受け渡したい。葉室の晩年の多作には、そのような思いが込められていたのだと思います。


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中村哲の「三無主義」

2022-08-06 21:23:01 | 日記

最新のペシャワール会報(No.152)に、「三無主義」と題する中村哲の1992年の文章が載っていました。しばし考えさせられる内容でしたので紹介します。
それによると、ペシャワール会の理念を尋ねられたとき、「無思想、無節操、無駄」の三無主義だと言ってケムに巻くようにしている、というのです。

「無思想」とは、どだい人間の思想などタカが知れているという現地体験から辿り着いたものです。哀れな難民を助けなければと頑張っている外国人ボランティアの暗い表情と、難民キャンプで食うや食わずの子どもが見せる明るい笑顔とを比べてみれば、何も失うものがない者がどれほど強いものかと感じるのだそうです。どんな立派な志でも、自分の業績や所有としてしまうと、気づかぬ傲りや偽りを生むと確信しているのだ、と。

「無節操」のくだりでは、乞食から募金を受け取った話を披露しています。
ペシャワールの「職業的乞食」は実に堂々としていて「神は喜びます」と、施しを求めるのだそうです。もう少し腰の低さがあった方が実入りが良いのではないか、と問うてみると、その乞食は次のように言うのだそうです。
「貧者に恵みを与えるのは神に対して徳を積むことです。その心を忘れてはザカート(施し)はありませぬ」
その乞食が高僧のように見えた中村は、こう応じたそうです。
「私もはるか東方から来て、かくかくしかじかの仕事をしておる。これもザカートということになりはしないか。ならばあなたも我々の仕事に施しをしなされ。神は喜びますぞ」
そうすると、その乞食は躊躇なく集めた小銭を中村に渡し、中村を大いに驚かせたのだそうです。それ以降、惨めたらしい募金はせず、年金暮らしの千円も大口寄付の数百万円も、等価のものとして一様に受け取るようにしたのだそうです。

最後の「無駄」については、もっとも考えさせられました。
後で無駄なことをした、と失敗を率直に言えないところに成功は生まれない、と中村は言います。いつも成功のニュースばかり届けて喜ばせるのが目的となっては本末転倒ではないか、そもそも我々の仕事自体が経済性から見れば、見返りのない無駄なのだから、と。
これは、普通の感覚からは難しい理路です。失敗も成功も等しく受け入れようというのですから。しかし、次の文章を読むと、不意に喝を入れられた思いがします。

時に募金のために活動をアピールすることがあっても、我々は自分を売り渡す騒々しい自己宣伝とは無縁であったと思う。この不器用な朴訥さは、事実さえ商品に仕立てるジャーナリストからもしばしば煙たがられた。だが、こうしてこそ、我々は現地活動の初志を見失うことなく活動を継続できたのである。

魂の自由を求め、それを本当に実現しようとした者の言葉にほかなりません。


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